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伊豫鉄道歴代の蒸気機関車「坊ちゃん列車」

2012年09月18日 | 伊予松山歴史散策
今年125周年を迎える伊豫鉄道は、中四国九州初の鉄道として、松山 - 三津間を明治21年に開業させ現在も松山市周辺の公共機関、伊予鉄グループの中核企業として発展している。

伊予鉄道株式会社の概要

明治20年会社創立
明治21年10月28日 松山―三津間の鉄道(坊ちゃん列車)営業開始   
明治25年 5月 1日 三津―高浜間営業開始
明治33年 南予鉄道・道後鉄道を合併
大正 5年 伊予水力電気株式会社と合併伊予鉄電気株式会社に社名変更
大正10年 松山電気軌道株式会社を合併
昭和 6年5月1日、1067mm軌門に改軌・電化、梅津寺駅、港山駅営開始、それまでは、汽車のときは、軌門は(レールの幅)762mm

なお当時、蒸気機関車(坊ちゃん列車)は17台あり、内訳は、伊予鉄道がドイツ・ミュンヘン・クラウス社製から輸入した機関車は、1号車~6号車と11号車~14号車までで、7号・8号車は道後鉄道から引継だクラウス社製、9号・10号南豫鉄道から引き継いだイギリス・フレッチャー・ジェニングス社製。15・16・17号車は住友別子鉱山鉄道の余剰機関車を譲り受けたドイツ・クラウス社製の機関車である。
そして昭和29年2月1日からデイーゼル機関車に変更され、蒸気機関車(坊ちゃん列車)の時代は終焉した。
画像は、現役時代の(坊ちゃん列車)


伊豫鉄道が明治21年ドイツ・クラウス社から最初に輸入した1号機関車で現在梅津寺公園に静態保存されている


ドイツ・クラウス社から二番目に輸入した2号機関車


ドイツ・クラウス社から三番目に輸入した3号機関車、市駅で待機中、左に2号機関車、右側は電化された高浜線の「大型ボギー電車・100型」昭和6年5月1日電化


ドイツ・クラウス社から四番目に輸入した4号機関車、柳井町を走行中・・後ろの山は松山城


ドイツ・クラウス社から五番目に輸入した5号機関車、石手川橋梁を渡る、現在橋梁に「石手川公園駅」が出来ている・・当時はこの橋梁森松線も共用で走行していた


道後鉄道から引き継いだ7号機関車、ドイツ・クラウス社、道後駅を発車するところ


ドイツ・クラウ社から最後に輸入した14号機関車


14号機関車が森松線を走行中・・場所は天山町で、左の道路は国道33号線、天山橋手前を走行・・昭和40年12月1日に森松線は廃止となり現在バスが運行している


蒸気機関車が廃止となり、昭和29年2月1日からデイーゼル機関車に変更された・・石手川橋梁を走行


デイーゼル機関車に変更されたが、この形の前のデイーゼル機関車があったが
軽量の為、雨天時空転して石手川堤防の坂を登る事が出来ず、その後この形になった・・重量を重くして空転しないように変更


明治28年道後鉄道が開業、この年に夏目漱石が松山中学に赴任、漱石が毎日坊ちゃん列車に乗って道後温泉に通ったのは、道後鉄道の列車であった(グリーンの路線が道後鉄道営業路線・漱石は、現大街道から道後温泉まで乗車)道後鉄道は明治33年伊豫鉄道と合併
註:道後鉄道は、機関車2両、客車8両で営業


明治末期から大正初期の間道後駅は二つあった・・画像右が伊豫鉄道の道後駅、左が明治44年開業の松山電機軌道の道後駅、大正10年伊豫鉄道に吸収合併
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