伊藤ファミリーBLOG

「緑のgoo!」のテンプレートに変えてみました!
(注:コメントスパム・TBスパムは予告なく削除させていただきます)

【COGHCC聖書通読】 2017/11/05

2017-11-05 08:30:07 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 126:1-3
『主がシオンの繁栄を回復されたとき、われらは夢みる者のようであった。 その時われらの口は笑いで満たされ、われらの舌は喜びの声で満たされた。その時「主は彼らのために大いなる事をなされた」と言った者が、もろもろの国民の中にあった。 主はわれらのために大いなる事をなされたので、われらは喜んだ。』

長年の夢が叶えられるとき、どのような思いになるでしょうか。満面の笑みをたたえて小躍りするような、喜びに満たされてこの上ない至福のときとなるのではないでしょうか。祖国を失い遠くバビロンの国で捕囚となっていたイスラエルの民もまた、突然の解放と復興の告知に、まるで夢を見ているかのような気持ちになったことでしょう。そのとき「主は彼らのために大いなることをされた」と、イスラエル民族でない者さえも認めざるを得ないような、歴史の背後に働かれる主の奇しき御業に心から感謝し、「主はわれらのために大いなることをされた」と喜び祝う私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.126.1-3.ja1955

*****

詩篇 126:4
「主よ、どうか、われらの繁栄を、ネゲブの川のように回復してください。」

年間降水量が100ミリにも満たないネゲブ砂漠にある川は、ワディと呼ばれる普段は水の全くない枯れ川です。しかし雨季に入ると、地表に降った雨がすべて窪地の枯れ川に集まり、激しい濁流となって押し寄せます。神様がイスラエルの繁栄を回復される御業も同様に、普段は乾き切った荒れ地のような場所にも、豊かな水の流れとなって激しく私たちの心に押し寄せてきます。主を待ち望む者にとって、回復の見込みのない祝福はありません。どんなに絶望的な状況が長く続いても、無から有を起こされる神様の御業に期待して、回復のときを待ち望む私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.126.4.ja1955

*****

詩篇 126:5-6
「涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。 種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。」

蒔かない種は決して収穫することはできません。一粒の麦が地に落ちれば、ときが来れば豊かな実りとなって収穫を得ることができます。ここで云う種はいのちの御言葉です。私たちの心に御言葉の種が蒔かれると、喜びの収穫につながります。種蒔きの作業は決して楽なものではなく、暑い夏の日にも耐え、涙を流しながら種蒔くことも多いでしょう。しかしときが来れば必ず、多くの束を携え収穫する日を迎えることができると信じて、たゆむことなく種を蒔き続ける私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.126.5-6.ja1955
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【今日の聖句】 2017/11/05

2017-11-05 06:30:22 | 今日の聖句
ガラテヤ人への手紙 2:20
「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。」

イエス様を信じた者は、キリストの十字架と共に罪人の自分に死に、キリストの復活と共に新しい自分に生きる者とされています。もはや自分のために生きるのではなく、信仰によって神様に喜ばれるために生きる者となる私たちでありますように。

http://bible.com/81/gal.2.20.ja1955
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする