答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

駄菓子屋と情報化施工と

2016年08月24日 | CIM(とか)


岡山で一泊した翌朝、瀬戸大橋を渡り、駄菓子屋が共存する建設会社を訪問する。

れっきとした現役、営業中の駄菓子屋だ。

それぞれに値札をつけられた菓子たちの陳列を写真に収めるわたしに、突如、


非合理性を受け入れるのは町内会でしかない。


という言葉が降りてくる。

 

たしかに経済は合理性を求めるけれど、人間は合理性だけでは生きてはいけない。かならず非合理性、不合理性をもって生きている。

その不合理性の引受先は社会(町内会)でしかなく、経済ではない。しかし社会に経済原理を持ち込む心象を(あたしたちは)もってしまったことで、地方は「帰る処」ではなくなってしまっているし、地方も「帰る処」という機能を失なっていることで疲弊のスパイラルから抜け出せない。

開発主義の終焉と公共事業という産業』(桃知利男)より

 

そのうえで桃知さんが、「今必要なのは社会的な厚みなのだ」と結論づけたのは今から8年前。


今必要なのは(例えば「街的」のような)社会的な厚みなのだと(あたしは)思う。だからその社会的厚みの護持のために、あたしは地場の建設業を、地場の公共事業という産業を擁護してきたに過ぎない(それは既存の経済的ヘタレ体質からの脱却を伴うことで容易なことではないのだが)。


そういえば徳島県の山間にあるこの町には、古くからの「地元のスーパーマーケット」がまだ残っている。

地元の建設会社と駄菓子屋と地元のスーパー。

昭和の名残りこれにあり、と感傷的になったのもつかの間、このあと訪問させてもらった現場は情報化施工のまっ最中。MC(マシンコントロール)のブルドーザーと転圧管理システムを搭載したローラーで盛土をしたあと、レーザースキャナによる出来形計測をやるのだそうだ。

駄菓子屋とICT、一見相容れぬこの2つが、同じ建設業者のなかで共存している。

「やっぱり地場の建設業はああじゃないとネ」

何が「ああじゃないと」かよくわからないが、そう思う高知への帰路。



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新たなる道標

2016年08月23日 | 土木の仕事

岡山市の小坂田建設さんにおじゃまさせてもらった。

 

 

     株式会社小坂田建設ホームページより

 

今日の訪問、ビビッと感じるものがあって、どうしてもお会いして話を聞かせてもらいたく、知人を介してお願いし、快諾してもらって実現した。だが有り体に白状すると、何年か前、その存在を初めて知ったときにはそれほど興味を持たなかった。そのことを思い起こせば、我ながらおかしくてたまらない。


「地域のために会社を残していかなければならない」

プレゼンテーションのなか、あるいは会話のなかで、何度も何度も同じ言葉が小坂田さんの口から繰り返された。そして、皆さんご存知のように、それを聴くわたしもまた、常日頃それに類したことを言ってはいる。だが、彼の言葉は通り一遍の理念ではない。アジテーションでもない。もっと切実でもっとローカルだ。ローカルだからこそ、よりいっそうの切実さをともなって、その言葉がわたしの胸に響いてくる。

 

今日見聞きしたことを、どうやって咀嚼し、わたしとわたしの環境に落としこんでいくか。何ができて何ができないか。すべてはこれからのことだが、とりあえずは、わたしにとってまた新たな道標ができたことに感謝したい。

どうもありがとうございました。



訪問が終わったあとの車中、会話中に”コサカダケンセツさん”と連呼していたわたしに、「”オサカダ”ですよ」と教えてくれたのは同行のHくん。

いやあ~まったくもってお恥ずかしいかぎり。

どうも失礼いたしました。



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「悪い癖にはメッキをかけなさい。」(加藤寿賀)

2016年08月22日 | ちょっと考えたこと

 

なぜ、はたらくのか―94歳・女性理容師の遺言
加藤寿賀
主婦の友社

 

悪い癖の一つや二つは誰でもある。

かくいうわたしなぞ、悪癖が服を着て歩いているようなものだ。

それに対して、仕方がないと「ほったらかしにしている人は、どうしようもありません」、「直そうとしているならまだ救いがあります」、としたうえで、加藤さんはこう言う。

 

ただ、癖を根本から取ることは、できません。癖は直るものではないんです。

では、どうすればいいか?

メッキをかけるのです。悪いところにメッキをかけて、それで地金が出なくなれば、悪い癖を直したのと同じことになるのです。

そして、メッキが剥がれないように、地金が出ないようにって気をつけて過ごす。剥がれそうになったら、更にメッキをかけ直す。

癖は直せなくても、それが出ないように気をつけて過ごすことが大事なのです。

(Kindle版位置No.1521)

 

う~ん、と唸ったあと、「イイね」とニンマリするわたし。

深く同意して、じわっと身にしみる言葉だ。

わたしがもっとも秀逸だと感じるのは、

 

剥がれそうになったら、更にメッキをかけ直す

 

というところだ。

「メッキはいつかはがれるもの」というのが世間一般の通り相場だ。

表面上をきれいにとりつくろってみても、そのうち正体は露呈する。したがってメッキをかけてもムダである、という意味なのだろう。

だが、寿賀おばあさんは、「メッキをかけろ」と言う。そして「地金が出ないように気をつけて過ごせ」と言う。さらに「はがれそうになったらメッキをかけなおせ」ばいいのだと説く。

まさにこれは、わたし自身が実践してきたことそのものだ。

とはいえそれは、根っこの部分を変えられないから仕方なくやってきたことであって、信念を持って実践してきたスタイルではない。

だからこそ、とても勇気づけられる言葉だ。

 

メッキが剥がれないように、地金が出ないようにって気をつけて過ごす。

剥がれそうになったら、更にメッキをかけ直す。

 

その繰り返しのなかから、人は変わり得る。

たとえ本質を変えることはできなくても、

 

悪いところを認識する

メッキをかける

はがれないように気をつけてすごす

はがれそうになったら(はがれたら)かけなおす

はがれないように気をつけてすごす

はがれそうになったら(はがれたら)かけなおす

 

というサイクルの実践から変化が生まれないはずはない。

と、すっかり自信満々になってしまったオジさんなのである。

 

 

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『なぜ、はたらくのかー94歳・女性理容師の遺言』(加藤寿賀)を読む

2016年08月21日 | ちょっと考えたこと

9時から17時までの長時間、ほとんど気を抜かずに受講した濃密なセミナーとそのあとの宴から一夜あけた今朝。

『なぜ、はたらくのかー94歳・女性理容師の遺言』(加藤寿賀)を宿で読む。

 

なぜ、はたらくのか―94歳・女性理容師の遺言
加藤寿賀
主婦の友社

 

人間はなぜ、はたらかなくてはいけないか?

それは「端を楽させる」ためなんです。

つまり、「はたをらく」に、で「はたらく」。

周りの人たちを楽させる、楽しませるためにはたらくということ。

自分のためではなく、人のため。人間として、はたらかないと、人生何の意味もないのです。

(Kindle版位置No.292)

 

「端を楽にする」のが「はたらく」。

この言葉を最初にわたしに教えてくれたのは、朝日建設の林さん。

富山県建設業協会主催の『三方良しの公共事業推進セミナー』で、『高知県でのワンデーレスポンス工事に3年間参加して』という事例発表をする前夜、ご自身の持論をわたしに披瀝してくれたその冒頭で、その言葉は登場した。

 

 

もう7年も前になる。

そのときは、正直ピンとこなかった。

今は・・・

身にしみるし腑にも落ちる。

その差がこの7年間を、そこはかとなく表しているかもね、などと思いながら、

「はたをらくにする、はたをたのしませる」

はたをらくにする、はたをたのしませる」

と反すうし

 

自分のためではなく、人のため。人間として、はたらかないと、人生何の意味もないのです。

 

という言葉を腹に入れた。



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ごめんなはり線のなかで考えた

2016年08月20日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

 

♪ 終着駅は~始発駅~ ♪

なんて鼻歌が口をついて出るが、始発ではない。お城下で開かれる三次元CAD関係の勉強会に参加のため、奈半利発高知行きの2番めを待っていた。

車ではない。ということは、夜も勉強会である。昼の部があり夜の部があり、両方セットで勉強会、もちろん、いつものようにどちらも本番だ。

そうそう、勉強会といえばきのう、瀬戸内海をわたってわたしに会いに来てくれた人たちがいた。初対面である。なんでも過日の『三方良しの公共事業推進カンファレンス2016四国』にも参加してくれていたのだそうだ。

 

来客、これを拒まず。これが基本的なわたしのスタンスだ。

そういうわたしとて、今までさんざん色々様々なかたたちのもとを厚かましくも訪れては、アレヤコレヤの教えを乞い、それを自分自身の環境にフィットするように「翻訳」して血肉(「土着化」)としてきた。

数多あるそれらは、わたしが受けた贈与である。贈与を受けた者には返礼の義務がある。そしてその返礼は、贈与者自身に返してチャラになるものではない。別の誰かにパスをして、はじめて「贈与と返礼のサイクル」が成り立つ。そして、晴天の一日をさいてわざわざ会いに来てくださるんだもの、とてもとても無下になどするわけにはいかない。3時間ほど、ああだこうだナンダカンダの話をさせてもらった。

それに対して、何を感じ、どう思い、どんな行動に結びつけるのか。ひとえにそれは受け手自身にかかっており、それについてのイニシアティブはまったくわたしにはない。

あらあら、なんだか突き放したような態度で申しわけない。

たしかにとてもよく勉強しているようだったし、いろいろと模索しているようにも見えた。当然である。わざわざ高知の片田舎まで、なんだかよくわからぬ辺境の土木屋に会いに来てくださるんだもの。その行動力だけでもたいしたものだ。しかしわたしは、最後までアチラさんに感情移入することはできなかった。必然、会話がグルーブすることもなかった。

どうしてか?

先方の「思い」が伝わってこなかったからである。

相対した人から何かを引き出そうとするときは、まず自らをさらけ出すことが肝要だとわたしは信じている。もちろん、初対面の相手にフルオープンでそれができるほどの人間がそれほどいるはずもなく、そこはそれ、その場そのときに応じた程度というものがあってしかるべきだろう。だが、まず自分自身を語ることを抜きにしては、結局は相対した人からたいしたものは引き出せない。

「語る」と書いた。少し補足する。自分自身ができうるかぎりの情理を尽くして「語る」ことが肝要だ。だが、なにもそれは、冗舌や多弁からでしか伝わるものではない。数少ない語彙のなかからでも、それが伝わってくる人は、たしかにいる。

『坂の上の雲』(司馬遼太郎)にこんな一節がある。

 

 桝本は、小村の紹介状をもってフィラデルフィアへゆき、造船所の事務所でクランプ社長に会った。

 「君は自分の工場になにを学ぶために入る」

 と、その小柄な老人がいきなりきいた。いかにも徒手空拳からたたきあげてこの大工場主になったという経歴のもちぬしらしく、目のするどい、自負心に満ちた顔をした老人だった。

 桝本はこういう、いわば哲学的な(と桝本はおもった)質問に出あうとはおもわなかったため、ちょっととまどったが、とっさに、

 「私は船を造る練習にきたのではなく、船をつくられるあなたを学ぶためにきたのです」

 という返答をした。この返答に、老人はひどく気に入ったらしい。桝本をわざわざ私室に招じ入れ、一時間ほど語りあった。

 (『坂の上の雲(2)』司馬遼太郎、文春文庫、P.276)

 

桝本とは桝本卯平、日向の国(宮崎県)の出身で、小村寿太郎の書生となり、小村の薦めでアメリカに渡り、帰国後造船技師になった明治の人。もちろん、これを書いているわたしは歴史上の人物ではないし、読んでいるアナタもそうだ(失礼、たぶん)。だが、このような例は多くある。現にわたしは、たくさんのそういう人たちと出会ってきた。


エラそうな講釈をたれるつもりはない。そんな立場でもない。

はるばる海をわたりわざわざ会いに来てくださったかたたちを批判するつもりでもない。

問題はわたし自身だ。

そんな初心を忘れてはいないのか、という自戒である。

さっそく来週、今度はわたしが海を越えてとあるかたのもとへ押しかけて行こうとしている。

なぜ、ここへ来たのか。

なぜ、ここにいるのか。

何に困り何に悩んでいるのか。

自分をさらけ出すことから、また始めようと思うのだ。

 

 

と、ここまで書いて終点高知着。

調子に乗って書いていたら駅に着いたのに気づかず、駅員さんに注意されてやっとホームに降りた。

さて、勉強勉強っと (^^)/

 

 

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