答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

和文タイプライターのこと

2016年05月26日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

NHK朝ドラ『とと姉ちゃん』で主人公の常子が和文タイプライターに挑戦しているのを見た。(といっても朝見るのはムリなのだけれど)

和文タイプライター、たとえばこんなんである。

 

小型邦文タイプライターSH-280(日本タイプライター製)        

 画像−『Wikipedia〜和文タイプライター』より

 

 

じつはわたし、コレ得意だった。

 

「キーによる盤面操作で活字箱から任意の活字を取り出す」

「小型汎用機種でも大抵は2000を超える感じを含む活字から、適切な文字を探して一文字ずつ打ち込んで行く」

(Wikipedia〜同)

 

ため、どの文字がどのあたりにあるのかを覚えているかどうかが速く打てるためのキーポイントで、当時「悪魔のような記憶力を持つ男」と呼ばれていた(自称ですが)わたしにとってそれは、もっとも得意とする分野だった(つまり「神経衰弱」が強い、みたいな、ちょっと違うか)。

(あのころに比べて今は・・・、自分自身の体たらくが嘆かわしい・・・、嗚呼)

 

和文(邦文)タイプライター、

1915年(大正4年)、日本の十大発明家のひとり杉本京太により発明された。

 

日本語では文章を構成する文字数が多いため、文字数の少ない欧文タイプライターの機能はそのまま使えないと言う制約があり、当時タイプライターの開発は困難であった。杉本は文字の使用頻度を考慮し2,400字を選び出し独自の配列で文字庫に並べた活字を、前後左右に稼働するバーで選択しつまみ上げ、円筒に巻かれた紙に向かって打字すると言う機構を開発した。この方式の和文タイプライターで1920年代には政府公文書の多くが作成されるようになり、1980年代に日本語ワードプロセッサーが普及するまで官公庁や企業・教育機関などで使用され、日本における書類作成事務効率化に大きな役割を果たした。(『Wikipedia〜杉本京太』より)

 

今から考えても、よくデキた道具だった。

あんなに凄いものでさえ、時代の移り変わりの前ではあっさり無用の物と化してしまう。

日本語ワープロにとって替られ、信じられないほどの速さで用済みとなった和文タイプライターを、喜々としてタイピングをしていた若かりしころの自分を思い出し、

 

ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

 

という方丈記の一節を思い浮かべ、いっとき黄昏れる。

 


いやいや、世の中にこんな例はゴマンとある。

いくら「変わる」ことに抵抗したとしても、「変わる」ことを拒否したとしても、「変わる」ものは否応なく「変わる」。

そんなもんである。

そしてその波は、若手にもベテランにも経営者にも従業員にも一様にやってくる。自分だけは埒外なのだ、もしくは対応するのは自分ではない、と思うのは人それぞれでけっこうなのだが、(少なくとも)わたしはその道を選ぶのを良しとはしない。

「変わる」ところは変える、「変わらない」ところも変える。

なんとなれば、今という時代に「(土木の)仕事をする」という行為自体が、漸進的に変わりつづけることに他ならないのだから。


(あらあら、和文タイプライターの思い出について書いていたら、いささか大仰な結論になってしまいました)

(ま、ええか)

 

 

 

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わたしの一人称

2016年05月25日 | ちょっと考えたこと

仕事やオフィシャルな場所では「わたし」と呼ぶことにしている。

ちょっとくだけた言い方は「アタシ」だ。

プライベートでよく使うのは「オレ」。

和太鼓を教えるときは「おんちゃん」(土佐弁でオジさんを表す)である。

その他、「自分」と言うときもある。

まれに「ワシ」も使う。

以上、わたしがわたしを表すときの一人称である。


近ごろは、仕事やオフィシャルな場で、「ぼく」という一人称を使いたくてたまらない。

ちょうど10歳上のとある経営者のかたが、「ぼく」と呼んでいるのがなんとも好ましいのを始め、何人かの年配のかたが使う「ぼく」が素敵なのに感化され、わたしも使ってみたいと思うのだ。

だが、少々理由があってなかなか使うことに踏みだせないでいる。理由、とは社会人になって最初の上司の言葉だ。

当時、自らを「僕」と称していたわたしに対して彼は、「僕なんて学生の言葉だ。これから使うな。社会人は自分のことを私と言うのだ」と命令した。

爾来、「わたし」である。

田舎に戻り、今の職場にお世話になり始め、周りに「私」と言う人がいなかったものだからいっとき「僕」を使っていたが、なんだか馴染めずまた元の「私」に戻して今に至っている。

 

ことほど左様に、日本語には自分自身を指す語が多い。

それについて、『英語化は愚民化』(施光恒著、集英社新書)で施光恒さんはこう書いている(文中の木村氏とは精神医学者の木村敏氏)。

 

英語化は愚民化

日本の国力が地に落ちる

施光恒著

集英社

 

日本語では、状況に応じて適宜、自分を指す言葉を柔軟に使い分けなければならない。自分の周りの状況を先によく知り、その後、そこでの自分が認識されるという順番となる。

木村氏は次のように述べている。「日本語においては、そして日本的なものの見方、考え方においては、自分が誰であるのかは、自分と相手との間の人間的関係の側から決定されてくる。(・・・中略・・・)自分が現在の自分であるということは、けっして自分自身の『内部』において決定されることではなく、つねに自分自身の『外部』において、つまり人と人、自分と相手の『間』において決定される」

日本語の世界では、自己は、常に状況や他者との関係との関わりで規定され、認識されるのだ。(P.165〜166)

 

近ごろ仕事やオフィシャルな場で、「ぼく」という一人称を使いたくてたまらないわたし。

さて、どうしたもんじゃろのう。




 

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ある意思決定システム

2016年05月24日 | ちょっと考えたこと

宮本常一の『忘れられた日本人』(岩波文庫)の冒頭、『対馬にて』という20ページあまりの短い文章がある。

 

忘れられた日本人 (岩波文庫)
宮本常一
岩波書店

 

 

伊奈の村は対馬も北端に近い西海岸にあって、古くはクジラのとれたところである。

 

という書き出しで始まるその文には、これがわたしの生きている現代の日本と場所を同じくする国なのか、と戸惑いを覚えるほどに衝撃的な意思決定システムが紹介されている。

いや、「衝撃的」というよりは、むしろ牧歌的という表現がそのシステムにはピタリと当てはまるのだろうが、今という時代のなかでも特にイラレでスピード優先主義で生きてきたわたしには、色んな意味で「衝撃的」で深く考えさせられるシステムだった。引用する。

 

村でとりきめをおこなう場合には、みんなの納得いくまで何日でもはなしあう。はじめには一同があつまって区長からの話をきくと、それぞれの地域組でいろいろに話しあって区長のところへその結論をもっていく。もし折り合いがつかねばまた自分のグループへもどってはなしあう。用事のあるものは家へかえることもある。ただ区長・総代はきき役・まとめ役としてそこにいなければならない。(P.13)

 

そして話の中にも冷却の時間をおいて、反対の意見が出れば出たで、しばらくそのままにしておき、そのうち賛成意見が出ると、また出たままにしておき、それについてみんなが考えあい、最後に最高責任者に決をとらせるのである。(P.20〜21)

 

もちろんこの宮本常一の一文をもって、こういったことが昭和初期の日本すべてで行われていたと断言するつもりはない。だが、対馬の伊奈という村だけのことではなかったのだろうとは推測できる。

今という時代を生きるわたしにとっては異文化と言ってもいい。そんな方法が存在していたということそのものが驚きだ。

とはいえ辺境の村に生きるわたしだ。思い当たるところがないではない。 仕事であれ私事であれ、田舎暮らしをしていると、このわたしが身体感覚として持つスピードが他の多くの人たちと違う場面によく遭遇して、今でも戸惑うことがよくある。

今だからこそ戸惑っている、というべきか。

かつての彼我の関係は、わたしが普通で向こうがのろかった。それに比して今は、向こうが普通でわたしが速い。いわずもがなだが、関係性は変わってなく、わたしの感覚が変わってきただけのことである。

そうでも思わなければやっていけない、からではない。

自分の言論や感覚が正しいかどうかを疑ってみることなしに、自分と異なる他人の批判ばかりしていても、事は進まないからである。

だとしても、いくらなんでも伊奈村の例は冗長的に過ぎるだろうよ、とお思いのそこのアナタ。

うん、その気持ち、ごもっともだ。

わたしとてそう思う。だから「衝撃的」だったのだ。

いくらなんでもこれを真似をしようとは思わない。だが、ときには、そんな意思決定システムもある(あった)という事実に想いを馳せてみることも必要なのではないかとは思う。

 

とりあえずは大きな流れの中で流れて、それ以上のスピードで流れることで独自性を保つ(川俣正)

 

というモットーを取り下げるつもりはない。

だが、大きな戦略の中ではそうであっても、局地的戦術では、「ゆっくり」も「冗長」も、そして「一旦停止」すら意味を持つ。

 

(アタシがどうやってそれに折り合いをつけるか、ソイツが大きな問題ですがネ)

 

 

 

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ごった煮系ブロガーな日々

2016年05月23日 | オヤジのIT修行

8年もつづけているとよくしたもので、生身の読者に出会うなどした日には、ゆでダコのように真っ赤になって、しどろもどろで気の利いたセリフのひとつも言えなくなってしまっていたわたしも、さらりと受け流すこともできるようになった。

まこと「習うより慣れろ」とはよく言ったものだ。

そんなわたしだが、先日のこと、


「あ、わたし、ブログ見ゆうきネ」


と、若い村人に別れぎわに言い放たれたときにはさすがに不意をつかれ、言葉がいっさい出てこなかった。

わたしの心のなかに、

「村人は読んでない。そもそもこのブログの存在すら知らない」

という思い込みがあるところへもってきての不意打ちだったからである。

いやいや実際にはそんなこともない。事実、面と向かって読者であると表明されたことが一度たらずある。

だが、なんとはなしに、

「村人はいくつかの例外を除き、このブログの存在すら知らない」

と思い込んでいるわたしがいる。

そんなところへもってきて、くだんの彼女はこうつづけた。

 

「笑わせてもらいゆう!」

 

あちゃー、そっちか。

突然の意外な評価に、また不意打ちをくらいダウン寸前のオジさんはこう思う。

「しかし・・・、最近、その手の投稿は少ないぞ」

 

「勉強させてもらってます」

「ためになります」


そんなふうに言ってくれる人は、多くはないが、たまにいる。

聞くたびに、

「ああ、ありがたいなあ」

「もっと勉強になることを書かんといかんなあ」

「ためになることを書かんといかんなあ」

と思い、それが手かせ足かせとなり、書けない、ネタがない、浮かんでこない、という三重苦がわたしを襲うことはしょっちゅうだ。

10日に1度ぐらいは、読んでくださる皆さんのお役に立てることが書ければ、1割バッターになることができれば、とつづけていたブログのはずが、おだてられ乗せられすると、生来のサービス精神がむくむくと頭をもたげ、期待に応えなければと、ついつい思ってしまう日々。

 

「笑わせてもらいゆう!」

 

彼女の言葉が

「ためになることを書かんといかんなあ」

ついついそんなふうになりがちなわたしの頭に、ガツンと衝撃を食らわせてくれた。

 

「おっさん、そう肩肘張らんといこうや」

 

そんなふうに言われたような気がしたのである。

どうせしがない、辺境の「ごった煮系ブロガー」だもの、

肩肘張ってみたところでたかが知れているのだわ。




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フジグラン高知店で太鼓を叩いたこと

2016年05月22日 | 北川村やまなみ太鼓

 

きのう、とある現場からのSOSを受け、日がな一日ユンボとダンプを行ったり来たりしていたら、つけっぱなしのFMラジオからひっきりなしに流れてくるコマーシャルひとつ。

 

「北川村やまなみ太鼓の演奏もあります!」

 

そ、そんなに紹介するほどのもんかワシら。

と聴いてるコチラが恥ずかしくなるほどの宣伝に、いささか気が引けながら、今日乗り込んだのは高知市朝倉のフジグラン高知店。

演奏前、主催者さんが何度も繰り返す「勇壮で躍動感あふれる」という紹介に、

「躍動感ねえ・・・」

と首をひねりながらも、

「まあええわ。躍動感と勇壮は最年少ハタチのわが姪っ子にまかせて、おんちゃんおばちゃんはついていくのみよ」

と腹をくくって打ち始めると、どうしたことだろう。今日はやけに身体が軽い。

となるとまた、調子に乗ってガンガン飛ばすオジさん。

だが、寄る年波には勝てない。まもなくすると酸欠状態になり、だましだまし打ちつづける。

それみたことか言わんこっちゃない。

まったくもって懲りないオヤジであるが、お客さんの反応は上々。

となるとまた、調子に乗ってガンガン飛ばすオジさん。

ガンガン飛ばす、だましだましつづける、ガンガン飛ばす、だましだましつづける。

ガンガン、だましだまし、ガンガン、だましだまし。

 

以上、北川村やまなみ太鼓、本年2回目のお城下遠征。

来週は安芸市、キッズマルシェという催しに、子どもたちと一緒に参加するのであります。

 

 

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