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欧米に逆行する経済政策を警告しない社説に失望

2021年11月08日 | メディア論

 

与野党とも危機感なし

2021年11月8日

 米国の中央銀行(FRB)が量的金融緩和の縮小を開始します。新型コロナ禍による経済危機が収まる一方、物価上昇が目立ってきたからです。カナダは量的緩和の終了を決め、英国も24年度までに、コロナ対策で赤字が膨らんだ財政再建をするそうです。

 

 主要国はコロナ危機で傷んだ金融財政を正常化する方向に向かっていきます。岸田政権は「新しい資本主義実現会議」を設け、「成長と分配の好循環」を目指す。その前提として、日本の金融財政政策の方向をどう転換させるかが最重要の問題なのに、危機感が全くありません。

 

 今が金融財政政策の国際的、歴史的な転換点なのです。こういう基本的な国家路線のあり方が問われる時ほど、新聞の社説の価値が問われます。主要紙を一読してみると、失望するばかりです。

 

 朝日新聞は「コロナ禍の下でも危機対応から安定成長に、いかに注意深く軟着陸するか」「米当局は世界経済への波及効果にも十分目配りしてほしい」と、主張しました。日本の社説が指摘しなくても、米FRBは当然「軟着陸」を考え、「目配り」もしているのです。

 

 日本では、「物価上昇2%目標をまだ達成していない」として、日銀は現行政策を維持します。それについて、朝日新聞は「国際的な市況の上昇(資源高)や円安を通じ、輸入物価が上がってきた。企業収益や家計負担に悪影響を与えていないか注視が必要だ」と。

 

 さらに「景気回復の道筋を確かにするためにも、先行きに予断を持つことは許されない」と。「注視が必要」「予断を持つな」も、言わずもがなの指摘です。読む価値がない社説の典型的な例です。

 

 新聞週間の世論調査(読売10/14日)で「新聞に期待していることは何ですか」の問いに、「情報の正確な伝達73%」「事実を分かりやすく伝達61%」に対し、「新聞社の主張の提示7%」と、最下位です。その意味は「この程度の社説なら要らない」が読者の実感なのです。

 

 真偽がごちゃ混ぜ、党派色の強い情報が氾濫するネット社会だからこそ、基本的な判断が問われるのです。社説に求められる社会的役割が高まっているはずなのに、それに応えていない。

 

 経済専門紙の日経新聞はどうか。「金融政策のかじ取り難しさを増している。国内外に十分目配りした慎重な政策運営を期待したい」と。そんなことを言われなくても、米FRBは分かっている。読む価値が乏しい。

 

 日経は「経済・物価の動向を予断なく見極め、市場との粘り強く対話を続けてほしい」とも。この「市場との対話の必要性」は、メディアの常識的用語になっています。「そう言っておけば、何かまともな主張をした」かのような錯覚に陥っているのです。

 

 「政策当局との対話」に期待するのは間違いです。そんなものに頼るから市場が政策当局をけん制できない。政策当局の説明には、相当なウソが含まれている。その典型が黒田日銀総裁の「2年、2%物価上昇、通貨供給量2倍」の「2年、2%、2倍」のウソを今も引っ込めていません。

 

 政策当局は異常な金融緩和、財政拡大で市場を左右してきた結果、市場は政策当局の挙動、言動に引きずられ、自らの判断力を失ってきました。経済専門紙なら「市場は自らの判断力を降り戻せ」というべきです。

 

 読売新聞はどうか。「経済動向を見極め慎重に金融正常化を進めてほしい」、「景気に目配りした政策運営とともに丁寧な情報発信が不可欠だ」、「過度な円安はマイナス面もある。政府・日銀はFRBの政策転換の影響を注視すべきだ」と。

 

 これも「慎重に」「丁寧な」「注視すべきだ」と、社説の常套用語を並べています。「そんなことは言われなくても分かっている」「日本はどうすべきなのかの主張が全くない」と言われるだけでしょう。

 

 異常な金融緩和政策からの転換を図り始めた欧米主要国に対し、日本は逆走している印象です。岸田政権は数十兆円の経済対策を打ちだそうとしています。米国議会はバイデン大統領の経済対策(当初400兆円)をけん制し、半分の200兆円に減らさせることにしました。

 

 日本は与野党ともバラマキ体質で、金融財政の正常化の声は皆無です。酷いのは公明党で、「未来応援給付金として、18歳以下に一律10万円支給」を売り物にしています。一律ですから所得制限なしのバラマキです。一回限りの10万円がなぜ「未来応援」になるのかも理解できない。

 

 「デフレ脱却のための異次元金融緩和」がいつの間にか「円安誘導、財政膨張を下支えする日銀の国債購入」にすり替わりました。円安に資源高が重なり、日本の対外支払いが増える「悪い円安」が始まっているのに、日銀は沈黙したままです。

 

 「成長なくして財政再建なし」「成長なくして分配なし」が与党の政治的スローガンです。そう言い続けて20年、30年です。そう言い続けて、財政赤字(国家債務残高)のGDP比は50%から250%に跳ね上がりました。金融財政政策では、財政再建を可能にする経済成長力を取り戻せない。

 

 「日本は国家資本主義国」です。巨大な財政赤字と通貨供給量が示す「巨大な政府と日銀」が国家経済の土台になっています。「新しい資本主義」を目指すなら、この「国家資本主義」をどう考えるかです。

 

 経済危機に襲われ、大規模な財政出動、金融緩和をするとマネーが市場にあふれ、株高が生じる。危機が去り、金融財政政策の正常化を始めようとすると株が下落するので、正常化に待ったがかかる。そのうちに再び経済危機が訪れ、また拡張的な財政金融に追い込まれる。

 

 その危機が去り、再び正常化すべき時期がきたとしても、それに待ったがかかる。その繰り返しです。特に日本では、その結果、膨大な財政赤字が積みあがった。だから膨張的な拡張政策に踏み込むと、いつまでも正常化できない。

 

 世界的に成長率が低下しているため、各国ともに似たような状況で、正常化が容易ではなくなっている。そういうことなのだと思います。

 

 社説が取り上げるべきは、そういう問題なのです。社説は異口同音に常套用語で飾り立て、本質的な問題提起することから逃げています。

 

 

 

 

 

 

 

 


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