一を聞いて十を知る

2010-04-30 18:43:04 | 塾あれこれ
車を持たないゆえ通販を利用することがあります。
個人で車を動かすより宅配業者に頼む方がエコ。


以前から商品をお願いしている、とある製造兼販売の
会社に頼んだものが届きました。

その一部の商品が生産中止になっていたようです。
メモが入っており「生産中止ゆえ~として送る」と。
多分、担当の方は気を利かせたつもりなのでしょう。

こちらは商品が届いて知るのですからビックリです。
しかも、結果として割高になります。
(といっても100円くらいなのですが)

しかし、契約を勝手に変えてはいけませんよね。

昨29日は会社がお休みのようで留守電でしたので
Eメイルをしておきました。

さっそく今朝、謝りの電話がかかってきまして
次善の策をとり一件落着。
相手の方がペコペコされるので恐縮でした。

クレーマーじゃないっちゅーに。

(向こうはどんな人間が相手か分からないから、でしょう)


生産中止の話はこちらに告知されていません。
またその際はどう対応するかの告知もありません。
などなど不備だらけの商品発送でした。

こちらの注文が届いたときに(中止)の電話連絡をしようと
されたらしいのですが、あいにくこちらが不在。
しかしそれも一回だけのトライで担当の方はそれからすぐに
上記の変更を発送現場に回されたようですね。

いかにもお粗末ですが、それに客がクレームをつけるならば
たぶん「消費者契約法」の「消費者に不利益な事実を
告知していない場合は契約解除できる」という
あたりを元にイチャモンをつけるのでしょうか。

メモを入れていること自体が「自分で勝手に変えました」
という証拠になりますから、ガードが甘いですよね。

何で電話を掛け直さなかったのだろう?


今どき通販をするくらいの会社ですから
マニュアルは制作しているでしょうが
それに不備があったのか?オソマツだけど。

担当が勘違いしたのか。

いずれにしろ営業としては最低です。
仕事に心がこもっていないと言えますから。


そもそも法律とか商習慣で明らかにおかしいことをする
などは営業以前の話です。

営業とはそんなレベルを越えた処でいかに客を捕まえる
ことができるか、これが勝負なのに。

マニュアル全盛になると頭がカラッポで仕事をするの
でしょうね。

顔なじみになって絶対頼まないと分かっている客に向い
安物のロボットみたいに「~ポテトはいかがですか?」
あれと同じです。
何が一番大切か、が分かっていないのです。


司馬遼太郎が、日本の文化は(一を聞いて十を知る)
アメリカの文化はどんな人間でもできる(マニュアル)
この違いがある、と書いていた記憶があります。

最近の日本は十二分にアメリカ化されているようですが
同じ土俵に上がっていては米国や中国には勝てません。

マニュアルだけで仕事をし、ランキングと安売りで買い物。
マスメディアで言われることを鵜呑みして定見がない。
ハ-メルンの笛吹き男に操られ、どどどっ。どどどっ。
もともと人間には集団行動のクセがありますが
それにしてもいまの世相は極端です。

モノづくりであれサービスであれ(外国がまねできない
一を聞いて十を知る日本人)だからこそ高いレベルの仕事
ができていたのです。

再びそれをできるように子供の教育から変えてゆく必要が
あるのではないでしょうか。

今の手とり足とり丁寧に教える教育では(一を聞いて・・)
には結びつきにくいでしょう。
「分かりません」とすぐに人を頼るような子供ばかりを
作っていてはいけないと思うのですが、どうでしょう?

「教えない」教育が望まれるゆえんですが
子供も親も十年前とは変わっているかに思えます。
団塊世代が「嫌われる」ことを引き受けないできたツケが
回ってきたのでしょう。

「ヤだね~、もう」・・頑固爺のため息。

巻頭インタビューはティム・バートン

2010-04-29 21:41:18 | 塾あれこれ
『ビッグイシュー日本版』最新号の巻頭記事は
ティム・バートンへのスペシャルインタビューです。

塾のブログに映画の話ばかりで顰蹙を買いそうですね。

(以前、書いておりますが、社会のほとんどの事象が
 塾で教えることと、どこかでつながります。
 学校の先生は専門以外を触れることは難しいでしょう。
 逆に塾は制約がないぶん自由ですが守備範囲が広い・・)

その巻頭インタビューでバートン監督は、今までに
映像化された『アリス』が彼にとって気に入らなかったと。
それで彼が気に入る世界を作ってみた、と書いています。

映像に比重がかかっている作品だという表明かもしれません。

もちろん、100%のホンネかどうかは別です。


もともと『アリス・・』は難しいですよね?
ベースとなっている文化がピンとこないからでしょう。

例えばマザーグースを思い起こさせる部分があるとして
それを解説で読んで理解するのと、「ああ懐かしい」
という感慨をもてるのとでは、作品から受ける重みが
違ってきます。


例えば、逆に日本独特の世界をイギリス人が読んで
どれほど感得していただけるでしょうか。

手近にある泉鏡花の短編から引用します。
大正十三年発表『光籃』の冒頭

「田舎の娘であらう。縞柄も分からない筒袖の古浴衣に、
 煮染めたやうな手拭を頬被りして、水の中に立ったのは。」

英語に翻訳し、似た情景が浮かぶとしても、丁寧な解説を
つけたとしても、じわっと伝わる情感まではどうでしょう?

同じ鏡花で大正十二年『雨ばけ』から

「細橋を渡り果てる頃、暮六つの鐘がゴーンと鳴った」

我々にはおなじみの世界でも
教会の鐘でイメージされると、違いますよねえ。

『アリス・・』でも同様だろうと思うのです。

我々には、映画の中で軽く触れてあるかに思えるセリフの
一つ一つが、その文化を知る人たちには異なる重みで伝わり
映像とのバランスをとっているのでは?と思うのです。


ダジャレの訳も難しいそうですね。
映画字幕の苦労の一つとして聞かされます。

我々には英語の言葉遊びは難しいですから
上記と同じように、次の日本語を英語に訳せるか
イメージしてみましょう。

落語『二十四孝』(先代正蔵=彦六の噺で)
大屋さんが、店子が家人に乱暴するのをいさめる処です。

大屋「何だい?これアどうも、いやはや、言語道断だ」
店子「ずいぶん大きいねえ」
   「なにが?」
   「五合の瓢箪だって」
   「瓢箪の話をしてるんじゃねえ。
    箸にも棒にもかからねえてんだ」
   「へえエ、煮過ぎた饂飩みてえだな」

言語道断→五合の瓢箪、・・分かります?
(ごんごどーだん)(ゴンゴーのヒョータン)

そしてどう訳せます?ニュアンスも含めて。


映像は文化の違いを乗り越えます。(比較的)

よって、バートンの『アリス・・』も映像ばかりが
印象づけられるのではないでしょうか。

DVDを買って細かくチェックすると面白いことが
分かるかもしれません。
ものすごく丁寧に作られているハズですから。

・・ごたくを並べないで「キレ~だねえ」と
楽しめばよいのでしょうが。

Jデップ=ザ・ハター

2010-04-28 18:22:23 | 塾あれこれ
『アリス・イン・ワンダーランド』でのジョニー・デップは
帽子屋ザ・ハターTHE HATTERの役です。

例によってちょっと(おかしな)人物を怪演しています。
楽しんで仕事をしているような印象を受けますね。

彼の初期作品はおおむね暗いキャラクターで
それがいかにもぴったりしていました。
彼が監督した『ブレイブ』も暗~い映画でしたね。

彼が表現する人間は、グラデーションがかかっていると
言いますか、こまやかなヒダがあるといいますか
多分、役者以前に人間としての彼に備わっているものが
にじんでくるのではないか、そんな印象を持ちます。
(勝手な憶測ですが)

子供ができて変わったと言われますね。
もう一つの面が出てきたのでしょう。

それでも『パイレーツ・・』の第一作の冒頭近くで彼の演じる
キャラクターを、映画を見ている側に印象付ける大事なシーンで
バスター・キートンへのオマージュを捧げていました。

キートンも(哀しい)顔をしていましたよね。

ちょっと変わっていて、それゆえ人間らしい
ひょうきんだけれど哀しい。

そういう役を今回は、より軽味を帯びて表現しています。
軽さは難しいのものです!

当代随一のスターですねえ。


『ビッグイシュー・日本語版』の最新号表紙が
帽子屋=ザ・ハターに扮したJデップです。

町で売られていて目にとまり易くすぐに買ってしまいました。

あとで確認すると今回で141号なのですが
その表紙を飾っているスターで登場回数が一番多いのが
ジョニー・デップでした。

ダントツの7回!
他の方は多くても3回くらいではないでしょうか。

宣伝とはいえ、Jデップの心意気と言いますか人柄
それが、うかがわれる回数ですね。


日本語版といいながら、日本人の登場回数が少ないのも
ビッグイシュー表紙の特徴です。

きっと日本の文化がチャリティとかボランティアに
向ける眼差しがまだまだ小さいからでしょう。
私も何もしないで言うばかりだけに、ヤバイ話題です。


マイクル・リューインのハードボイルド小説に
私立探偵アルバート・サムスンのシリーズがあります。
まるで客の依頼が来ない、しょぼい探偵です。

たまに仕事が入るとその収入の1割を教会に寄付する
というところがありますね。

これがアメリカの文化。

日本人の苦手とする分野です。

現在でもボランティア活動などは、キリスト教系が多く
お寺さんが主導して被災地救援、なんて少ないですよね。


話がまたまた外れまくっています。
『アリス・・』はどこに行っちゃったんだろう?

Jデップの話もしたいし・・

で・・・また明日以降ということで。

『アリス・・』のアンダーランドは色彩豊か

2010-04-27 18:45:19 | 塾あれこれ

You're mad,Bonkers. Off your head.
But I'll tell you a secret...all the best people are.

bonkers 頭がヘン off your head それはちょっと置いといて
all the best people are ベストな人はみんなそうなんだ

off your head の訳は(多分こんなものだろう)と自己流です。
それとも誤訳か?

やっと『アリス・イン・ワンダーランド』を観に行きました。

大変楽しい映画です。
あっという間に2時間が過ぎました。

賛否両論あるようですが私たち夫婦には面白いものでした。
お勧めします。

何年も前から宣伝されていたので、待ちに待ったものです。
期待にたがわぬ出来でした。

ただし見たのは2Dで字幕です。
3Dの方が面白いのかなあ?
・・3Dは何だか忙しそうでねえ。高いし。


軽快に、シャレた映画です。

ティム・バートンはもっと違う世界だ、なんて
映画評もあるようですが
ピカソに向かって「あなたの作品はキュビスム以外
認められない」と云うようなものですね。
個人の意見としてはご自由なのでしょうが
映画評としてはどうでしょう?

私は『ナイトメアー・・』も『ビッグ・フィッシュ』も
『エド・ウッド』『スリーピー・ホロウ』などなど
本当にキリがありませんが、ティム・バートンの色々な
作品の多くがそれぞれ良いと思います。


『アリス』は、例えれば腕の良いバーテンが
「甘口だけどこんなカクテルができました」といって
差し出してくれたようなものです。

ドライなのが好きな人が、それに対して「甘いのは・・」
というのは評にはなりません。
個人の好みの表明でしかないのです。
そんなものは人に向かってあまり言う価値がない。
なぜなら、言われた側は「ご勝手にどうぞ」というしか
ないのですから。

でも、日本人ってこういう意味の少ない会話が
多そうですね。
お互い自分のことばかりしゃべって話がかみ合わない。
(日本人以外と会話したこともないけれども)

もっとすごい人になると、カクテルを出されたのに
「私はワインがよく」とか「焼酎じゃないと」とか。
話題が(ずれまくって)います。

そんな(個人の好き嫌い)では映画を見に行くか、
行かないかの参考には、あまり、なりません。
好きだの嫌いだの言ってる人自身をこちらが知らない
のですから、良い映画も見のがす恐れがあります。


映画の話が人の悪口に変わっちゃった。

元へ戻して・・

(特撮・・死語だね)がすごい!
 楽しい。

「あ~良くできてる」

私は最近の映画は見ないので、他もみな高レベルかも
しれないことを知らず、『アリス・・』に、これは!と
感心しているのかもしれません。

でも、何から何まで「い~な~」

こんな映画を作る国には勝てないよ、な~


時間がないので明日続けます。

(この映画の白ウサギと三月ウサギは双子である、とか。
 すぐにrabbitとhareは違う!と叱られそうですが)

もともと、不器用~、なのに

2010-04-26 21:32:26 | 塾あれこれ
昔からブキヨウでした。

最近はツイテユケナイも付け加わっています。


塾が行うテストです。

前の塾では月例テストをオリジナルで作成しておりました。
一人で行う小さな塾ではそれは無理。
どこか参加させていただける処を探しました。

幸い何種類かの、信用できて規模の大きなものがありまして
小さな塾も「生きてゆけ」ると分かったときには
さすがに安心しました。

実際にやり始めて、こちらが小さすぎて、向こう様には申し訳ない
とは思いましたがねえ。
スーパーで値引きの目玉商品しか買わない客=イイトコ取リと
似たようなことをしている気分になるのです。


当塾は、業界では歴史がある大手の I 社の全国学力テストに
参加しています。
結局ここがウマがあうのでしょう。

出題内容、データ、セキュリティ、事務負担、価格など

他社でもほぼ劣らないものがあるのですが
総合力とでもいいましょうか。
 I 社が一歩抜け出ているように思います。

各塾採点という場合にバラツキが出やすい記入式の部分でも
採点基準が明確であるところが大いに気に入っています。
丁寧かつ明確ですから採点が楽です。


今年、そのテストの入力方法に変更がありました。

従来のままのものも(生きて)いますが
新しい方法が増えたのです。

答案用紙を送るか自塾採点か、
データを郵便で送るかファクスか、ウェブを使うか
いろいろな組み合わせができるので有り難かったうえに
今回大改善されたウェブサービスが加わったのです。

(向こう1年間は旧来のものと2通りの処理法がとれる
 という細かい心配りも嬉しいですね)

この新しいサービスに一問ずつのデータ入力というものが
加わっています。

もちろん、採点の打ち込みや送信をブロックごとの点数で行う
旧来のやりかたも可能です。

当然インプットに伴うアウトプットの充実が図られるので
これまた小さな塾には有り難いことです。


ただ、実際にやってみると、当塾のように少ない人数でも
マルペケすべてを入力するのは面倒でした。
(慣れないから余計そう思うのか)

1教科35問くらいが平均でしょうか。

人数が多い塾はタイヘンでしょう。

もちろん、大変に使い勝手の良いシステムになっているので
ミスは少なくて済むと思われます。
システムの流れを追うだけでミスが減る・・グ~ですねえ。

でもあとからやはり一問ずつ確認をしなくてはなりません。

あえて私一人でインプットしてみましたが
次回は読み合わせでやってみましょうか。

・・・ま、早い話が、慣れてないからクタビレタ。

菅さん、間違ってます

2010-04-25 19:39:19 | 塾あれこれ
報道によるとG20に出た菅副総理はインフレターゲットの
類を主張されているとか。

それに対して日銀の総裁は立場を異なる発言をされた
というニュースです。
インフレ誘導は、危険であり、かつ限定的な手段ですし
時代遅れにもなりかけているようです。

菅さんの主張は色あせて見えますね。


思うに、政治家は目前の景気が気になり、
日銀はより長いスパンでの経済運営を考えねばならない
という違いが大きいのでしょう。

日銀には「失われた十年」のときに政治に引っ張られすぎ
不況脱出に時間がかかったという思いも強いでしょう。

きっと白川総裁が正しいので、菅さんは間違いです。
目前の対策としても時期を逸したのではないでしょうか。


インフレにならないように細心の注意が必要です。
しかも世界中が経済のリンクを強めている時代です。

リーマンショックを乗りこえるために、従来のインフレ懸念を
下敷きにしたうえでの大幅な金融緩和がなされました。
世界中に金が有り余っているのです。

インフレ対策が取られようとしはじめているとは思いますが
上手くいくのかしら?

積雪が目前にあり、気温が緩めばいずれ雪崩が起きます。
かなりな確率で正しいことです。
いつ、何をきっかけにして、どこで起きるかが分からない
ので、何だか平気なのが人間。

インフレはそれで救われる連中も多いのでなおさら
知らないふりの人も多いのでしょう。

けれども生活弱者には大変なことです。

たとえ年10%の物価上昇でも8年後には2倍の物価に
なるのです。
60歳で1000万の貯金があったって68歳で500万に
目減りするとは!

誰が得するのかしらん?


リーマンショックの前07年にはかなり石油などが値上がりし
当ブログでも、やばいと書いております。
結局バブルは一回はじけちゃった。

今また、石油を初めとするエネルギー資源、も鉄なども
何もかもひどく上がってきています。

嫌ですねえ。

石油が85ドルでしたっけ。
それがもう大きなニュースにすらなりません。
これはヤバイ。

デフレがいけないから、インフレなどと言っておれません。
皆で「インフレはいけない」と言わなければ。

ショミンにはそれくらいしか手がないのです。

国語の先生って大変

2010-04-23 21:48:49 | 塾あれこれ
ほかの教科だって大変ですよね。
でも、国語は守備範囲が広い。

通常、授業することに加えて、背景説明もあります。
ウィキペディア程度をパラパラとしただけでは
話に迫力がでませんから勉強しないといけません。

理科・社会・美術・・などなど。

センスの部分が大切ですから自分の言葉に直したうえで
一定の理解をつんでおく必要があります。
教えることだけを付け焼刃で勉強してもごまかしきれない
でしょう。


国語自体の能力も、作文能力から、アナウンス能力、
芝居もできなきゃならないし
俳句のひとつもひねることができなければ、ね。
芭蕉や蕪村を教える時にどれほどすごい句であるか
教師が自分で感じられなければ、生徒に伝えられません。

作れない人に、良さは絶対に分かりません!
これだけは断言できます。

いや嫌いでも構わないのですよ。
芭蕉はピンとこない、山頭火がいい、という人が
「じつは」と思いながら教えても構わない。

ただ一定の理解は必要なので、その為には月並みでも
自分でひねる必要があるのです。

学校でも塾でも基本的には同じことでしょう。

学校の先生から中島みゆきのような秀才や
田原万智のような新しい才能が生まれるのは
国語の先生のレベルが高い証明でしょう。
ことは詩作の能力にとどまりませんから。


村松剛の文から短くひきましょうか。

「・・同じ年の暮に尊治親王の姉、 子も、十七歳で
内親王宣下をうけ、翌嘉元元年十二月には尊治親王は
元服して三品に叙せられた。亀山院は尊治親王を鐘愛
され・・」(『帝王後醍醐』より引用)

こんな文章に出くわすとしたらどうでしょう?

「たとえばナウタカという単語の第二の構成要素の
語根には、おそらく、ソグド語のutaka(地方、土地)
あるいはtak(ドーム、アーチ、台座)が含まれている
と考えられます。そうするとナヴィダフの場合・・」
(ルトヴェラゼ)

あるいは
「古病理学的に問題になっていたのは、直立歩行を
デュボアに確信させたこの大腿骨である。
 この左側大腿骨には小転子と呼ばれる小さな隆起
のすぐ下方から後面にある筋付着部の粗線に沿って
広基性の、不規則な、ちょうど火焔状の骨増殖塊が
外側に向かって突き出している」
(鈴木隆雄)

「この脂肪酸はミトコンドリアのマトリックス内で
 酸化分解され熱源となる。当然、酸素消費量は
 増える。同時に脂肪酸は褐色脂肪細胞のUCP-1
 に直接はたらいてプロトチャンネルを機能させ、
 せっかくつくったプロトン濃度勾配差をなくして
 しまう。その帰結はATPができず・・」
(三村芳和)

本当は教科書から引けばよいのでしょうが。

これらはそれより多少難しいものとは思います。
でも、新書レベルです。

国語の教員免状を持っているから、理科や社会は
やらないでよいとはいえないのですよね。
あらゆることを知らなければなりません。


他の教科の先生だって、近年は研究の最先端はたいへんに
突出しているようですし、勉強も難しいでしょう。

また学際的な部分の進歩も大きいと聞きます。

教える技術の勉強には手が回ってもそれ以外にまで
という余裕が持ちにくいかもしれません。

でも妙な流行に惑わされないよう、あるいは
校長がヘンな心理学を持ち出してきたら
「怪しい」と思えるくらいの勉強は常にしておいて
ほしいですね。

でないとステレオタイプの面白くない授業をして
自分は給料をもらいながら生徒の学力を押し下げる
ようなことになりかねません。

これを「食人」と魯迅は書いたのです。

(勉強すべしとはもちろん自戒をこめての話です)

怖がりのネコ

2010-04-22 21:30:27 | 塾あれこれ
たぶん何度か書いたことです。
我が家の姉妹猫は性格が違います。
片方は、だれにでも懐き、片方は異常に怖がり。
私たち二人以外にはめったに人目に触れません。

十二年以上この小さな家だけで暮らしているのに
(家から外へ出しませんので)
部屋のドアを通る時「何か危険なことはないか」
最大限の注意を払ってそろりそろりと通り抜けます。

私たちが部屋にいても、安心できないようです。
ガサとでも音がすると飛び上がりますね。

同じ時に生まれ、まったく同じ条件で育てられたのに
二匹は大きく違うのです。

ご近所にクロやシロの野良、あるいは飼い猫が沢山います。
それらを観察すると、オオムネ我が家と同じ、クロは気が強く
シロクロ混じりは細心です。何かありうる、と考えている
ように見えます。
クロが危険を予見できないのと好対照。

2匹がセットになって生き延びているのもよく見ます。
天は二物を与えず、でしょうか。
セットで勇気と知恵とを補い合うようです。


コサギ(羽が全体に白く脚が黄色)は比較的警戒心が少なく
アオサギは体が大きいのに臆病です。
カシコイのかもしれません。

これもセットかもしれません。


我々人間はネコ語を完璧には解せません。
状況と合わせて、今のは、挨拶のニャーだな、
これは腹減っているニャーだろう、と
見当をつけます。

猫もヒト語を解せません。
(少なくともそのフリをしています)

状況や表情と合わせて、これは怒っているな、とか
ヒト語は「&#*@!¥?」と云うけれども
多分「こちらへ来い」だろーとか。

その状況判断が早い(未来予測が正確)なのが
我が家のチドリ。
どうも時間がかかるのがカラちゃん。

「チドリ!二階へ行くよ」
むっくり起きてトコトコと二階へ行きます。
人より先にたってゆくことが多いですね。
ワンコに近い感じがします。

いたずらもチドリが多い。
新しい遊びもチドリが開発します。

他人が来ると隠れて出てこないのがチドリ。
「こいつら、絶対にアブナイ。信用できない。
 おとろしー。」

そばまで来てエサをねだるのがカラス
先にトレイの近くで待っているのがチドリ
まるで「お前行ってねだってこい」という風に
カラスに命令しているのかと思うほどです。

で、チドリが偏差値が高いというのが我が家の定説でしたが
じっくり観察すると、カラスは「ぶってる」ところが
ありそうで、本当はよくわかってるのではないか?

(ヒトガラ)の違い程度かもしれません。

人間だって、記憶力がよいとか、計算が速いと
カシコイって言われるけど、でも、どうなんでしょうねえ。

ゲゲゲの女房

2010-04-21 18:42:49 | 塾あれこれ
プロ野球の楽しみは素人が監督になれることです。
もちろんTVのこちら側でツッコムだけのこと。

朝ドラの楽しみも最近はツッコミですね。

その方言はない!
それを言うんなら「~」じゃ。

昭和ン年ならそのネクタイは違う。

男の和服がくだけすぎ、それではだらしない。

などなど好き勝手の言い放題です。

私が、当たってるかもしれないし
時代考証の先生が正しいかもしれません。

「戦争直後の山陰線は電化しとるまー」と嬉しそうに
突っ込む私にカミサンはあきれ顔です。
ほとんどビョーキですね。

うっすらと電線が見えるかもしれない画面にツッコンでも
仕方がないでしょうとも思うのですが。


しかし、忘れかけていることを思い出すこともあり
団塊世代以上に向けたNHK作品が減少中の昨今
貴重なドラマかもしれません。

TVで新婦が背広を仕舞うシーンでは、うちのカミサンに
「ベンジンで汚れを落としよったのー、知っとる?」
「知ってる、あの独特の匂い・・」

今日は(拝みや)がドラマの話題に出てきました。

幼いころに一度だけの記憶があります。

祖母が私を拝み屋さんに連れて行きました。
何を治しに行ったのか、それは分かりません。

祭壇のようなものの前で拝んでもらったのを
鮮明に覚えています。

たいへん固くクチドメされたことを思うと
祖母の拝み屋さん通いを祖父は嫌っていたのでは
ないでしょうか。

知より情の人だったのですね。

その祖母に育てられた父が結婚したのも
知より情のタイプの母。

よく2つの「情」がぶつかっていたようです。

ま、それは別の話題として
あるとき父が拝み屋の話をしたので驚きました。
ボクも一度、とは言いませんでしたがね。

父の時は(体にムシがいる)との見たてで
指先、爪のところから小さな黒い虫が出てきて
拝み屋が何度も拭って退治したそうです。

マジックだったんでしょうね。

古き良き時代。

ついこの間のようにも思えるのですが。

・・トハ言フモノノ御前デハナシ

2010-04-20 19:20:34 | 塾あれこれ
男らしいことが何もできない、上沼恵美子の旦那さんと
よく似ているみたいだ、とカミサンに言われます。

力仕事とか、ふつう男がすることだとか、
そういう類の事がきわめて苦手です。

カミサンがDIYやって私が昼食の準備、など
我が家ではざらにある光景です。

ほわ~い?なんでかなー

子供の頃の、過保護、虚弱体質、神経質な性格などが
考えられます。

祖母からすると、長男である父がシベリア抑留の後遺症で
頼りにならず、そのまた長男である私を大切に育てた
のでしょう。
祖母に可愛がられました。

(何ということのない「家」なのですがねえ)

弱かった私にとっては有り難い話ですが
「後遺症」が。
細かなことが気になってしまうのです。

例えば掌や指に何かつく、砂糖とか
泥遊びとか、それが気持ち悪いのです。
いちいち洗わなければ気が済みません。
条件反射のように体が動いていました。
アライグマのようです。

食事中に、醤油とか汁などが少しでもつくと
あるいは容器の外側に何かついていたものに触ると
すぐに食卓を離れ、掌を洗いに行きます。
食事中に二度三度だってありえます。
見ている方は気になったかもしれませんね。

電車のつり革を持てない人がおられます。
帰宅すると必死に手を洗われます。
似ているかもしれません。

一事が万事その調子ですから子供らしい手を汚すことが
ほとんど何もできませんでした。

さすがに小学校の高学年以降少しずつ変わりましたが
いまでもきっと胸の奥の方に仕舞ってあるはずです。
いや、手のひらに残っている、かな。


技術も芸術系もダメ。大工も農業も、職人も・・
鉛筆しか持てないならばもう少し勉強しておくべきでした。

現代はこんな人間でも還暦まで生きることができるのです。
有り難いことですが、お役に立ててないのがちょっと。