EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

熊本・大分地震被災者の皆さんお見舞い申し上げます。

2016年04月24日 | 伊予松山歴史散策


画像は、平成23年6月10日、新潟県魚沼市竜光地区に私が秋山好古揮毫の石碑取材に行った時の写真です。

平成16年10月23日、17時56分発生した中越地震最大震度7を観測した「激震」の文字を掲示していた。「地震の恐ろしさと、全国から支援をして頂いた事を忘れないように」・・の思いを籠めて。


新潟県魚沼市竜光にある天満宮神社に掲げてある復興に感激・支援をありがとうの幟を掲げてあった。
熊本・大分大地震被災者の皆さんも早くこの様な思いになれる日を祈念します。


平成23年6月10日、私が秋山好古揮毫の石碑取材に行った時に地区の方々が集まって頂いた時の風景、後方の家屋は激震後再建された家屋、屋根は、日本瓦は一切使っていなかった。

熊本大地震発生してから10日目改めてお見舞い申し上げます。
4月14日、午後9時26分震度7の地震が発生大きな地震、しかしその後震度も小さくなり終息の経路を辿るのかと思っていると治まらない。
連日TVニュースを見ると家屋倒壊の甚大、避難場所での生活苦、此れを乗り越えられてもその後生活の拠点である家屋の再建、此の費用が大変だと思うと他人ごとではない。
この事を自分に置き換えてみると我が家にはそんな蓄えなどなくお先真っ暗である。
現在の建築基準では震度7には耐えられない。
特に日本瓦の屋根の家屋は耐震には耐えられない。
我が家も日本瓦屋根なので倒壊は免れない。
熊本大地震発生してから中央構造線上でも地震が起り、南海地震も何時発生してもおかしくない時期と言う話を聞くと大きな不安を抱く。

私の親父の戦友である方が熊本県益城町に居られ、私の知人は熊本市東区に居ます。
地震が終息しても此れから生活の拠点となる家屋の再建が大きな負担となる。
被災されました皆様方くれぐれも御身お気を付けて下さい。
平常な生活が早く出来る事をお祈りいたします。
TVで熊本県の様子を見ると気がめいります。

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熊本地震被災者の皆さんお見舞い申し上げます

2016年04月20日 | 伊予松山歴史散策

平成20年9月25日撮影しました熊本城天守です。

此の度の熊本地震お見舞い申し上げます。

4月14日、午後9時26分マグニチュード6,5震度7の地震が発生した。
TVを見ていたら、緊急地震速報が流れた。
震源は何処か確認すると熊本市付近強震の恐れありと警報が出た。
それから数秒後に松山の我が家も揺れた。
強震後は、暫く余震は続くだろうが余震は小さくなり徐々に終息に向かうものと思っていると、熊本県各地で震度6~4の大きな地震が発生し大分県まで広がっている。

こんな地震は日本では初めてである。
松山市でも時より体に感じる揺れを感じる。
こんなに長い日々大きな揺れを身体に感じると、精神的に良くなく病気になる。
避難している避難所の生活状態が何時ものことながら同じ状態、中越地震、阪神大震災、東日本大震災での避難所の生活状態は何も改善されてないのがTVニュース見ていて感じた。

避難生活改善は、難しいと思いますがテントを使うとか、心と気持ちの休まる場所の確保が必置、我々国民が出来る事は、義援金の送金と物資の提供で、プライバシーの保護の場所確保は出来ない。
先日、NHK特別番組で、元総務大臣、元県知事、現職の市長、学識経験者がTV討論していたが、皆さん当たり前の差しさわりの無い発言をしていたが、一人だけタレントでNPO活動をしている清水国明さんが出て居られ最後に言われた言葉が「此れからは、避難者が必要とされるのは、お金と居住する家の確保」・・と発言された。私はその通りだと感じた。

松山も何時発生してもおかしくないと言われている南海地震、これに対処する心構えは未だ何も出来ていない。
地震は恐ろしいと熊本地震を見て改めて感じた。
世界で一番地震の発生が多い国「日本列島」、明日は我が身である。

追記1:被災された家屋に入り財産の盗難、間違った情報を流し避難民を惑わす様な事は絶対やめて欲しい。

追記2:昨晩ラジオ深夜便を聞いておりましたら、17歳の熊本市の女の子が「支援物資をトラックで運んで頂いている運転手さん有り難う、ご苦労様、私達被災者は大変感謝いたしております。・・気を付けて運転して下さい。」とメールが届きましたと放送された。
此れを聞いた運転手さん涙が出るほど嬉しかったと思いました。
心と心の交流の事がお金よりも大きな力を生む原動力だと思いました。
私からも本当にご苦労様です。


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坂の上の雲画像で辿る新潟市 1

2016年04月11日 | 伊予松山歴史散策

画像は、新潟市江南区沢海にある「北方文化博物館の空撮」

伊予松山市と、越後国新潟市との関係はNHK坂の上の雲が放映されるまでは知られてなかった。
その関係が明るみになったのは新潟市江南区沢海、日枝神社境内に建立してある秋山好古が揮毫した石碑「忠魂碑」が切っ掛けであった。

古くは、江戸時代この地に新発田藩支藩、沢海藩があり、第4代藩主が伊予松山初代藩主、加藤嘉明の孫であった。
また、元禄時代赤穂浪士吉良邸討ち入りに際し、堀部安兵衛ら10名を伊予松山藩江戸中屋敷に収容し、切腹まで面倒をみた。
堀部安兵衛は新発田藩の出身、伊予松山藩中屋敷邸は現在イタリア大使館となり、館内に赤穂浪士に関する記念碑が建立されている。

明治維新後、大正2年に秋山好古が高田市にあった第13師団長とし在籍、そして伊澤新潟県知事は、前任地が愛媛県知事であった。
また、昭和5年8月20日に信濃川洪水の危機が迫り、工事の主任技官の宮本武之輔(松山市出身)が下流域の洪水を回避するため、仮締切堤防を独断で破壊したという信濃川大 河津分水路改修工事に従事した技術者宮本武之助の関係である。
この様な事柄がNHK坂の上の雲が放映された事で表面に出て来た。

前回、千葉県習志野市を研修した事を紹介したが、習志野に行く前日に新潟市でも研修したのである。
映像の力は計り知れないものがあり色んな潜在している物事が蘇る。
秋山兄弟生誕地で奉仕活動で行っている研究員達は、全国からお越しになられる皆さんをご案内する為に現地に伺い、現地の方から話を聞き知識の蓄積に努力しご案内の糧としている。
研修の費用は全て自費である。
では、新潟での研修を画像で見て下さい。


新潟市江南区沢海にある北方文化博物館の正面玄関


日枝神社境内に建立してある秋山好古が揮毫した石碑「忠魂碑」で、旧新潟県中蒲原郡横越村から日露戦役に出征し戦死された方は13名、その内、大町助作、斉藤源次郎氏が大字沢海から出征し戦死された。特に203高地奪回の激戦での戦死。
横越村は、戦死者の英霊を祀り後世に伝えるために村葬とし、忠魂碑を建立した。
その揮毫を秋山好古が大正2年に書した。秋山好古は当時第13師団長として新潟県高田に赴任していた。伊澤新潟県知事から特別な事柄として忠魂碑の揮毫依頼を受けた。
先ず最初の研修は、秋山好古が揮毫した忠魂碑で、「秋山好古と新潟の人びと」の著者、神田勝郎氏の説明を聞く事から始まった。


平成25年新潟市は、新潟市民文化遺産制度を制定、秋山好古が揮毫した石碑「忠魂碑」平成26年3月13日付で文化遺産に認定された。
認定された理由の一つに、現在も忠魂碑の前で、日露・大東亜戦争で亡くなった方々の慰霊祭を今も継続している行為が人の心の温もりが地域の宝として認定されたのと、揮毫者がNHK坂の上の雲の主人公であった事も加味されたのか??これは私の勝手の思いである。


さてここからが北方文化博物館で、司馬遼太郎、柳宋悦、バーナード・リーチ、浜田庄司も訪れ素晴らしい博物館で、所蔵している美術品が凄いと言っている。
画像は、北方文化博物館の主屋大広間。


北方文化博物館は、旧越後一の豪農伊藤家の屋敷跡である。


研修に伺った時、第8代伊藤文吉館長直々の説明案内をして頂いた。


第7代伊藤文吉館長とGHQ新潟司令長官との関係の記念碑。


第7代伊藤文吉館長とGHQ新潟司令長官との関係の記念碑。


北方文化博物館設立と名称の由来説明板で、博物館中庭に建立されている。
説明文を是非読んでみて下さい。
説明文に「ライト中尉が特別な行為をマッカーサー元帥に働きかけて、マッカーサー元帥が戦後最初の私立博物館の設立を許可した施設が北方文化博物館である。」

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石手川緑地公園で最後の花見を楽しむ人々

2016年04月07日 | 伊予松山歴史散策


昨日(4月6日)、市立図書館で借りた書籍の返却日であったので石手川緑地公園を通り図書の返却に行った。
その時の様子です。
写真を撮った石手川緑地公園の場所は、立花橋から末広橋の間で染井吉野桜が多く植栽されている緑地公園で花見を楽しむ人達で賑わっていた。
今日の松山は、朝から雨天で時より強い風が吹いており花も殆ど散ったのではないかと心配している。
明日は天候回復の予報、花よしっかりと踏みとどまり土日まで頑張って花を散らさないで欲しい。

画像は、石手川公園駅に郊外電車が停車している所で、鉄橋に駅ホームを設置している愛媛県では唯一の駅です。


若いお二人桜の下で!!


散歩する人、花見弁当を食べる人、それぞれの思いで時を過ごしている


石手川緑地公園で一番桜が沢山植栽されている所、今夜の夜桜鑑賞の為にシートが敷かれてあった


末広橋直ぐ上流の右岸


末広橋直ぐ上流の左岸で、若いお母さん方が幼児を連れてのお花見会


末広橋直ぐ下流の右岸で、此方も若いお母さん方が幼児を連れてのお花見会、遊具も設置してあり子供は大喜び
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染井吉野桜が満開・私の散歩道

2016年04月06日 | 伊予松山歴史散策


3月23日、松山地方気象台は、松山管内の染井吉野桜が開花したと宣言されてから14日目花は散り始めました。
本日(6日)午前中青空が見えたので先ほどカメラ持参で何時もの散歩道に出掛けました。
天山にも行って来ました。
私の散歩道には、染井吉野桜・陽光桜があり、染井吉野は満開が過ぎ散り始め、今年の花見も終わりになります。


私の散歩道に在る一番大きな染井吉野桜です。今一番の見頃です。




久しぶりに天山神社をお参り、石段は113段あります。


天山神社の記念碑と桜。


天山神社、氏子さんの庭で立派です。




今年の見納めの花となるかも?・・明日、明後日は雨天強風の天気予報なので。
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