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伊予松山城本丸・乾門東続櫓東折曲り塀にゴルフボールの傷跡発見

2017年07月03日 | 伊予松山歴史散策

画像は、現存12天守の一つ「伊予松山城天守」です。

 続塀にゴルフボールを打ち込んだとみられる傷跡が発見され、7月1日、伊予松山城本丸に行って確認して来ました。

本丸と二之丸を防御するために続塀が各所にありますが、その一つに乾門東続櫓と紫竹門西塀を繋ぐ、「乾門東続櫓続東折曲り塀・いぬいもんひがしつづきやぐらつづきひがしおれまがりべい」で、手前の塀は「紫竹門西塀」です。

」と称する長い名称の建造物があります。

この塀にゴルフボールを打ち込んだとみられる凹みが見つかりました。

現在、本丸の火災予防設備工事をしている工事関係者が、「乾門東続櫓続東折曲り塀」長さや約48mのこの塀に、ゴルフボールを打ち込んだとみられる直径3cm程の凹み12カ所を見つけ、また、塀の軒瓦の一部にも破損があり、同一の行為で発生したと見て、松山城総合事務所は「ゴルフボールを手で投げた程度ではなく、クラブで打つとか、かなりの衝撃的なもの」と判断し、被害届を提出したそうです。愛媛県警察松山東署は、建造物損壊容疑で捜査しています。

上記の事を平成29年6月29日、TBSで全国放送されました。

放送を見られて埼玉県からお越しになったご夫婦が、ゴルフボールを打ち込み傷がある所は何処ですかとの質問がありご案内しました。TVの影響は凄いです。

私が確認出来たのは9カ所でした。

手前の、白塀が紫竹門西塀で、その左に黒い塀が、「乾門東続櫓続東折曲り塀」で、長さや約48mの塀にゴルフボールを打ち込んだとみられる直径3cm程の凹み12カ所が見つかりました。

城外から見た、乾門東続櫓続東折曲り塀です。

城内から見た、奥の塀が「乾門東続櫓続東折曲り塀」で、手前の塀は「紫竹門西塀」です。

乾門東続櫓続東折曲り塀は、昭和20年7月26日松山大空襲で焼失、昭和57年11月10日、復元竣工しました。

今回の、ゴルフボール事件は、乾門東続櫓続東折曲り塀のみに12カ所の傷が見つかりました。

乾門東続櫓続東折曲り塀で、画像の間にゴルフボールの傷跡が4ヵ所と、軒瓦1ヵ所、そして落書きが1ヵ所ありました。

乾門東続櫓続東折曲り塀の一部で、この間にゴルフボールの傷跡が1ヵ所ありました。

乾門東続櫓続東折曲り塀の一部で、この間に4ヵ所ありました。

ゴルフボールが撃ち込まれて出来た傷跡です。

ゴルフボールが撃ち込まれて出来た傷跡と、ゴルフボールが当たり、軒瓦が割れた個所です。

ゴルフボールが撃ち込まれた時壁に当たらず、軒瓦に当たり割れたものです。

それを下から見た軒瓦です。

落書きが見つかりました。S63年5月27日、写生大会・・と書かれています。

伊予松山城本丸の建造物には、落書きは少ないのですが、よく観るとありますね。

これは、乾門東続櫓続東折曲り塀にある狭間の一つですが、今回のゴルフボール事件とは関係ないものです。昭和57年11月10日、復元してから35年の月日が経ち劣化が現れています。

乾門東続櫓続東折曲り塀の下にある「屏風折れの石垣」の一部を修復した時の表示板で、塀に向かって設置しているため観光に来られた方々には見にくい置き方です。

修復工事は、昭和49年12月7日着手~昭和50年3月20日完成です。

ゴルフボールが撃ち込まれて出来た傷跡は、この表示板の後ろの塀にもあります。

乾門復元工事記念の石碑で、此れは良く見えるように建立されています。

乾門は、伊予松山城築城当時、松前城にあった門を移築したもので、乾櫓、筒井門(昭和24年狂人により焼失)と共に最も古い建造物でしたが、昭和20年7月26日、松山空襲で焼失し、昭和昭和57年10月20日、復元竣工されました。

ゴルフボールが撃ち込まれて出来た傷跡は、この石碑の後ろの塀にもあります。

伊予松山城本丸の全体図で、乾門東続櫓続東折曲り塀の位置を示しました。

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