国宝「辟邪絵 天刑星(へきじゃえ てんけいせい)」12世紀末
疫病は小さな鬼たちの姿で表されています。
「4本の手が生えていて小さな鬼を次々に捕らえて、言葉書きによると、お酢に浸して食べるという場面。画面の左にバケツのようなものがありますが、お酢がたっぷり入っていてその中に鬼たちを入れては次々に入れて口に運んでいるわけです。鬼たちは哀れな表情でじたばたしている。こういう風に疫病に特定の姿を与え、その振る舞いを理解することが絵巻を見る鑑賞者たちにとっては安心につながっていったのだと思います
この絵は疫病を鬼として視覚的に表すようにした初期のものだとい
疫病をやっつける神様が鬼をお酢に漬けてから食べているらしい。
聖徳太子の似姿とされるこの仏像は、太子の病からの回復を願って作られました。
疫病、災害、戦乱などが集中した12世紀。
平清盛が一族の繁栄と世の平安を願って作った極めて豪華なお経です。
日本人は絵画、仏像、あるいは祭りなど様々な方法で疫病と向き合ってきたという
豪華絢爛で知られる京都の祇園祭も、そもそも平安時代の初めに疫病封じのために始まりました。
美しく飾ったのは、疫病の神を鎮めておくためでした。
疫病を防ぐとされていたアマビエ。
「江戸時代の終わり頃、弘化3年の日付が入っている瓦版という江戸時代のメディアなんですけども、そのかわら版の中に出てくる物で、右側の文章については肥後国、今の熊本県の海の中にアマビエと名乗るものが現れて、その後6年間の豊作と疫病の流行を予言する。さらにその後自分の姿を写して人々に見せなさいといって海の中に去って行ったと書かれています」
病魔退散!心より祈る日々です。