奥州糠部 九戸四門~西門の歴史~

岩手県二戸郡の歴史と風景をご紹介します。浄法寺町を支配していた浄法寺氏とその先祖畠山重忠も扱っています。

重慶ゆかりの日光 轟城と龍蔵寺

2009年05月25日 | 重慶と浄法寺氏
先日、栃木県の日光市に行ってきました。
まずは浄法寺の祖と伝わる畠山重忠の三男、阿闍梨重慶が住んだという轟城へ。

轟城への入口は館坂上のバス停のそばにあります。案内板が建っていますが小さいので見逃すかもしれません。
轟城の轟は「とどろく」と読みます。





バスの時刻・運賃案内(PDF)


轟城


井戸跡?











石橋


続いて、重慶が庵を建てたことに始まるという龍蔵寺へ。
案内板があるかと思い、探しましたがありませんでした。




本堂


重慶阿闍梨塔(墓碑)


墓碑の前で拝んだ後に写真を撮って、東照宮へ。
二荒山神社と輪王寺は時間が足りなくて拝観できず…。
帰りに宇都宮市のみんみん本店に寄って餃子を食してきました。
王将の餃子とそんなに値段が変わらないので驚きました、安いですね・・・・


平成の大修理、期間は平成36年(2024)まで予定されています。


埼玉のSAで発見、天地人のサクマドロップス


曹洞宗 龍岩寺「相馬大作と関良助の墓」

2009年05月23日 | 二戸市
二戸市福岡の南部信直公の葬儀を行ったと伝わる場所に曹洞宗のお寺、龍岩寺があります。
同寺に、二戸の偉人として知られる下斗米秀之進将真(相馬大作)と、その門弟で同志の関良助の墓が残されています。

下斗米秀之進将真の先祖は、三戸城(聖寿寺館)を放火した赤沼備中を討った下斗米将家と伝わっています。
この下斗米氏は千葉氏の流れを汲む相馬氏の末裔で、将家の父である将達の代から六代以上に亘って、相馬氏の祖である平将門の「将」の字を通字として用いていました。

盛岡タイムス
〈古文書を旅する〉42 工藤利悦 「相馬大作事件の下斗米氏のこと」

関良助は鹿角花輪の小田島宗家の出といわれており、浄法寺に在住していた叔父である関氏の養子になり浄法寺に移住したようです。
今でも浄法寺に末裔が住んでいます。
浄法寺近郊の関氏は三戸郡関村(田子?)発祥の関氏(下斗米氏)や、浄法寺や安代発祥の関氏(木地師、小野宮親王後裔?)がいます。
浄法寺氏が没落した当時の浄法寺氏家臣、関与平治定政は下斗米氏流の「定」を用いているため下斗米氏の流れだと思われます。
鹿角の関氏がこのニつの関氏に由来するかはわかりません。



 この碑の右にある墓は当地方の生んだ英傑相馬大作先生と義挙に加わった
同志関良助の御墓である。先生は本名を下斗米秀之進将真といい、南部盛岡
藩士であったが、津軽公に隠居勧告状を送った後浪人となり、関良助を伴って
江戸へ行き相馬大作と称していた。しかし二人は捕らえられ、入牢一年余りの
後文政五年八月二十九日小塚原で処刑された。両人の遺体を南千住の回向
院に埋葬し美濃屋宗三郎が施主となり大観居士(大作)、利白(良助)の戒名
を刻してお墓を建てた。昭和四十五年、回向院の了解を得て御墓を先生の菩
提寺当龍岩寺に移したのである。
 この墓域にある南部信直公御葬礼場碑は当地にある九戸城を八年間居城と
し宮野といわれていたこの地を福岡と改め寛容な政治を行いこの城で病没した
南部藩中興の名君信直公の遺徳を忍ぶためのものである。大作先生・関良助
・下斗米惣蔵・一條小太郎の四氏の塔は大作先生および義挙を共にした同志
の人々を弔うためものである。これらの碑と塔は大正十一年当地方の多くの人
々の協力により信直公の御葬礼場趾に建てられたが大作先生の御墓を迎えた
ときここに移したのである。

 昭和五十一年十二月 相馬大作先生顕彰会々長 下斗米直昌撰


下斗米秀之進将真の墓



関良助の墓

南部信直公御葬礼場碑



本堂


石徳五訓



門(本堂側から)




みんな読んでる 岩手日報(田中舘博士は秀之進将真の姉の子孫)

曹洞宗 吉祥山福蔵寺

2009年05月19日 | 二戸市
現在の浄法寺町には二つの寺院があります。
一つは天台宗の八葉山天台寺です。同寺は瀬戸内寂聴氏が住職を務めていたことで知られています。
瀬戸内寂聴氏は住職を退任なされた現在も、名誉住職として年に数回法話をなされています。

石仏


もう一つは曹洞宗の吉祥山福蔵寺です。
同寺は天文十五年(1546年)に開創し、永禄元年(1558年)に盛岡の源勝寺7世朔圃が末寺として開創したと云います。
福蔵寺に纏わる話として、藩主南部信直公の葬儀が二戸の龍岩寺で行われた際に棺が舞い上がった、これを福蔵寺
五世大突住職が回向で静めたといい、これは住職の飼い猫の霊力と云われています。
境内に猫塚の碑が残されています。猫塚については現在残されておらず、どこにあったかもわからないそうです。

寺紋は武田氏の氏族が用いる四つ割菱です。

二戸市商工会 二戸の民話【猫塚物語】

福蔵寺に一戸氏の流れを汲む(野田氏?)武将の墓があるそうです。






北舘

本堂



地蔵(昔は首なしでした)

猫塚の碑




二戸の折爪三元豚・佐助が食べられるお店「むら八」

2009年05月17日 | 二戸市


盛岡の駅ビルのフェザン地下に「むら八」というとんかつ屋があります。
この「むら八」では、二戸の久慈ファームの折爪三元豚・佐助を使ったとんかつや、ステーキを頂くことができます。
今回は佐助豚ロース定食をステーキにして頂きましたが、大変美味しゅうございました。  

当日、盛岡藩南部氏の菩提寺である聖寿寺や東禅寺を訪れていたので上田本店の近くを通っていましたが、フェザンで食してきました。
実はフェザンに岩手短角牛の使った料理を出すお店があるので迷っていましたが、二戸産ということでこちらを選びました。
店員の接客も良かったので結果的にこちらにして正解でした。とんかつの店としても有名なのでオススメです。



盛岡冷麺缶

えぇと驚きましたが、原材料に使われていませんでした。(ウニも小麦粉も入っていない)

九戸政実が愛でた 二戸の古梅園

2009年05月15日 | 北の英雄 九戸政実
二戸市の古梅園です。
徒歩の場合、九戸城から15分程度でしょうか。
九戸城から向かう途中に、盛岡の「福田パン」と双璧をなす?「丹市パン」や、浄法寺塗りの漆器屋「浄法寺うるし工芸」があります。






古梅園は九戸政実が好んで清遊された庭園で、とりわけこの老
梅は風姿恰し蟠竜の如く、政実遺愛の一本と伝えられている。
淡紅の花は六弁の梅と呼ばれ親しまれて、今尚こよなき芳香を放っている。

古歌に
年ふとも 花は老いせぬ色香にて 今の昔やなお忍らん

                 小保内 定安

九戸神社












いつ来ても買えない丹市パン(日曜・祝日、年末年始、お盆は定休日のため)
一度しか買えたことがない。