因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

アロッタファジャイナ『ルドンの黙示』

2008-08-24 | 舞台
*松枝佳紀作・演出 新国立劇場小劇場 公式サイトはこちら 公演は24日で終了 これまでの劇評はこちら(1,2)
 劇場にはそれぞれ特有の空気、温度がある。それが訪れる者にとって心地よいかそうでないかが、足を踏み入れた瞬間にわかってしまうことがある。あるいは終始しっくりせず、居心地の悪い中途半端な気持ちのまま劇場を後にすることもある。自分がこの劇場に馴染めないのか、それとも中でかかっている芝居に溶け込めないのか、もっと単純に自分は今回の客層の中で浮いているのか。

 アロッタファジャイナの公演でいつも感じるのは、作・演出である主宰の松枝佳紀の圧倒的なリーダーシップのもと、大勢の若い俳優たちが全力で舞台を作り上げていることである。今回も出演者は何と36人。客席を対面式にし、通路もふんだんに使い、琴の生演奏や歌も取り入れ、趣向が凝らしてある。テロリストたちの戦争が続く近未来、そこからさらに先と思われる終末と、時間と空間がめまぐるしく交錯するばかりでなく、強者と弱者が激しく入り交じり、力関係が変化していくが、およそ2時間20分を笑いの要素をほとんど入れずに、緊張感漲るままに走りきる。

 終演後のポストパフォーマンストークでは、松枝佳紀が司会で、出演俳優数人が舞台に上がるのだが、誰ひとりペットボトルの飲み物を持っていなかった点はよかったと思う。常々、客席には「トークのあいだも飲み物厳禁、キャンディ、ガムなどすべて禁止」と言い渡して(ご遠慮くださいなんてものではなく!)、さっきまで舞台で演じていた俳優さんはまだ許せても、司会者はじめ、演出家や評論家、皆悠々と水を飲んでいることに甚だしく違和感を覚えていた。しかもグラスに入れた水ならまだしも、ペットボトルの口のみは…。こういうことを気にする自分がおかしいのだろうか。さておき、あれだけの熱演のあとでも、全員がペットボトルを持たずにきちんとトークを終えたことは立派である。

 しかし驚いたのはトークのあいだ、客席から「頑張って」「かっこよかったよ」と次々に声援が飛び、質問にもどんどん手が挙がることだ。劇場は次第に出演者とファンの交流会の様相を呈してくる…。

 この違和感は何だろう。この気持ちをきちんと検証し、言葉にしていかないと、舞台をちゃんとみたことにならないと思う。戯曲の構成や演出、俳優さんの演技がということよりも、もっと根本的なところを考えなくてはならないのではないか。しかしどこからどう入っていけばいいのだろう。とてつもなく大きな課題が与えられたことに茫然としたまま劇場をあとにした。

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