消えゆく霧のごとく(クンちゃん山荘ほっちゃれ日記)   ほっちゃれ、とは、ほっちゃれ!

きらきら輝く相模湾。はるか東には房総半島の黒い連なり。同じようでいて、毎日変わる景色。きょうも穏やかな日でありますよう。

【韓国経済 最新】速報 北朝鮮の金正男氏 マレーシアで粛清される!正男待望論が密かに出て邪魔になったか douga yukaina 中国編

2017年02月15日 10時08分54秒 | あまりに日常的な光景
 日本でも、明治以前のサムライ社会では、文字どおり「骨肉相食む」現実がありました。

 しかし、この国では、カテゴリー名にあげましたように、今でも、「あまりに日常的な光景」なのかもしれません。
 (正男さんてのは、モグリで子ども連れて浦安のディズニーランドに来た人でしたか?)


韓国経済 最新】速報 北朝鮮の金正男氏 マレーシアで粛清される!正男待望論が密かに出て邪魔になったか douga yukaina 中国編

33年前、秋田から大宮まで

2017年02月15日 09時45分30秒 | 日記
   なかなか乗る機会がありませんが、
  寝台列車の旅は、わくわくしますよね!


 国内では、寝台列車に乗ったのはたった1回だけです。

 33年前のいまごろ、秋田から大宮まで4人用車室の下段で一夜を過ごし、浦和の自宅に帰りました。
 いまなら秋田新幹線でぴゅーと行ったり来たりしてしまいますが…。

 そのころの私は、間もなく会社勤めを辞めてフリーランスになろうとしていた時期でした。おそらく食い詰めるであろうと考え、その対策として有給休暇消化の間に、山形県東根市の合宿教習所で大型、大型特殊の運転免許を取得しました。その、回り道の帰途、酒田を経て、雪の鳥海山を右に見て日本海沿いに北上。当時秋田支局在勤の友人夫妻方に泊まらせてもらい、歓談しての帰りでした。大宮駅で乗り過ごしてしまうんじゃないかと心配しつつ、とろとろとまどろんだことを覚えています。

 外国では、この4年前に、北京から、行き先は記憶が混乱しているのですが、河北省・石家荘か山西省・太原へ向けて、4人車室の「軟座車」上段(昼間は通常座席の状態)に乗りました。日中友好の派遣団の一員でした。
 
 20年ほど前の夏、渥美清さんが亡くなった年でしたが、タイ各地に1か月ほど滞在。そのとき、バンコクからチェンマイまで4人車室で行きました。途中で駅やら駅でないとこやらで列車が停車すると、土地の人たちがいろんな食べ物を売りに(売りつけに)乗り込んで来るのが驚きでした。帰りは、リクライニングがあるようなないような通常の夜行列車で帰ってきましたが、息も絶え絶えという有様でした。
 この際、バンコク・ファランポーン駅で、オリエンタル・エキスプレスとそっくり同じ外装のひと編成の列車が停まっているのを見て、えーっと思いましたが、これはバンコクからマレー半島を南下していくものとあとで知りました。

  http://www.jtb.co.jp/region/kansai/platinum/easternorientalexpress/