吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

「自然と必然の住まい」(ヴァナキュラー)展を訪ねて武蔵野美大訪。

2007年11月30日 | Weblog
 2007年11月29日(木)、武蔵野美術大学図書館の「ヴァナキュラー」展を訪ねた。この大学の空間美術インテリアデザイン教授 椎名純子先生のお話を聞くためでもあった。わたしの高等学校同級生だ。案内ハガキの誘引力も奏功した。

 美術や建築についての私の浅学は、無学に近い。その自分をしてそんなに暇でもないこの時期に、麹町、四ツ谷、国分寺へのJR中央線で武蔵野まで行かせ、国分寺北口よりバスで武蔵野美大を訪ねさせたのは、「ヴァナキュラー」だ。自分が初めて聞く言葉だったからだ。関心のオリジンは、私が行ったことのないあまり関心を持たない世界のいろいろな地方に旅行しては通信されて来た椎名純子女史の絵葉書というか、彼女の街や民家のスケッチにあった。その土地その土地のヴァナキュラーを採集していたのだと、この「ヴァナキュラー展」の案内ハガキを手にして分かった。

 いまの自分が今和次郎(先生)の考現学というか「民家論」や「民家採集」(ドメス出版)にあったことからいうとウカツだったと言える。武蔵野美術大といえば、日本の民俗学の体系(民俗学辞典)をつくったと言われる柳田國男の双璧と言っても誇張でない宮本常一先生のフランチャイズではないか。経世済民のための農政学を東大に学び民俗学に入った柳田國男だが、役人的官学的なイメージが強い。五島列島や佐渡および山古志村などの民俗調査から分かる宮本常一と相反するイメージだ。その先生の流れを感じさせる「ヴァナキュラー展」の武蔵野美大の長谷川尭先生(建築論)、相澤昭男先生(民俗学)、椎名純子先生(インテリアデザイン)の三人教授のコンビのよさが窺えた。

 自分は、今和次郎のような民家採集の”エンピツ”スケッチが好きだが、いまはデジカメだ。極寒の地、砂漠の地、黄砂の地、中世のなごり豊かな地、土楼の地、海や河の地、山岳連なる地や竪穴住居の地域など、その地その地の「ヴァナキュラー」(地域固有に土着する風土自然共生住居)を、何か新しい発見に触れた感覚で聞いた。椎名純子先生の講話だ。ありがとうございました。

 あるもので、ありたいように自然や風土に共生する「ヴァナキュラー」。何でも加工し、姿を変質させ、便利性や文化文明を求め、進歩と革新を果たしてきた人類が、いま地球の持続的可能性探求の問題に直面しているが、地球自然との共生こそこの問題解決のコンセプトなのではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする