道後温泉の「ホテル椿舘」で佛塔絵画展が開催されている。
佛塔絵画展の元となる「佛塔」の著者は、吉金一郎氏で、松山市神次郎町(旧温泉郡五明村大字神次郎・昭和30年5月1日、松山市に編入合併)出身である。昭和18年に日本陸軍の宣撫活動の一環である日本語学校の教師に志願してビルマに渡り、抑留期間を含め、足掛け4年間当地で過ごした従軍記録が「佛塔」である。
ともすれば、松山は正岡子規に代表される俳句の町とされているが、幕末から明治維新にかけて朝敵とされ、土佐・長州に占領され、軍費献納金15万両を要求、大金を調達するに大変を喫し、藩民達も捻出の一端を担いだ。15万両は松山藩2年分の歳入額であった。困難な時代を耐えてきた旧藩民、後に松山からは優秀な人材が世に輩出された。世のため、人のため、故郷のために尽くせる人になるようにと、特に母親達は子供を育て上げてきた。
吉金一郎さんもその一人ではないかと絵画展を鑑賞しながら胸を熱くした。ホテル椿舘さんはいい企画をされた。
絵画展示期間は、平成25年5月8日から平成26年5月8日まで
時間は、午前10時~午後3時まで鑑賞無料
吉金一郎氏の略歴は画像を参照下さい。
註:佛塔とは、佛教信仰の為に建てられた塔。
椿舘ロビーに大きく掲示されていた。
佛桑花
佛塔絵画展の元となる「佛塔」の著者は、吉金一郎氏で、松山市神次郎町(旧温泉郡五明村大字神次郎・昭和30年5月1日、松山市に編入合併)出身である。昭和18年に日本陸軍の宣撫活動の一環である日本語学校の教師に志願してビルマに渡り、抑留期間を含め、足掛け4年間当地で過ごした従軍記録が「佛塔」である。
ともすれば、松山は正岡子規に代表される俳句の町とされているが、幕末から明治維新にかけて朝敵とされ、土佐・長州に占領され、軍費献納金15万両を要求、大金を調達するに大変を喫し、藩民達も捻出の一端を担いだ。15万両は松山藩2年分の歳入額であった。困難な時代を耐えてきた旧藩民、後に松山からは優秀な人材が世に輩出された。世のため、人のため、故郷のために尽くせる人になるようにと、特に母親達は子供を育て上げてきた。
吉金一郎さんもその一人ではないかと絵画展を鑑賞しながら胸を熱くした。ホテル椿舘さんはいい企画をされた。
絵画展示期間は、平成25年5月8日から平成26年5月8日まで
時間は、午前10時~午後3時まで鑑賞無料
吉金一郎氏の略歴は画像を参照下さい。
註:佛塔とは、佛教信仰の為に建てられた塔。
椿舘ロビーに大きく掲示されていた。
佛桑花