風呂敷(626)月代 20-02作成
明け方の涼しいこと!
北風が冷たくて気持ちいい。
昼間は快晴でも日陰に入ると涼しい。
まさしく秋です。
突然娘がやって来た。
私のように主人に留守番させて一人旅する・・という
タイプではないので、今夏はどこにもでかけていなかったそうで。
結局 実家がプチ旅行のホテル感覚だそう。
黙っていればごはんが出てくる、後かたずけしなくていい。
風呂は沸いている。
洗濯物はいつの間にか洗濯され乾いている。
一日中ゲームして飲んで食べてグタグタ過ごす。
宿泊料金の代わりに 食事時に主人の話し相手するのが決まり。
ちびちび飲む主人と テレビに見ながら大声で笑いあい、延々とおしゃべり。
食事が済むとさっさと離席する古女房とは大違い。
主人 ご機嫌です。
・・無音が好きな私には なかなかつらいモノがある3日間でした。
この夏の1か月半余。
閉じ込められ期間の鬱憤を晴らすべく 高原へ脱出しましたが
私のように連れ合い留守番させて・・かどうかは不明ながら
行先では一人旅のオジジオババが結構いました。
みんな夕食時にジョッキ片手でした。
テーブルについてきっちり45分後には離席する私と違って
みなさん長席です。
前回に続き メシまずい感。
おいしいとお代わりするものがなかった。
期待してた「水ナスの刺身」がなかったし~。
写真は敷地の隣にあるキャンプ場に流れている小川。
清流です。
無音。
人影もない。
広々。
清々。
すばらしい!!
ひたすら ぶらぶらしてました。
閉じ込められ期間の鬱憤を晴らすべく 高原へ脱出しましたが
私のように連れ合い留守番させて・・かどうかは不明ながら
行先では一人旅のオジジオババが結構いました。
みんな夕食時にジョッキ片手でした。
テーブルについてきっちり45分後には離席する私と違って
みなさん長席です。
前回に続き メシまずい感。
おいしいとお代わりするものがなかった。
期待してた「水ナスの刺身」がなかったし~。
写真は敷地の隣にあるキャンプ場に流れている小川。
清流です。
無音。
人影もない。
広々。
清々。
すばらしい!!
ひたすら ぶらぶらしてました。
7月中旬から8月末までの1か月半は
家とスーパー以外には出かけない ハンパない閉塞生活の日々でした。
ぐつぐつと煮えたぎるヒステリー感。
それを見越して 5月ごろから9月の高原への旅行の予約を入れていました。
実際は9月1日から秋の長雨に突入。
涼しい毎日となりましたが とにかく8日から三泊四日で群馬県嬬恋高原へ。
到着した高原では8,9日と目一杯の雨。
かまうもんか。関係ないね。
炎暑の東京では 一枚も絵を描いていなかった。
パソコンを開く気力もなかった。
で、到着してからの二日間は ひたすらパソコンに向かっていました。
二日間で二枚半、かきあげました。
集中の楽しさ!自己満足!
あ~すっきりした!!
テレビの音もなく、視界に人の影もなく、暗い森と雨のみ。
う~ん、これが私の天国
10日になってようやく高原らしい青空が広がりました。
家とスーパー以外には出かけない ハンパない閉塞生活の日々でした。
ぐつぐつと煮えたぎるヒステリー感。
それを見越して 5月ごろから9月の高原への旅行の予約を入れていました。
実際は9月1日から秋の長雨に突入。
涼しい毎日となりましたが とにかく8日から三泊四日で群馬県嬬恋高原へ。
到着した高原では8,9日と目一杯の雨。
かまうもんか。関係ないね。
炎暑の東京では 一枚も絵を描いていなかった。
パソコンを開く気力もなかった。
で、到着してからの二日間は ひたすらパソコンに向かっていました。
二日間で二枚半、かきあげました。
集中の楽しさ!自己満足!
あ~すっきりした!!
テレビの音もなく、視界に人の影もなく、暗い森と雨のみ。
う~ん、これが私の天国
10日になってようやく高原らしい青空が広がりました。
風呂敷(624)秋の宵 21-01作成
なんという事でしょう!
あれだけ暑くて死にそうだと怨嗟の声を上げていたのに
9月1日から秋の長雨に突入。
以降 連日20度以下の生活が始まりました。
長袖生活です。
あろうことか 4日土曜には主人が 足首がうそ寒いというので
(電源はいれませんが)炬燵布団を出しました。
日曜には 下着に長袖ババシャツを着ました。
極端な変化です。
それはそれで 涼しくなって良かったんだけど、
この後30度越えの残暑が来たら
オババの体は乗り越えられるんでしょうか。
考えるだに恐ろしいです…。
(今のところ10日間天気予報では涼しいまま)
(お願いしますよ。神様~)
新聞の下段に週刊誌の広告が載っていました。
老後にしておくべき事云々というのがあってその中の一つに
「人間関係の整理」とありました。
コロナ騒動が起きる前の19年に 主人と共に
「もう年なので 来年からは年賀状は欠礼させていただきます。」
と100枚以上ある賀状に追記しました。
私が印刷するのが、めんどくさくなったのです。(ほとんど主人関係)
出したい人がいるなら、その分は自分で手書きしてーと言ったら
主人は放棄。
思い返してみれば、宛名も文章も絵も、ぜ~んぶ、私に丸投げしてましたね。
年を取って外出する気力がなくなって
余り会わないしな~、もしかするともう会わないで終わるのかもな~
この先暫く会合 会食はなさそうだし、
葬式も家族葬が増えて呼ばれることもなくなってきたし。
「もう会わないで終わるかも」が、ますます現実化しています。
ワクチンがうまくいっても
外出自粛が続くこの数年の間に
多くの知り合いにボケが始まるであろうし。
(近所の人にかなり見られる)
(人の事は言えない我々でもあるし)
ともかく「人間関係の整理」はできました。
だらだら繋がっていただけの人間関係の整理ができてスッキリです。
本当にウマのあう友達だけ残したら
小学校時代1人、中高時代2人、大学時代2人、OL時代1人だけでした。
あとは時々メールする友人だけ。
惰性で年賀状出し合っていただけの関係が無くなりました。
気になるなら半年に1回くらい 電話すればいいかと・・・。
絵は以前描いた菊の花をはめ込みました。
なんという事でしょう!
あれだけ暑くて死にそうだと怨嗟の声を上げていたのに
9月1日から秋の長雨に突入。
以降 連日20度以下の生活が始まりました。
長袖生活です。
あろうことか 4日土曜には主人が 足首がうそ寒いというので
(電源はいれませんが)炬燵布団を出しました。
日曜には 下着に長袖ババシャツを着ました。
極端な変化です。
それはそれで 涼しくなって良かったんだけど、
この後30度越えの残暑が来たら
オババの体は乗り越えられるんでしょうか。
考えるだに恐ろしいです…。
(今のところ10日間天気予報では涼しいまま)
(お願いしますよ。神様~)
新聞の下段に週刊誌の広告が載っていました。
老後にしておくべき事云々というのがあってその中の一つに
「人間関係の整理」とありました。
コロナ騒動が起きる前の19年に 主人と共に
「もう年なので 来年からは年賀状は欠礼させていただきます。」
と100枚以上ある賀状に追記しました。
私が印刷するのが、めんどくさくなったのです。(ほとんど主人関係)
出したい人がいるなら、その分は自分で手書きしてーと言ったら
主人は放棄。
思い返してみれば、宛名も文章も絵も、ぜ~んぶ、私に丸投げしてましたね。
年を取って外出する気力がなくなって
余り会わないしな~、もしかするともう会わないで終わるのかもな~
この先暫く会合 会食はなさそうだし、
葬式も家族葬が増えて呼ばれることもなくなってきたし。
「もう会わないで終わるかも」が、ますます現実化しています。
ワクチンがうまくいっても
外出自粛が続くこの数年の間に
多くの知り合いにボケが始まるであろうし。
(近所の人にかなり見られる)
(人の事は言えない我々でもあるし)
ともかく「人間関係の整理」はできました。
だらだら繋がっていただけの人間関係の整理ができてスッキリです。
本当にウマのあう友達だけ残したら
小学校時代1人、中高時代2人、大学時代2人、OL時代1人だけでした。
あとは時々メールする友人だけ。
惰性で年賀状出し合っていただけの関係が無くなりました。
気になるなら半年に1回くらい 電話すればいいかと・・・。
絵は以前描いた菊の花をはめ込みました。