EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

光のお持て成しin松山城2017 その2

2017年07月26日 | 伊予松山歴史散策

ご逝去されました、歌舞伎役者の坂東三津五郎さんがお気に入りの伊予松山城。

「光のおもてなしin松山城2017」その2です。

光のお持て成しin松山城2017 その1は、本丸広場のイルミネーションを見て頂きましたが、此れから本丸広場を下りながらイルミネーションを紹介します。

本丸広場から下ると最初の城門が「太鼓門」です。

太鼓門の直ぐ前にある「染井吉野桜」に仕掛けたイルミネーションが見えて来ます。

太鼓門は、昭和20年7月26日、松山大空襲の際にB29爆撃機から投下された焼夷弾により焼失され、昭和47年復元されました。

太鼓門を出ると桝形がありますが此処に仕掛けられたイルミネーションです。

イルミネーションは、染井吉野桜に仕掛けられています。

太鼓門と筒井門の桝形に仕掛けられたイルミネーションオブジェ、椿神社の赤の大鳥居か?それとも、広島市から借り受けてのオブジェなので「安芸の宮島・赤の大鳥居」か?・・どちらでしょうか。?

太鼓門と筒井門の桝形に仕掛けられたイルミネーションオブジェ「原爆ドーム」か、それとも愛媛県庁舎かな?・・愛媛県庁舎も中央にドームがあり、全国で三番目に古い歴史のある庁舎です。一番歴史のあるのは、大阪府庁舎、二番目が神奈川県庁舎です。

参考までに:愛媛県庁舎で、日本で三番目に古い歴史のある庁舎です。

昭和4年に完成しました。

太鼓門と筒井門の桝形に仕掛けられたイルミネーションオブジェ「赤大鳥居」と「ドームのある建物」その他のイルミネーション。

筒井門を潜ると「鳳凰」が眼前に迫ってきます。なかなか迫力のあるイルミネーションオブジェです。

筒井門から見た伊予松山城下の夜景です。

戸無門を潜り振り向くと「鳳凰」が見えます。

隘路を下ると、待合番所跡のイルミネーションが見えます。

隘路を下り振り返ると石垣にライトアップされ、その奥に伊予松山城天守が見えます。

俳優の榎木孝明さんが一番のお気に入りの伊予松山城の風景です。但し昼間の風景です。

待合番所跡に仕掛けられた沢山のイルミネーション。外国から観光に来られた方々、ここで記念の写真を撮られる方が多く居られました。

特に、このイルミネーションの前で記念写真を撮る方が。

坂の上の雲の主人公の一人、秋山眞之が幼少時代に登った石垣にもライトアップされています。

上に見える櫓は、隠門続櫓(重要文化財)です。

ロープウエー山頂駅舎からの登城道、両端に画像の様にイルミネーションで醸し出し、足元の安全が確認できるように施されています。

「光のおもてなしin松山城2017」を鑑賞に来られた皆さんを、ロープウエー山頂駅舎前広場に造られたオブジェ、道後温泉本館・伊予松山城初代城主、加藤嘉明・伊予松山城天守・坊っちゃん列車・正岡子規の野球姿が仕掛けられていてお出迎えをしてました。

ロープウエー山頂駅舎前広場に造られたオブジェ。

ロープウエー山頂駅から本丸登城道に仕掛けられたイルミネーション。

東雲口登城道仕掛けられたイルミネーション。奥に見える鳥居は東雲神社の鳥居。

夜間は、真っ暗になり足元の安全を兼ねてのイルミネーションで、東雲口登城道入口から本丸広場まで20分かかります。

「光のおもてなしin松山城2017」を紹介して来ましたが、ある観光者のコメントの中に次の様の言葉がありました。

「日本国内、多くの名城があるが、個人的にはここが一番好きである。小高い山の上に立っており、市内どこからでも見えて、まさに町のシンボル的存在。」・・と書かれておられました。

 

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光のお持て成しin松山城2017 その1

2017年07月25日 | 伊予松山歴史散策

伊予松山城東雲口の登城道から本丸広場までを彩るイルミネーションで「光のお持て成しin松山城2017」が今年も始まりました。

期間は7月14日から8月14日まで、点灯は午後6時半~9時半で、ロープウエーの運行は、期間中の、金・土・日曜日と祝日、最終日は午後9時半まで運行、8月11~14日は天守を午後9時まで開業するそうです。

光のお持て成しin松山城は、今年で3年目です。

昨晩、2年ぶりに「光のお持て成し松山城」の鑑賞に行って来ました。

伊予松山城の登城道や石垣を光の散歩道として演出し、広島市の協力で、広島の冬を約40万球の光で彩る一大イベント「ひろしまドリミネーション」で使用するオブジェの一部「光のトンネル」や原爆ドーム、厳島神社の赤い大鳥居、筒井門前の枡形には、鳳などが展示してあります。
本丸広場を彩るイルミネーションの点灯は、午後6時30分、天守のライトアップは午後7時からです。

伊予松山城は、行ってよかった!日本の城2014で第2位にランクされました。

そして故、坂東三津五郎が大好きなお城です。

松山市では、平成14年から多色フィルムを使ったお盆の松山城ライトアップイベント「光の城」を続けて今年15年を迎え、平成23年から照明灯を水銀灯からLEDに変更工事を行い消費電力の削減を計画、同年4月からLEDに変更し松山城ライトアップイベント「光の城」ではLEDによる初めての4色によるライトアップを可能にしました。なおLEDでのライトアップは、愛媛県内で松山城が初めてで、毎年、8月13日・14日お盆で故郷に帰郷した方、県外から観光に来られた方々をお迎えするお持て成しの心を篭めて松山のシンボル「松山城」本丸にある天守をはじめ櫓・城門・石垣に照明をあてて光の城として夜間営業をして松山城に観光に来られた皆さんに楽しんで頂く特別企画を本丸広場で行われております。

伊予の名産「みかん」をイメージした馬車、人が乗れる仕組みになっていました。

松山城は平成19年「古都保存法」施行40周年に当たり、「財団法人古都保存財団」などが主催者となり、国土交通省や文化庁などが後援し、学識経験者等による選定委員会の審査を経て決定されたのが「美しい日本の歴史的風土100選」で、これは、全国に残るすばらしい歴史的風土の保存・継承や観光立国への貢献などを目的に、次世代に継承すべき美しい日本の歴史的風土が良好に残されている地域(都市)を選定したもので、松山市は、「松山城」と「道後温泉」が情緒あるたたずまいが残されていると評価されました。美しい日本の歴史的風土100選(平成19年3月2日選定)に選定されました。

此れは何をイメージしたオブジェでしょうか??

中に入ってみましたら、まったく別世界でした。

伊予の名産「みかん」をイメージした馬車違う角度から。

最近、松山にも外国人観光客が多く来られ、昨晩も白人系外国人がイルミネーション鑑賞に登城してました。

松山城や登城道をイルミネーションで飾る「光のおもてなしin松山城2017」に使われているイルミネーションは広島市で使われている資材で、広島市は、冬季に行われるため設置作業も楽ですが、松山は真夏の行事、設置する作業員は、気温の高いなかの作業大変だそうです。・・ご苦労様です。

 

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松山市内の銅像巡り18 井上正夫 像

2017年07月23日 | 伊予松山歴史散策

井上正夫 銅像

 井上正夫の銅像は、伊予鉄市駅(市内電車の構内西端)に建立されている。

 明治14年(1881)に浮穴郡大南村(現、砥部町)の出身で、本名は、小坂勇一。

 明治・大正・昭和の俳優・映画監督。演劇を大衆文化に育てた人で、新派俳優であった。

大阪の陶器商に奉公中、大阪成美団の芝居を見て俳優を志、帰省の折、松山新栄座で興行していた敷島義団に入り、初舞台を踏む。

地方の劇団を転々とし、上京の折、真砂座の伊井蓉峰(いいようほう)一座に加わり、「女夫波」によって人気を得る。一時、映画作りにも参加する。

また、芸術的な大衆演劇を目指して、井上演劇道場を作り、後進の指導養成と商業演劇の向上にも努める。

終生、セリフの伊予なまりは抜けず、リアリズムを根底とした演技は魅力的で、舞台に大きな包容力があった。

『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より引用。

昭和27年建立された井上正夫の胸像は、市駅の市内電車乗り場の西片隅に建立されている。

台座にある揮毫は、親交の深かった親友、山本有三である。

生誕地である、砥部町にも銅像がある。

井上正夫の胸像の裏面。

胸像の裏面左側に文字が刻印しているが判読不明。

胸像の裏面左側に文字が刻印しているが判読不明。

画像の様に胸像は、かなり汚れています。伊予鉄道の皆さん銅像建立とは関係がないかもしれませんが、清掃活動をされては如何ですか?

台座裏面に埋め込まれている銘板。

台座に揮毫されている文言。

胸像左側に建てられている説明柱。

胸像の題字は、親交の深かった、山本有三の揮毫。

 

井上正夫の胸像は、市駅の市内電車乗り場の西片隅に建立されている。

市内電車に、乗車する人々を見送るような格好で建立されている。

市内電車、市駅ホーム。

松山市駅前に建っている。

 

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暑中お見舞い申し上げます

2017年07月20日 | 伊予松山歴史散策

暑中お見舞い申し上げます

 何時も拙いブログを見て頂き有り難うございます。

7月19日、四国地方梅雨が明けました。

昨年よりも1日遅く、平年よりも1日遅い梅雨明けです。

今年の松山地方はカラ梅雨で、降雨が少なく松山市の水がめ「石手川ダム」の貯水率は、7月19日現在で、82,6%、例年であれば95%あります。これからまとまった降雨がなければ、断水が行われるでしょう。

松山市の企業局水道課は、「1人1日バケツ1杯10リットルの節水にご協力ください」運動をしています。

皆さん方のお住まい、水道水は大丈夫でしょうか??

お見舞いが遅くなりましたが、福岡県朝倉市、大分県日田市、の皆さん先日の豪雨による甚大な被害お見舞い申し上げます。

此れから猛暑の中の復興、ご心労大変でしょうが、くれぐれも御身大切にされて下さい。

参考事項:平成29年7月1日現在の松山市の人口は、512,751人。

 

画像は、梅雨明けした松山地方の夏雲です。

皆さん、此れからは猛暑の季節、お身体お気を付けてお過ごしください。

此方は夏の花、我が家にある「百日紅の花」が咲きました。

百日紅は渇水に強く元気です。

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松山市内の銅像巡り17 小林信近 像

2017年07月19日 | 伊予松山歴史散策

小林信近像

 松山市で一番新しい銅像で「小林信近翁」の顕彰碑である。

建立されたのは、平成28年10月28日、伊予鉄道本社ビル1階に開設された坊ちゃん博物館を記念して市駅前にある坊ちゃん広場に建立、伊予鉄道本社を眺めるように建っている。

本社に隣接して、明治11年創立した第五十二国立銀行(現伊予銀行)湊町支店もある。

伊予鉄道株式会社の創設者、初代伊予鉄社長である。

小林 信近「こばやし のぶちか、天保13年8月28日~大正7年9月24日」は、実業家、政治家。伊予松山(現松山市)出身。伊豫鉄道会社の創立者であり初代社長。第五十二国立銀行(現伊予銀行)、松山商法会議所(現松山商工会議所)、伊予水力電気(現四国電力)を創立するとともに、海南新聞社(現愛媛新聞社)社長を務めるなど、明治時代に愛媛経済の基盤を作った人物。

秋山好古や加藤拓川とは17歳年上で、道後温泉本館改築をした伊佐庭 如矢とは14歳年下、朝敵とされた伊予松山の発展の基盤を創った偉人であるが、残念ながら松山の人達は知らない人が多い。

小林 信近翁の顕彰碑を見て偲んでは如何でしょう。当時の方達は、自分のためではなく「世のため・人のため・故郷のため」にと思いで働いたと私は思う。

墓は、松山市祝谷東町にある定信寺にある。

この定信寺は、伊予松山藩15万石、松平家初代の藩主、松平定行の霊廟がある由緒ある寺である。

 

建立場所は、松山市の中で人通り一番多い場所に顕彰銅像があり、銅像の前には、創設した伊予鉄本社があり、バックにあるビルは、いよてつ髙島屋デパートで、売り上げは四国一である。

小林信近の顕彰碑横に設置されている略歴説明表示板

 

坊ちゃん博物館に展示されている小林信近の説明資料。

 

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