若いころは毎日のように飲み歩いていました。
酒に余り強くないので料理にも目が行きます。
そのうちに話すことも生意気になったに違いありません。
若いうちはバカが多い、私も例外ではありません。
何々はドコソコが良いとか、知ったか振りです。
お店の人は商売ですから「うん、そうですね」と
言ってくれますが、陰で何と言われてたか・・
今でも恥ずかしい限りですね。
○
給料のほぼ全て(賞与も)を飲み食いに使うので
給料日前の一週間はキツイ。
手料理とも言えぬモノで過ごすことになります。
かえって喰えないものが山とできて・・・はあ~~
広島に戻って暫くの間は母に食わせてもらっていましたが
忙しくなると仕事場の近くに部屋を借り、また飲み食い
生活に戻りました。
若くないので体には良くなかったですね。
○
外で飲み食いしても、コンスタントに手料理をしていれば
舌が磨かれていたろうと思います。
ただ食べるだけでは味覚にも限界があります。
塩加減ひとつでもどれほど違うか、自分でやってみて始めて
プロの凄さが分かるというもの。
もう少し早く自分でも始めていたら、と後悔します。
とは言え、やるといってもカミサンの手伝いを少しするとか、
酒のアテをひと品作っておくとか、ママゴトのようなものです。
それでも、分かる具合が進むような気がします。
○
私が子供のころは江上トミさんとか田村魚菜さんとか
料理番組に出ておられました。
子供ですから良いも悪いもさっぱり分かりません。
時代は計量カップやスプーンの定着してゆく頃では
なかったですかね。
レシピも数量化されてゆきます。
これは戦後の高度成長期に女性が社会へ出たため
それ以前の世代と食文化の断絶がおきたからです。
実際に私の母も家で漬物などは作りませんでした。
(団塊世代は、また漬物をし始めています)
明治生まれの女性と母の時代には違いがありますね。
そこで、忙しい女性はどうしたか。
雑誌やTVで料理を学んだのです。
その中で家庭における料理にも数量化されたレシピが
普及していったと思われます。
ただし、昔の空気は残っていて、江上さんでもだれでも
何だか怖かった。
土井勝さんが人気が出たのはそんな空気のなかで
ただ一人「優しかった」から。
○
次にその子供たち=団塊世代などが大人になったころは
世の中が以前と比べると豊かになっていました。
新しい食べ物が普通に食べられるようになってきたのです。
スパゲッティ・ナポリタンとかね。
伊丹さんがスパゲッティは焼きそばじゃないんだから
炒めるのじゃなくて茹でてからめるのだ、なんて本に書き
「そうか!」と驚いた時代です。
今から見るとまだまだ幼稚でしたが幅は広がってました。
レシピの幅が時に広がりましたね。
○
次にやってきたのが、レシピや番組の充実です。
周富徳さんのようにやれば確かに家庭で出来ます。
陳健一さんのレシピに従えば驚くことができる。
暫くして家庭から料理自慢がメディアにも、
料理研究家という素人が増えましたね。
(その通りにやれば上手くできる)の頂点が
「上沼のおしゃべりクッキング」です。
そうしてこの番組は次の時代の予感がありますね。
なぜそうするか、の説明が詳しくなってきています。
近いうち(応用が利く)レシピ、料理の説明の時代が
訪れると思います。
いまでも多少はありますがね。
なぜ○○をするか、しないとどうなるか
なぜこのタイミングなのか、違えるとどうなるか
なぜこういう組み合わせなのか、代わりは何か
○○がないと、どうすればよいか・・・などなど。
MCも有吉やマツコ風の辛口
「これ、まずいよ、辛すぎる」なんてね。
料理人「じゃあなたの言う通りでやってみましょう、
さっきと、どうです?」
誰もが冷蔵庫を覗いてレシピの工夫ができるように
エコ時代の自宅グルメ・・あと少しかなあ。
酒に余り強くないので料理にも目が行きます。
そのうちに話すことも生意気になったに違いありません。
若いうちはバカが多い、私も例外ではありません。
何々はドコソコが良いとか、知ったか振りです。
お店の人は商売ですから「うん、そうですね」と
言ってくれますが、陰で何と言われてたか・・
今でも恥ずかしい限りですね。
○
給料のほぼ全て(賞与も)を飲み食いに使うので
給料日前の一週間はキツイ。
手料理とも言えぬモノで過ごすことになります。
かえって喰えないものが山とできて・・・はあ~~
広島に戻って暫くの間は母に食わせてもらっていましたが
忙しくなると仕事場の近くに部屋を借り、また飲み食い
生活に戻りました。
若くないので体には良くなかったですね。
○
外で飲み食いしても、コンスタントに手料理をしていれば
舌が磨かれていたろうと思います。
ただ食べるだけでは味覚にも限界があります。
塩加減ひとつでもどれほど違うか、自分でやってみて始めて
プロの凄さが分かるというもの。
もう少し早く自分でも始めていたら、と後悔します。
とは言え、やるといってもカミサンの手伝いを少しするとか、
酒のアテをひと品作っておくとか、ママゴトのようなものです。
それでも、分かる具合が進むような気がします。
○
私が子供のころは江上トミさんとか田村魚菜さんとか
料理番組に出ておられました。
子供ですから良いも悪いもさっぱり分かりません。
時代は計量カップやスプーンの定着してゆく頃では
なかったですかね。
レシピも数量化されてゆきます。
これは戦後の高度成長期に女性が社会へ出たため
それ以前の世代と食文化の断絶がおきたからです。
実際に私の母も家で漬物などは作りませんでした。
(団塊世代は、また漬物をし始めています)
明治生まれの女性と母の時代には違いがありますね。
そこで、忙しい女性はどうしたか。
雑誌やTVで料理を学んだのです。
その中で家庭における料理にも数量化されたレシピが
普及していったと思われます。
ただし、昔の空気は残っていて、江上さんでもだれでも
何だか怖かった。
土井勝さんが人気が出たのはそんな空気のなかで
ただ一人「優しかった」から。
○
次にその子供たち=団塊世代などが大人になったころは
世の中が以前と比べると豊かになっていました。
新しい食べ物が普通に食べられるようになってきたのです。
スパゲッティ・ナポリタンとかね。
伊丹さんがスパゲッティは焼きそばじゃないんだから
炒めるのじゃなくて茹でてからめるのだ、なんて本に書き
「そうか!」と驚いた時代です。
今から見るとまだまだ幼稚でしたが幅は広がってました。
レシピの幅が時に広がりましたね。
○
次にやってきたのが、レシピや番組の充実です。
周富徳さんのようにやれば確かに家庭で出来ます。
陳健一さんのレシピに従えば驚くことができる。
暫くして家庭から料理自慢がメディアにも、
料理研究家という素人が増えましたね。
(その通りにやれば上手くできる)の頂点が
「上沼のおしゃべりクッキング」です。
そうしてこの番組は次の時代の予感がありますね。
なぜそうするか、の説明が詳しくなってきています。
近いうち(応用が利く)レシピ、料理の説明の時代が
訪れると思います。
いまでも多少はありますがね。
なぜ○○をするか、しないとどうなるか
なぜこのタイミングなのか、違えるとどうなるか
なぜこういう組み合わせなのか、代わりは何か
○○がないと、どうすればよいか・・・などなど。
MCも有吉やマツコ風の辛口
「これ、まずいよ、辛すぎる」なんてね。
料理人「じゃあなたの言う通りでやってみましょう、
さっきと、どうです?」
誰もが冷蔵庫を覗いてレシピの工夫ができるように
エコ時代の自宅グルメ・・あと少しかなあ。