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EEK紀行・画像で回顧 現存12天守 4 国宝犬山城天守

2017年09月17日 | 伊予松山歴史散策

平成19年11月19日に伺った。

登城口には、国宝犬山城と揮毫された大きな記念碑が建立してあった。

記念碑の建立は、平成16年4月1日、財団法人犬山城白帝文庫が設立され、それを記念して建立され、揮毫は、成瀬淳子理事長さんです。

さて、犬山城天守は、松本城、彦根城、姫路城、松江城と並ぶ国宝5城の一つで、別名「白帝城」と言われている。天文6年(1537)に織田信康によって、木之下城から城郭を移築して作られたと伝えられ、元和3年(1617)に成瀬正成が入城して以降は、成瀬家が代々城主を務め、日本で唯一個人所有の城として保存されてきたが、平成16年、「財団法人犬山城白帝文庫」を設立その所有となり、平成25年4月1日付けで、公益財団法人犬山城白帝文庫に移行している。

天守は、初期望楼型3層4階地下2階の構造で、高欄(廻縁)がある。天守最上階からは、木曽川や濃尾平野が一望出来、丸岡城天守と共に最古の天守と言われている。

最近、歴史女子「歴女・城ガール」と呼ばれる女性は、登城記念の御朱印を受けながら名城巡りを楽しむ城ガールが増えて来た。伊予松山城でも女性の城愛好者が大勢やって来る。

但し、登城記念の御朱印が受けられる城は限られている。

犬山城天守は、昭和10年、国宝に指定されたが、昭和25年5月30日、重要文化財保護法が制定され、昭和27年3月29日、第44号目の国宝に再指定された。昭和40年、解体修理が行われ、全国唯一の個人所有の城として保存されてきたが、平成16年4月1日、財団法人犬山城白帝文庫が設立され、財団法人の所有となり、平成25年4月1日付けで公益財団法人犬山城白帝文庫へ移行、理事長は、成瀬淳子氏で現在に至っている。

公益財団法人犬山城白帝文庫の事務所前を通り登城すると、犬山城の大きな櫓門(鉄門)が見えて来る。

鉄門を潜ると犬山城の沿革説明版が掲示してある。

日本100名城のスタンプは、鉄門にある管理事務所に私が伺った時は置いてあった。

鉄門を潜ると、本丸広場に出る。伺った平成19年11月19日は、日本晴れの快晴で青空を背景に素晴らしい天守を撮る事が出来た。

天守の高さは約24mとか19mとか18mとか資料によると天守の高さが異なって表記されている。24mの場合は天守台5mを含み、19mと表記してあるものは、天守台は含まれてない数値か?。

天守の高さに付いてはいろんな書籍により数値がバラバラでどれが本当なのかはっきりしない。

本丸から見た天守で、構造は、複合型初期望楼3層4階地階2階、築城年は、文明元年(1469)、元和6年(1620)改築とある。

城は、織田信秀(信長の父)の弟である信康が天文6年(1537)に今の天守のある丘続きの三光寺山に築城したのが始まりで、信長の美濃攻略や小牧長久手の戦いの舞台となり、慶長5年(1600)に入城した石川光吉により今の犬山城の規模となった。

元和3年(1617)に尾張徳川家の付家老、成瀬正成が城主となり、名古屋城の支城となった。・・と資料にある。

天守付櫓の横にある築城当時からあると言われる杉の老木で、枯れる前は、天守と同じ位の高さがあり、落雷には天守の身代わりに、台風には風よけになり、自然災害から城を守る御神木として大切に崇められてきたが昭和40年その役目を果たし枯れてしまった。・・と説明版に記載されている。

犬山城天守の御神木「大杉様」の説明版。

犬山城の天守は、地下に出入口があり、1階部分、南東角に付櫓を持つ、複合式と呼ばれる造りで、付櫓とは天守とつながっている櫓のことで、敵兵が侵入しそうな時に側面から攻撃を加えるための、この付櫓は明治24年(1891)の濃尾地震で壊れたが、のちに復元されたとある。

 

地階天守入口。

天守の階段、現存12天守の階段はどれも急勾配である。

昭和27年3月29日、犬山城天守国宝指定書が天守内に掲示してある。

 

財団法人「白帝文庫」賛助会員芳名一覧が掲示してあった。

 

 

天守内部に掲示してある、藩政時代の各大名の配置とその石高一覧表。

犬山城天守「解体骨組み模型」。

犬山城天守の模型。

 

天守内には、上段の間がある。広さは12畳敷きで床の間と床棚が設けられていて、これは籠城戦の際、城主の居所となる場所だそうです。

天守最上階は、赤い絨毯が敷き詰めてあった。

天守から見た本丸広場。

天守最上階には、回廊(廻り縁)があり、木曽川上流を眺める。架かる橋は「犬山橋」。

石垣は全て野面積みであった。

木曽川南岸の崖にそびえる天守で、高さ88mの城山に現存最古と言われる天守が聳え、木曽川が天然の要塞となっている。

ライトアップされた犬山城天守で、別名白帝城と言い、中国の李白の詩になぞらえ、荻生徂徠が命名したそうです。

平成29年8月12日午後5時ごろ、国宝犬山城の、天守北側にある鯱の尾の部分などが落雷の衝撃で破損したとTVで放映された。

画像右側が北側の鯱である。天守棟等々に見える導線が避雷針で、避雷針が設置してあったので最小の被害で収まったのでは?

 

 

 

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