小正月を前にした13日に、今年初めての「ちい旅」へ出かけて来た。
当日になって、何時も案内役のK子さん宅へと寄ると、車に乗り込んだK子さん「今日は児玉の虚空蔵尊の縁日だからそこへ行ってみよう」と聞かされて、私の頭の中を児玉・虚空蔵尊・縁日といった語が急に駆け巡った。
これらの語から、今日は正月13日の小正月前であったことをあらためて意識した。
そういえば前回の記事には大正月と表題を付けたのだったっけ。
児玉の虚空蔵尊の縁日は、お盆の前に「草の市」がたてられて、そこで盆に必要な物品が買い求められたのと同じように、小正月の行事に必要な品物を買い揃えるためのものといった性格もあったことを、ここに連載している記事「おんべかつぎ」の参考のための文献を漁っていた時に見出していたことや、その書に、少し前まで、ここの縁日には、小正月に飾られる「ケズリバナ」のハナを削る為の刃物(カンナ)が売り出されていたのだと云うことが記されていたことが、ズルズルと私の記憶ファイルから引き出されて来た。
前日に、K藤さんから、今回のちい旅は深谷の渋沢記念館で催されている企画展に出かけるのだと連絡を頂いていて、こちらにも興は引かれていたが、それにも勝して、この縁日を訪ねることの出来ることと併せて、虚空蔵尊を訪ねる前に、近くに在る小平地内の「石神神社」や百体石仏の「岩谷堂」へも立ち寄ろうとの事であったから、「おんべかつぎ」の記事を書き進めている私の為に用意された目的地のようなもので、願ったり!!叶ったり!!である。と、こうした機会を用意してくれたK子さんにも腹の中で感謝した。
児玉インターで高速を降り、児玉の街中を通り抜け、百体観音さざえ堂の成身院の前を通り過ぎる時には、K子さんから「右遶三匝(うにょうさんそう)で廻るのは、本当は違うようなことを書いていたよな」と言葉を掛けられ、私は自分のブログ記事で、この話題について中途で放ったままにしてあることに冷や汗した。
石神神社は境内に立てられていた説明板によると、慶長元年(1596年)創立と伝わるとあって、正式名称も、「しゃくじ」や「いしがみ」ではなく、「せきじんじんじゃ」と呼ぶようで、杓文字の奉納も、咳に関わる願掛けも行われて来た様子もなく、どうも私の個人的に期待しているような性格の神社ではないようだなぁ。と思いながらの見学したのだったが、この後から訪ねた本庄の街中の寺でK藤さんが見つけて頂いて来た刷物の中に、この神社の内陣には二本の石棒が祀られてあることが記されてあった。
石神神社
この石棒が神社の創立よりも前から此処に祀られてあったものなのか?。或いは新しく創立後に祀り込まれたものなのか?。気になるところである。
石神神社・境内社
岩谷堂と呼ばれる場所に訪れられることを期待して来たK子さんだったようだが、その在り処が判らずに願いは叶われなかった。(この日私は出かけにスマホを自宅に置き忘れてしまっていた。在ったら地図検索も出来たのに・・・)
さて、いよいよ縁日の行われている虚空蔵尊への道を辿っている際、その途中で「日本神社」と呼ばれる小さな神社があるが、ここがサッカー日本チームの応援で有名であるのだと教えられた。(帰って来てから調べたら、付近にあった神祠を合祀してこう呼ぶようになったとのことだが、その内の一社に「石神社」があることを知った。私にはこちらが気になって、機会を作って訪れてみなくては・・。)
縁日の行われている高柳山虚空蔵寺は県道児玉秩父線脇の小高い丘の上、小山川の流れを見下ろす場所に在り、直ぐ秩父よりの場所には「骨波田(こっぱた)の藤」で有名な長泉寺、川を挟んで対岸にKさんたちが教えてくれた「日本神社」は在るようだが、何度もこの道は行き来したことがあっても、この寺へも神社にも私は立ち寄ったことはなく、今回初めて訪れることになった場所である。
小山川の土手上に設けられている駐車場に車を停めて寺へ。
外気は冷たいものの、風もなく穏やかな冬に日差しを受けて、寺の在る高柳の山は木々が光を照り返して、寺の前に掲げられた五色の幟が山の中腹に見え、旧県道には露天の出店もあって、交通整理の人やら中高年の人たちばかりのようだったが参詣人が寺への坂道を登っている姿も見え、普段であったなら寂しい印象を受ける所なのだろうが、空には花火も鳴って縁日の華やいだ雰囲気に覆われている。
参道の入り口に立てられた看板に「早天」の文字を見つけたK藤さん、「縁日の始まる時間を指しているのだろうけど、早天て何時のことを云うのだろうね」。
不明なことが在ると直ぐに気にかけて、それを質そうとする習癖が板についていて、見習わなくてはいけないと何時も思わされているのだが、後で調べてみたら、この「早天」と云う簿は「早朝」と同じ意味を持つようだ。
恥ずかしながら、その場で私は「中天」の語があるのだから、その少し前の時刻でも指す語なのかも知れないですね。などといい加減なことを云ってしまった。
坂上田村麻呂の伝説もある古くからの寺のようだが、参道を登り切った所に建つお堂の中からは読経が聞こえ、大勢の人が詰めてお札を授けていたり、古い達磨がお炊き上げされたりしていて、眼下には小山川の流れが銀色の帯を展ばしたように眺められた。
虚空蔵尊
虚空蔵尊・説明版
お堂に参拝後に旧の県道ではなかったかと思しき道筋を車を通行止めにして四軒(焼饅頭屋・農具/刃物・竹製品/木工品/曲げ物・達磨屋)ばかりの露天が出ていて、珍竹林さんは細身をした筍掘り用の鍬を買い込んだ。
今までにも幾度かこの縁日に訪れたことのあると云うK子さんに依れば、今回、店の出ていた場所ではない所に、もっと数多くの露天の出店があったと云われていたが、先にも記したように、かつては小正月の飾り物や必用品も商われていて、これを求めに遠くからの参詣もあったというから然も在りなんと思うが、私が気に掛けていた「ケズリバナ」づくりに用いられる刃物(カンナ)は売られては居なかった。
小正月を前にした日に、この虚空蔵尊へと出かけて来たことに対して、私は否応なしに当ブログ記事として書き連ねている「おんべかつぎ」で取り上げた「ケズリバナ」・「カズリカケ」を作るための道具が此処の縁日で売られていたという関わりを意識した。
「石神神社」に祀られているという二本の石棒のこと。「日本神社」に合祀されている「石神社」のこと。
加えて、以前に案内されて訪ねたことのあった、すぐ近くの秋山に在る御嶽神社の「大魔羅さま」のこと。など石神や石棒・男根の示す意味合いについても意識した。
百体観音・成身院さざえ堂のお参りの仕方であり、K子さんの口からも洩れた「右遶三匝」のこと。
虚空蔵尊の名の元になっている「虚空蔵菩薩」を取り巻く信仰についてにも意識が及んだ。
これら私がこの日に意識した事柄は全て、これまでも、そしてこれからも「おんべかつぎ」を書き進めて行く上で重要な意味を持っている。
小正月を前にした日に、これに纏わる場所や事物に巡り合わせられる「ちい旅」となったのも何かの縁であろうと感じ、今年こそは、今までに書き始めては中途で結論までには至っていない、「龍神の話」・「廻る事(右遶三匝)」などの記事も含め、「おんべかつぎ」の記事を通して、我が体操(貞観法・和らぎ体操)を考案してきた上で基本に成っていて、私の一番に訴えたく思っている考え方についての結びを披瀝したいものだと強く思った次第である。
その他の見学地
本庄街中/ 金讃神社・円心寺・安養院
深谷 渋沢栄一記念館
妻沼 能護寺・聖天院