伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/02/04

2018-02-04 08:42:32 | 一日一章・聖書通読日記
イザヤ書 16:1-2
「彼らはセラから荒野の道によって小羊をシオンの娘の山に送り、国のつかさに納めた。 モアブの娘らはアルノンの渡しで、さまよう鳥のように、巣を追われたひなのようである。」

セラとはモアブの南側に領地を持つエドム人の首都です。難民となったモアブの人々は隣国エドムに受け入れられず、行き場を失ってヨルダン川の渡し場に寄留し、西側の対岸にあるユダに貢ぎ物を送り難民受け入れの要請をする様子が描かれています。神様はあらかじめモアブに警告を送り、裁きを免れるようにと預言されました。それを信じるか信じないかは、聞く私たちの心に掛かっています。

http://bible.com/81/isa.16.1-2.ja1955

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イザヤ書 16:3-5
「相はかって、事を定めよ。真昼の中でも、あなたの陰を夜のようにし、さすらい人を隠し、のがれて来た者をわたさず、 モアブのさすらい人を、あなたのうちにやどらせ、彼らの避け所となって、滅ぼす者からのがれさせよ。しえたげる者がなくなり、滅ぼす者が絶え、踏みにじる者が地から断たれたとき、 一つの玉座がいつくしみによって堅く立てられ、ダビデの幕屋にあって、さばきをなし、公平を求め、正義を行うに、すみやかなる者が真実をもってその上に座する」。

自国を追われ、難民となって逃れてきたモアブの人々を受け入れなさいと、神様はユダの人々に語りかけられました。なぜならモアブの人々は元はイスラエルの父祖アブラハム、イサクの子孫であり、またダビデ王の血筋にも名を連ねた同族だからです。新約聖書の時代に生きる今の私たちにとっては、血縁関係だけに依らず、すべての国民が天の神を父とする兄弟姉妹たちです。私たちは世界の人々の幸福と平和のため、隣人となって愛し合い、助け合うことが神様の御心です。

http://bible.com/81/isa.16.3-5.ja1955

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イザヤ書 16:6-7, 10-11
「われわれはモアブの高ぶりのことを聞いた、その高ぶることは、はなはだしい。われわれはその誇と、高ぶりと、そのおごりとのことを聞いた、その自慢は偽りである。 それゆえ、モアブは泣き叫べ、民はみなモアブのために泣き叫べ。全く撃ちのめされて、キルハレセテの干ぶどうのために嘆け。

喜びと楽しみとは土肥えた畑から取り去られ、ぶどう畑には歌うことなく、喜び呼ばわることなく、酒ぶねを踏んで酒を絞る者なく、ぶどうの収穫を喜ぶ声はやんだ。 それゆえ、わが魂はモアブのために、わが心はキルハレスのために、琴のように鳴りひびく。」

モアブ人が豊かな領地を追われ、難民となった理由は、高ぶった心にあると記されています。神様の祝福を受けながら、それを神様の恵みと思わず、自分たちの努力や成果だと誇り、驕り高ぶる心を、神様は何よりも嫌われます。しかし同時に、神様はモアブの人々が苦しんでいる状況を嘆き悲しみ、主に立ち帰ることを望んでおられます。神様の祝福を当然のように思い驕り高ぶる心を捨て、すべての恵みは主から来ることを覚えて感謝を捧げることを、私たちは忘れてはなりません。

http://bible.com/81/isa.16.6-7,10-11.ja1955

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イザヤ書 16:12-14
『モアブが高き所に出て、おのれを疲れさせ、またその聖所にきて祈っても、効果はない。 これは主がさきにモアブについて語られたみ言葉である。 しかし今、主は語って言われる、「モアブの栄えはその大いなる群衆にもかかわらず、雇人の年期とひとしく三年のうちに、はずかしめを受け、残れる者はまことに少なく、力がない」。』

もう一つ、モアブが裁かれる原因は、まことの神を礼拝せず、土着の偶像の神に頼ったからです。それ故、イザヤの預言は3年の内に必ず成就すると、神様は執行猶予付きの判決を下されたのです。神様は故なく人を裁くことなく、私たちが罪を認めて悔い改め、主に立ち帰るならば、裁きを思いとどめられます。今は救いの時、悔い改めのチャンスです。神様の裁きの猶予期間中に頑なな心を改め、遜って主に立ち帰り、裁きを免れ、永遠の祝福をいただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/isa.16.12-14.ja1955
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【今日の聖句】 2018/02/04

2018-02-04 06:40:26 | 今日の聖句
ヨハネによる福音書 6:37
「父がわたしに与えて下さる者は皆、わたしに来るであろう。そして、わたしに来る者を決して拒みはしない。」

イエス様を求めて御許に来る者を、主は決して拒まれません。なぜなら私たちが神様を選んだのではなく、まず先に神様が私たちを選んでくださったからです。神様の不思議な選びの摂理を、自分に向けられたものとして心を頑なにせず素直に信じ、主イエスの懐に飛び込んで平安を得る私たちでありますように。

http://bible.com/81/jhn.6.37.ja1955
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