高齢おじさんの超最大サイクリング

人生の残り1/4世紀を自転車とともに歩む高齢おじさん(74歳)のお楽しみサイクリングダイアリー

寒いー!!

2010年01月30日 | Weblog
さすが北海道です。寒さが違います。日蔭は凍っていて、歩くのが大変。でも幹線道路は除雪も完璧で、普通に車を走らせることができます。

 着いてすぐ、うまいと地元の友人が推薦する回転寿司に。これがまたうまい。ネタも新鮮で、あっという間に家族五人で五十皿。それでも、一人二千円ちょっとで済みました。

 そのあと、近場の温泉に出かけて長風呂。たっぷり汗をかいてすっきり。これから地元の友人と親交を温めることになっています。

 高齢の母も元気。でも、いきなり弟と間違えられてガックリ。それでも、そのうちに思い出してくれたのでホッと一息つきました。

完了

2010年01月29日 | Weblog
 エコクラ7時間、3人の部でエントリー完了しました。チーム名はBlanche-KKHです。予定疾走?時間は、3、2、2、または仲良く3分の1ずつ。まあ、私は2時間で十分です。ところで、KKHとは誰でしょうか。一人は私であることに間違いないのですが・・・・。

 明日から高齢になる母の見舞いで北海道に。友人の話では、雪も多いし、凍結もしているようで、結構大変そうです。もちろん、自転車に乗ることなどできません。しかし、小さい頃はこんな中でもママチャリを必死になってこいで、通学していたのです。でも、まあ久しぶりに高校時代の友人にも会えそうなので楽しみにしています。

 今朝は最後の10キロを負荷をかけて、インターバル風にローラーを漕いでみました。結果、大汗かいて、しかも脚にきました。刺激が入った、ということでしょう。

参りました

2010年01月25日 | Weblog
 昨日は、脚がさっぱり回らず、なぜか動悸も感じて苦しく、付いて走るのがやっと。二次会終了時点で70kmほどであったが、どうもすっきりしないので帰宅することに。

 帰宅後も体調が思わしくなく、ただひたすら睡眠をとるだけの休日に。I原君の激励会にも誘われたが、とても参加できる状況ではなかったというのが実情で、結果的にこの判断は正解になることに。

 今朝まで、都合12時間以上体を休めたが、それでもまだ不足といった感じの起床となった。

 ここのところ、あれこれとストレスのかかることも多かったので、知らず知らずのうちに疲れが溜まっていのかもしれない。口内炎もそのせいだったのだと思う。

 しばらくの間は、朝はゆっくりと寝ることにするのが正しい選択のようだ。

名残り

2010年01月22日 | Weblog
 昨晩は少々飲み過ぎ。帰宅も遅く、じっくり朝寝。ちょっと遅れて9時過ぎに職場到着。その間に、ローラーに少々。本日は刺激に変化をつけるため、最後の五キロは負荷付きで。

 そのせいか、筋痛発生です。情けない。

 明日は土曜だが、なぜか午後から定期試験をやらなければならない(月曜日に休みが多いのが原因)。道場練参加だと時間に余裕がなくなりそうなので、残念だが棄権。近場を適当に走っておくことにしたい。

暖かい朝でした

2010年01月21日 | Weblog
 いやー、暖かい朝であった。その分、脚の回りもよい。クルクルと回って、簡単に40km越え。1時間もかからない。汗を適当にかいて、気分良く終了。

 今夕は2日連続となる都内行き。昨日は学位審査で。なのに審査用論文が届いたのは当日の朝。「届いてないよ」、と忠告しておいたのに遅すぎる、とついつい電話して文句をいう事態に。日本語で書いてあっても大変なのに・・・。

 今日は学術集会の反省会。そのあとは・・・、想像にお任せします。楽しい夜になりそうですが、帰りは遅くなりそう。

日の出が早くなるのは・・・・

2010年01月20日 | Weblog
 これからは少しずつ日の出が早くなると思うが、現時点では6時では真っ暗でとても外を走ることはできない。もちろん、ランプ等をつけて走るという選択もあるが、薄暮的状況以外は苦手で、走る気が起きない。

 したがって、平日は玄関先で明かりを頼りにローラーに乗るのが、ルーチンワークに。今日は気温も高かったので何やら脚の回りも比較でスムーズで、1時間の時間がアッという間に過ぎてしまった感じであった。

 そう言えば、エコクラシックのエントリーが開始された。3人集まれば7時間エンデューロに。駄目なら4時間ソロを選択し、翌日の3時間もソロで走ってみるかなどと欲張ってみたりして楽しんでいる。

体調悪し

2010年01月19日 | Weblog
 唇にアフタができるくらいだから体調が悪いに決まっているのだが、それにしても朝は体の動きが本当に悪い。

 積極的休息と考えてゆっくりとローラーを回してみるが、まったく脚が回らない。心拍もいつもよりは高い。調子が良ければ、心拍応答の水準は低下するのが常だから、明らかに不調なのである。

 それに少し風邪気味の感じもする。なんとなくいやな予感がするが、仕事だけは待ってくれない。夕方まで追いまくられる一日であった。

 学生なら、「体調が悪い」、と言って休むこともできるが、大人はそう簡単にいかないところが辛い。

達成

2010年01月18日 | Weblog
 今回の沖縄は目的が2つ。一つは親族の病状確認、一つは自転車で走ること。

 心配していた病状であったが、元気な親族の様子を拝見して安堵。なによりも嬉しいことであった。

 2年ほど前の暮れに家族旅行で沖縄を訪れたときは暖かかったような気がしたが、今は1月。南国とはいえども流石に肌寒い。また、経度がずれている分、日没が遅く、暗闇が迫ってくるのが18時過ぎ。その代わりの日の出は遅く、朝7時でもまだ薄暗い。

 今回のセンチュリーランのスタートは朝7時。160kmの部には600名近くの参加者があり、100名ずつに分かれ、ランプ類を点灯させて、まだ明けきらぬ中をスタート。私は最初の組であった。しかし、いざ走りだそうとすると、サイクルコンピュータの調子が悪く、速度は表示されるが計時機構と距離計にトリガーがかからない。とうしたんだろうと、チェックしているうちにスタートに遅れ、つぎの組と一緒になってしまう。

 しかも、世の中にはルールを守らない者がいるもので、ずっと後の組であるはずの1500番台の人間もちらほら。まあ、善意に考えれば、それほど規制されたスタートの方法ではなかったから仕方ないともいえるし、道は広く、スタート後はみなさん一列棒状になっていたから特に問題も感じなかった、ということで特に悪い印象を感じさせられることもなかった。沖縄の人たちの人情味がなせる技なのか、なのかもしれないと思いながら160km先のゴールを目指した。

 しかし、相変わらず距離計は作動しない。距離計が動かないと何かと不便であるから、スタート後もサイクルコンピュータを何度かリセットして、それはもう必死で再スタートを試みるが、どうしても作動しない。距離計が作動しないと各エイドステーションまでのアクセス感覚が分からないので困ることになる。そこで、いったんコースから外れて自転車を降りて再々チェック。しかし、どうしても距離計は作動しない。

 2~3分ほどかけたが、うまくいかない。結局、諦めてコースに戻りまた走りだす。1300番台の人が大勢いる。しかし、それほどのスピードではないので、無理することなく追い抜き先を急ぐことに。

 そのうちに先に誰も見えなくなった。さらに前にもいるはずなのだが、相当飛ばしているようで、まったく視界に入らない。多少の追い風なので、52/19で34~35km/hを維持しながら巡航。後ろにはいつの間にかたくさんのサイクリストがつながっていたが、誰も前に出てくる様子はない。先頭交代が必要な速度でもなかったので、10km近く引いたであろうか。

 市内に入って信号ストップを繰り返しているうちに、1個目のエイドステーションに到着。

 入ると、もう数10人の人がエイドを楽しんでいる。ガンガン飛ばしてきた人達らしく、みなん細身で大概は若者である。黒砂糖などエイドを楽しんでいると、ケリーさん、ヤスさんに遭遇。

 ケリーさんは、脚の合う大柄なアメリカ人と一緒にドラフティングを楽しみながら来たらしい。「俺はもう行くけどどうする。一緒に行こうよ。」、と誘われるので、ヤスさんとともに同行することに。結果、10名ほど脚の合う仲間ができて走りだす。結局、最後は5名ほどになってしまったが、これがこのさきの楽しいサイクリングの始まりとなった。誘ってくれたケリーさん、ありがとう。

 この中には、後輪がディスクホイールの若者がいて、ビックリさせられる。聞けば、東京出身で、今は沖縄で生活しているらしい。途中疲れて後退する場面もあったが、地元の人間なので地理に詳しく何かと助けられ、ゴールまで一緒に走りきった。

 このセンチュリーランでは10数kmから20kmごとにエイドステーションが設けられていたが、私たちのグループはいつの間にか先頭になっていたらしく、先導するスクーターに誘導されて、必ずエイドステーションに寄ることとなった。12時ごろには強制的にランチ休憩が。しかし、このお陰でけっこういろいろな人たちと話ができることになった。

 中には、帰りの飛行機の都合でエイドを飛ばしたい人もいたようで、本来は先導スクーターより先に行ってはいけないことになっていたようだが、何人かは昼食もそこそこに先を急ぎ、出発していった。

 昼食後はアップダウンが結構あり、それまでの疲れもあってか、ヤスさん、ケリーさんがいつの間にか遅れてしまい、その後の信号待ち、エイドでも再開することがなかったのが残念であった。

 その後は、坂のたびに、ディスクの若者、Fitteの若者(オガワさん)との3人になり、後続のアメリカ人2人が信号待ちあるいはエイドで追いつき、また一緒にスタートすることを繰り返すこととなった。

 最後のエイド以降は5人で脚を合わせながら走り、午後1時30分ごろに無事コミュニティーセンタに到着。ゴール後は、完走証をもらうために100名ごとに区切られたサインチェック場に。1000~1099番台では、私が最初のゴール者であった。メータ故障で何km走ったのかは不明であったが、思い出に残るランとなった。

 帰りは親族にご馳走になり、機中ではそれまでの疲れもあってかいつの間にか離陸し、気がつけば伊豆大島上空まで来ていた。帰宅後は輪行袋の整理をして12時に就寝。気が付いたら8時前。大急ぎで支度して出勤と相成った。

アフタ出現

2010年01月14日 | Weblog
 ロングランまであと残すところ3日。坂の多いコースと聞いているので、ここ2日ほどの締めはローラーに負荷をかけてこぐ。後輪のギヤも27枚を用意して万全を期している。

 別に23枚でも25枚でもフロントをインナーに落とせば大概の登りはクリアできるのだが、インナーに入れたりアウターに戻したりするのが面倒な性分なので、長い登りでなければほとんどの場合はアウターだけで済ましてしまいからである。

 だが肝心の体調が必ずしもよくない。唇には内臓の不調をあらわすアフタが出現。たしかに、寝不足が続き過ぎ、胃腸の調子が増悪傾向にあった。

 このようなときに、なんと今日は経営と学事のトップが来て、夕刻に懇親会が開かれる。アフタの増殖が起こらなければいいのだが・・・。