その当時は現在のように火葬されたお骨が四十九日まで自宅に安置され、祭壇を設けられてから後に墓地にと埋葬されるのとは違い、死後の供養というものも今と比較すると随分と丁寧でありました。
最低でも七日ごとに初七日、二七日といった具合に六回は墓地へとお参りして、前述したところの塔婆を七日ごとに引っくり返して帰ってきたものでしたが、その七日ごとのお参りには欠かさずに私も祖母と一緒に二人で、老人と子供の足では片道歩いて20分くらいかかる道のりを寺の墓地までと出向いたのでした。
四十九日の法要もしっかりと執り行われ、今のように告別式と合わせて済ませてしまうなどといったことはありませんでした。
この七日ごとの墓参りの際には、祖母より聞かされたようにして、イヌやタヌキによって墓荒らしがされて、撥ね竹が実際にその役目を果たさねばならないようになってしまったものかどうか、毎回それが気になって、墓地に着くと線香や花を手向けるよりも何よりも先に、念入りに墓の状況を確認することがまず第一番目の私の役目であるかのようにして、墳丘にこれらの痕跡があるかどうか検査したものです。
「掘り返された痕はねぇから、お爺さん喰われねぇで良かったんねぇ」
「あぁ、今じゃ、そんな事も起こらねぇだんべけんどもなぁ、昔にはあったみてぇだいなぁ」
「イヌって言うんなぁ、おっかねぇ(怖い)んだね」
「あぁ、おっかねせともさ、死んだ人を喰い散らかすだけじゃぁねぇぞ、表ん家のよっちゃんだって咬み付かれたことがあったんべがな、時によっちゃぁ、生きてるモンにだって咬み付いてくることだってあるんだからな」
「ふう~ん、じゃぁ、イヌにヤラレソウニなった時にゃぁ、どうするん?。逃げるしかねぇんかい?」
「な~に逃げちゃぁなんねぇ。逃げたってイヌにかないっこねぇだんべがな、逃げたら喰いつかれるだけだぞ」
「そんじゃぁ、どうするん?」
「イヌの目を睨み付けながらなぁ、こうやって右手の親指を他の指で包みこむようにして拳をつくるんだ。そしたら、その拳をイヌに向かって突き出して、『イヌヨ、イネ』とおっきな声を出して何回もお唱えすれば、イヌの方が逃げ出して行くって昔から言われているんだから、おめぇも犬に咬み付かれそうにでもなった時にゃぁ、このことを良く憶えておいてやってみろやい」
何度目かの墓参りの時、祖母とこんなやり取りがあり、イヌに襲われそうになった時のイヌの撃退法も教わったのでしたが、正直なところ、この方法を教わった時からの時間が半世紀も経ってしまっていますから、イヌに対して発する言葉が「イヌヨイネ」であったのか「イヌヨイヌレ」であったのか、どちらが正しかったか今一つ正確に思い出せないのです。(どちらかだったのですが)
この話を聞いてから後、今現在に至る迄の間、私はイヌに襲われた事はお蔭様でありませんでしたから、祖母から教えられた、このイヌの撃退法を実際に試したことはありません。
この呪文のような言葉は、内容としては犬に対して「立ち去れ」と命令を下しているのでしょうが、「イヌヨ(犬よ)」に続く、後の「イネ」であっても「イヌレ」の語であっても、現代語の用例の中に見出すことは出来ませんし、埼玉県北部の方言の中にも見出すことが出来ないのです。
こうした事実については随分と若い頃から私には気にかかっていたことでした。
試みにGOO辞書「大辞林」で検索してみると「イヌ」については
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%A4%A4%CC&kind=jn&mode=0&base=1&row=3
「イヌル」については
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%A4%A4%CC%A4%EB&kind=jn&mode=0&kwassist=0
とあり、祖母が教えてくれた言葉の用向きからして、これらに記されてある意味からして、それを分かりやすく漢字表記したら「去ね・往ね」ないしは「去ぬる・往ぬる」が相応しいのではないかと思われます。
ただ、ここには私の聞いた「イネ」や「イヌレ」の双方ともの語は掲載されてはいませんでした。もとより古語についての素養など持ち合わせぬわが身ですから、「イネ」や「イヌレ」の語が、「イヌ」や「イヌル」といった語の活用形の中にあるものなのかどうか分かりかねますが、私的には「去ね・往ね」や「去ぬれ・往ぬれ」が「イヌ」という動詞の命令形として在っても不自然ではないようにも考えるのですが・・・どうなのでしょうか?
関西や,特に中国地方では、まだ年配者の中には「イヌ」や「イヌル」を使われる方もあるとかですが、私の周りではあまり聞き覚えの無い言葉で、祖母がこの時に教えてくれた例以外には耳にしたことが私には無いのです。
古い時代に使われていた「古語」であることには違いがないようですから、恐らく、この呪文のようなお唱えのような「イヌ(犬)を追い払うための言葉」は、祖母の言った通りに、古い昔から伝わってきたものではなかったかと私にも想像されるのです。
さらに、この言葉によって撃退しなければならなかった対象の「イヌ(犬)」というのは、「野犬」であっても「ヤマイヌ」であっても「オオカミ」であっても、その区別はきっと無かったのではないかと考えるのです。
凶暴そうな広義での「イヌ」と遭遇した時に、こうした方法をとると良いとした伝承があることを、祖母を介して私が伝えられたことだったのではなかったと感じているのです。
どなたか同じような体験をお持ちの方があったら、是非にも教えていただきたいものだと思います。
併せて、この言葉をイヌに向かって発する時に親指を他の指で握り込み拳を作りながら命令する。といった所作に何らかの意味合いがあるかどうかについて、これを「和らぎ体操」的に理解すると、言葉を唱えながらこうした所作の形をとることによって、襲われそうになった時、その人の心の動揺を抑える働きがあることになるのですが・・・・・