N003の実事求是な日々

基本はゲームの事、後は気になったニュースとか人生観とか
自分の病気の事とか実事求是な記事を書きたいと思っております

山口県10人で3泊4日半の大旅行 3日目 明倫小学校編

2010-07-17 10:00:34 | 旅行
何しに来たか分からない市役所を出て一同は明倫小学校へ向かう
ここと小学校は目と鼻の先で道路を挟んだ反対側にある
1歳から91歳の歳がてんでバラバラなメンバーなので、歩行スピードがぜんぜん違う
俺はと言うと、かなり後ろの方にいた

基本的に俺は人の前を歩くのは好きではない、それは何故かというと
多分、なのだが後ろを歩かれるのが不安なのだ
それは相手を本当の意味で信頼していないという風に取れるかもしれないが
しんがりを守るのは一番強い人間じゃないといけないというのもある
何かしら人を襲う時はまず一番後ろからだろう、そうじゃないと見つかってしまう
なので俺は基本的には人の後ろを歩くようにしている
・・・半分嘘で半分本当・・・

そして今は村正がご機嫌ナナメな状態だったのである
それで歩行スピードがもう鬼のように遅く、大人が1秒に一歩歩いたとしてもそれよりも遅い
何故かというと実は村正はこの小学校に行きたくないと言っていた
本当の意味で何故行きたくなかったのかは知らないが何となく分かる
まあつまり、自分の興味が無い場所に行っても面白くないから
車で待ってゲーム(この時持ってきてはいなかったが)でもしてた方が楽しいから
とかそういう感じの理由だろう、俺にもそういう経験はバカと言うほど経験してきたので
よく分かる、同じ男の子だしな

そして今の俺はと言うとそういう感情はほぼ消えていた
漠然と何処かに行くという行為自体が、好きなタイプなのかもしれない
その場に何があろうともそれで楽しめる性格、というのだろうか?
が、お父さんがらみの大人の会合みたいなのはいつも誘われるがあれは正直嫌だ
というか断っている
本当に俺は金に興味が無いので、お金儲けの話とか一生懸命になれない
一度貯金が空になればお金がほしいって思うようになると言われるのだが
このままでは貯金が空になることは・・・・無い気がする
俺は須らく低燃費なのだ、低生産でもあるが

この小学校は周りが緑色の針金のフェンスで囲われているのではなく
江戸時代にあるような城の外壁のようなデザインだった
というか学校自体が古めかしい、もとい味のある校舎でどうみても木造建造物
今時2階建ての小学校など珍しいな、3,4階が当たり前だと思っていた
恐らくだが鉄筋コンクリートでないとそこまで高くできないのだろうなと思った
そして正門まで来ると何やら「関係者以外立ち入り禁止」と書いてある
これはどこも同じか、とふと右側を見ると何やら古風な掲示板が
そこにはこの校舎の経緯などが記されてい、どうやら記念物てきな指定を受けているようだった
ちょっと中に入ってみたかったが(床が木でできていたら俺のテンションも上がったことだろう)
俺の外見では小学生に見せることは不可能だったし、先生としても無理だろう
ひとまず正門前で迷惑がられそうに皆で校舎の写真を撮ってから
これまた昔の城のように周りに堀があり川になっていた、戦争中に拠点にでもしていたのか?
良くは分からない
その堀沿いの道を市役所と小学校に挟まれるようにずっとまっすぐの1本の道があった
そこを西に向かってひたすら歩く
そしてまだ村正は機嫌がなおってないらしく超スローペスだった
俺が2、3度声をかけても酷く反応が希薄だったので、もういいやってすることにした
そうするとみちるさんが側に寄り添いながら歩き始めた
はたから見てもあれは慰めようとしているか、黙って側を歩いて様子を伺っている様子だ
(男には、皆厳しいんじゃねーの!?)
と、俺は心の中でその矛盾と葛藤していたが、まあ好きにしてくれという結論に至った
そして俺は特に誰とも話すことなく、周りの景色や松の針みたいな葉っぱを取って
片方の針でその葉を突き抜けさす遊びをやっていた、皆も一回はした事があるだろう
気が付いた時には小学校の端まで来ていた
このまままっすぐ行くのかと思いきやそこを右折して、まだ小学校の周囲に張り付くようだ
そうこうしているうちに先頭と最後尾の距離が100m以上離れていたので集合する事に、しなかった
みちるさんが何か言ったのか、それとも側で歩いていただけなのかはしらないが
村正の機嫌は相当元に戻ってきた様子で普段道理に走り始めていた
小学校の裏門のような場所で祖母と母を入れて写真を撮るとか撮らないとかの話になり
近くに俺がいたので強制連行された、そのときの写真は手元にあるのだが
如何せんこのブログ、写真を1枚しか貼れないので「残念」だが貼る事はできない
至極「残念」だ