同窓会で中学高校の同級生が呆れます。
「あのね、お前に何が教えられるっての」
まったくその通りでグゥとも言えません。
ぼろぼろでしたからね。
「できん奴ほど、何が難しいか分かってるから
教えることができるんだ」
・・これは私の場合、負け惜しみです。
○
最近、学校モノのドラマで「塾は講師と言い
学校では教師という。この違いは何だ!」
みたいなセリフがありました。
色眼鏡とも思えますが、真理とも言えますね。
学校は「人ということを導く」けれど
塾が伝えるのは知識やテクニックだけだ。。。
こんな感じでしょうか。
私が塾の世界に入ったころ、上記のような認識があり
それを是とするか否とするか、大きな問題でした。
就職した塾は、受験実績では広島県でも指折りでしたが
センセの間でも「受験請負に徹するべきだ」と
「その中で、教育を如何になすべきか考えよう」と
二つの立場があったように記憶しています。
生徒や保護者が塾に求めるもの、それは当然
受験結果、あるいは学力向上です。
では、それだけを請け負うので良いのか。
何でもアリ、にならないか?
かと言って塾のセンセに何ができるか?
学校の立派な方々とは大違いじゃないか。
(学校の先生も首をかしげる方がおられましたが)
○
受験請負は当然のことで、結果をキチンと出し
その上で(必ずしも求められいないかもしれないが)
「教育への目配り」を努力しよう。
これが当時の私の結論でした。
実際は御粗末極まりないものであったのですけれど。
ただ、立派な先生とは正反対の自分にそれができるか?
口先だけには終わりたくはありませんでしたから。
「そうか!!」
ありのままの「おっさん」の提示ならできます。
反面教師にしてもらえばよいのです。
◎
今、塾を辞めて思うのは違うスタンスがありえた、
特に、受験は下敷きに人間教育を上に、の部分。
逆にして、一個の人として向き合う事が基礎であって
その上に勉強のイロハであったろう、と。
今ごろになって、遅すぎますけれどね。
「あのね、お前に何が教えられるっての」
まったくその通りでグゥとも言えません。
ぼろぼろでしたからね。
「できん奴ほど、何が難しいか分かってるから
教えることができるんだ」
・・これは私の場合、負け惜しみです。
○
最近、学校モノのドラマで「塾は講師と言い
学校では教師という。この違いは何だ!」
みたいなセリフがありました。
色眼鏡とも思えますが、真理とも言えますね。
学校は「人ということを導く」けれど
塾が伝えるのは知識やテクニックだけだ。。。
こんな感じでしょうか。
私が塾の世界に入ったころ、上記のような認識があり
それを是とするか否とするか、大きな問題でした。
就職した塾は、受験実績では広島県でも指折りでしたが
センセの間でも「受験請負に徹するべきだ」と
「その中で、教育を如何になすべきか考えよう」と
二つの立場があったように記憶しています。
生徒や保護者が塾に求めるもの、それは当然
受験結果、あるいは学力向上です。
では、それだけを請け負うので良いのか。
何でもアリ、にならないか?
かと言って塾のセンセに何ができるか?
学校の立派な方々とは大違いじゃないか。
(学校の先生も首をかしげる方がおられましたが)
○
受験請負は当然のことで、結果をキチンと出し
その上で(必ずしも求められいないかもしれないが)
「教育への目配り」を努力しよう。
これが当時の私の結論でした。
実際は御粗末極まりないものであったのですけれど。
ただ、立派な先生とは正反対の自分にそれができるか?
口先だけには終わりたくはありませんでしたから。
「そうか!!」
ありのままの「おっさん」の提示ならできます。
反面教師にしてもらえばよいのです。
◎
今、塾を辞めて思うのは違うスタンスがありえた、
特に、受験は下敷きに人間教育を上に、の部分。
逆にして、一個の人として向き合う事が基礎であって
その上に勉強のイロハであったろう、と。
今ごろになって、遅すぎますけれどね。