吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

生誕150年記念「横山大観」展日誌

2018年02月18日 | Weblog
2018年2月17日(土)は午前、広尾の山種美術館に向かう。生誕150年記念の「横山大観」展が公開されている。ジャスト10年前横山大観没後50年展にも、ここ山種美術館に来ている。このところの豪雪荒天とは少々変って、きょうは曇り空ながらも雨も雪もなく、ときどき晴れ間をみる好天。JR恵比寿駅から明治通りを左に駒沢通りの坂道を広尾小の方に歩く。

横山大観も例外ではないが、芸術家や美術家は長命が多い。明治元年(1868)生まれの大観は、1958年(昭和33年)90歳で亡くなっているから、今年(2018)は没後60年生誕150年になる。何となく”なじみ"感のある水戸生まれの大観(幼名酒井秀蔵)は、後に少年期を過ごした今の常陸太田市・横山家の養子に入り横山姓で東京は、本郷の湯島小学校から、1889年東京美術学校に入っている。

1900年代いまの東京芸術大学で岡倉天心に師事、川合玉堂、橋本雅邦、東山魁夷、下村観山、小杉放菴や奥村土牛などと、日本画檀の隆盛期を過ごした。四季自然の移ろいや美を写生し、自然四季の景色や人々の暮らしの写実画を探求したようだ。自然四季の変化と自分との一期一会だけでなく、自然界に生き、存在するすべての生きものや山川や草木など、木々の一枚一枚の葉や枝、路傍の花々や石ころにまで、すべてのお互いの一期一会に心を寄せて描写していたように思う。

それにしても、大観の絵画は日本だけでなく世界的に拡がっている。茨城は五浦の六角堂や常陽銀行や地元の集収家などにも多くを見るが、足立美術館や山種美術館などに多くの秀逸画が保管されている。四季機会を得て、多くの美術館などで展示公開されるよう希望する。 帰宅13:40。羽生結弦君、宇野昌磨君の金、銀をテレビ観戦。多謝。
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少子高齢化や人口減少社会は、”わるい”ことか? 否だ。

2018年02月16日 | Weblog
国土(面積)が大きい国や人口の多い国が、大きく”ゆたかな”国なのか。結局、国民総生産(GDP)や国民総所得(GNI)が大きく豊かななのか。”ゆたかさ”が、必ずしも所得や金額ではないと思うが、まずは”一人当り国民所得”(平均)をみれば、その国に住む人々の豊かさがわかるのではないかと思いデータをみた。必ずしも国土や人口の大小によっていないというこが解った。

一人当り国民(総)所得が年間4万ドル強の日本とフランス(同じ)、国土はフランスが日本の約2倍、人口は日本がフランスの約2倍だ。人口が日本の約10倍のインドの国民一人当りGNIは、日本の約3分の1(2014年)だが、国土は日本の9倍もある。日本の約2.6 倍ほどの人口のアメリカの国民総所得は、約18兆ドルと日本(約5兆ドル)の3.6 倍だが、国民一人当り所得(GNI)は、日本(42,000ドル)の1.3 倍(55,000ドル)にとどまる(2014年現在)。

国や国民の”ゆたかさ”は、国土や人口(数)の大小によってはいない。しかるに、いま世界的には
爆発的な人口増加傾向の中にあって、わが国は文字通りの少子高齢化と人口減少傾向に、頭を痛めている。何故かといえば人間の数(人口)こそが、その国の付加価値生産力だという”人々が働くことを通じてのみ、付加価値を生むのだという古典に考えが縛られているからだ。生産人口こそが、(働くことのない/できない)子供や高齢者分の付加価値を生産しているという考えに捉われているからだ。

世の中には、いろいろな人がいる。汗して働く人もいれば、汗せずアタマや何かで働いている人もいる。お金や資本があって付加価値を生んでいると思っている人もいる。病気や障害があって、働けない人も食べていかなければならない。”働く人が減って”も、減った分食事や経費が減るとか、オートメーションやロボットが働き、AIが汗しない人の分付加価値生産をしてくれる世の中になろうとしている。付加価値生産や生産人口などの規定が変ろうとしている社会にあって、人口減少はネガティブではなく、ポジティブな要素なのだと、気楽に考えることが大事なのでなないでしょうか。
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恵方巻(大量廃棄)問題のバカのオリジン

2018年02月07日 | Weblog
日本は、食料の60%(カロリーベース)を外国に頼って(輸入)いる。年間5800万トンの食糧を輸入しているのに、その34%の1950万トンも廃棄している。赤ちゃんからお年寄りまでのすべての国民一人あたり平均年間150Kg の食べものを廃棄している。欧米諸国の一人当たり約100Kgに比べると1.5 倍になる。

農産物や畜産物を生産する農地や国土が、世界全体のわずか0.3% もない日本には世界人口の2%弱の人々が住んでいるのだから、食料の多くを輸入しているのは当然といえば当然だが、このように莫大な食品ロスをしている生活は、改められなければならない。一粒の米でさえ、大切にして暮らしてきた日本人の”もったいない”精神が問われるのだ。

年が新しくなっての2月初旬(2/1~2/4)の恵方巻き大量廃棄問題は、今年に限ったバカ問題ではない。そもそも、あのように太く長く噛み切れない海苔で巻かれた”おいしくなく”料理とも言えない食べものが、一時的にでもせよ”はやった”現象がおかしい。関西の方からはやったとか、ファミマかセブンか知らないがコンビニエンスストアの商魂から市場化したとか言われるが、定かではない。

世の中の食糧問題や食品ロスの問題などにさえ気が回らない小売り商人たちの手前勝手が、需要創造などの狭い論理を引っ提げて作った現象問題だ。人々の嗜好や本質需要の予測能力もないコンビニやスーパーが、ただ毎年”前年実績+α”販売目標の積み上げ計画を予測展望にして、毎年のこの時期を過ごして来た今日の問題を、”消費者の嗜好(飽き)やサイフが変った”などと消費者問題にすり替えて反省もなかったところに問題のオリジンがあるのだ。

あのような食べものらしくない長い太巻きを、その年の恵方に向かって”食べきれ”などという不謹慎なバカを猛省しなければならない。コンビニエンスストアやスーパーマーケットなどの経営者諸氏の良識の復活を願う。
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春告げる花たちを愛でる

2018年02月04日 | Weblog
春の花というと 意外に木花が多い。冬桜などにつづいて、桃や李の花そして梅や桜の花など桜梅桃李といって親しまれている。梅には梅の、桃には桃や李にはすももの花があり、桜には桜の花がある。それぞれの花にはそれぞれの特性があり、多くの人に希望的な春を知らせる。ナンバーワンよりオンリーワンと教えてくれる。〇子らはしゃぐカタクリの咲く楢林


一方、わたくしたちに年明けや新春などを知らせたり、春待ちや春の訪れを感じさせてくれる花の多くは、木花というより花草や低木の花だ。多くが、黄色い花を見せる。元旦草やついたち草などと言われ、幸福と長寿を願う新年の祝い花にふさわしい福寿草や蝋梅や満作の花も、皆黄色だ。〇雪景色キャンパスに映ゆる満作

このように明るさや希望を伝えてくれる黄花とは対称的に、どちらかというと控えめに落ち着いた雰囲気で春を知らせてくれるのは、うす紫の花たちだ。かわいい。カタクリや節分草のように里山の雑木林に咲く花もあれば、雪国や北国の高山に咲く雪割草なども皆うす紫。群生して咲く。多くが冷たい冬を球根や塊茎などで凌ぎ、春の兆しを待つ。陽射しをうけて、春の訪れを告げるように咲く。〇楢林春を告ぐるる節分草

四季それぞれに季節を告げる花はあるが、春を知らせる花は明るく希望的で、そしてかわいい。
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