因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

日本のラジオ『ムーア』

2016-10-09 | 舞台

*屋代秀樹作・演出 公式サイトはこちら  東中野/RAFT 10日で終了(1,2,3,4,5,6
 今年に入ってから、屋代秀樹の作品をすでに3本見ていることになる。このあとも11月に新作公演が行われるから、これはなかなかすごいことである。当日の配布物にも毎回工夫が凝らされており、今回はタブロイド版のような新聞に、屋代の挨拶文、登場人物の紹介、裏面にはびっしりと、『ムーア』の上演台本が掲載されているのである。惜しげもなく、といった感じで、実に潔い。

 屋代の挨拶文によれば、今回は明確にモチーフとなる作品があり、アメリカの絵本作家エドワード・ゴーリーの『おぞましい二人』(柴田元幸訳 河出書房新社)から、「作中のせりふはかなりこの絵本からの引用があるというか、雰囲気もだいぶ似せております」とのこと。またこの絵本は、数十年前にイギリスで起こった男女のカップルによる連続児童誘拐殺人事件「ムーアズ事件」(Wikipedia)がベースになっており、今回の芝居のタイトルは、ずばり『ムーア』である。

 からだに疲れがあったのか、たまたま今回の舞台のリズムと自分の波長が合わなかったのか、60分の短いものだったにも関わらず、集中を欠く観劇となった。それを取り戻すべく、新聞版の上演台本を食いつくように読んでいる。記憶に残っているものと、抜け落ちたもの、想像で補えるもの、そうではないものが入りまじり、せめぎ合って二次観劇体験的なおもしろいことになっているのである。

 登場人物は、漫画家、編集者、男、女の4人であるが、劇中何度も編集者が子どもになったり、漫画家が子どものころの自分になったり、といった仕掛けがあり、それをしっかりと把握できればもっと確かな手ごたえを得られたはず。しかし今回の『ムーア』は、伏線や仕掛け、謎解きの回収等々を頭で理解することよりも、客席が翻弄されることを求めているようでもあり、早々にゴーリーの絵本を図書館で予約したのであった。

 演劇は生ものであり、基本的に劇場に足を運んだその日そのとき、その場でだけ味わうものである。しかし屋代秀樹作品は、というか、咋年上演の『ココノ イエノ シュジンハ ビョウキ デス』のように、観劇後に上演台本を読んであれこれ想像する観客を予想しなかったところへ連れていくおもしろさがある。なので、当日パンフレットに上演台本を掲載するところに、もしかすると劇作家屋代秀樹の周到なもくろみがあるのかとも考える。パンフレットには、登場人物のプロフィールが掲載されており、ぎょっとするような過去もある。それらすべてが劇中に反映されているわけでもなく、これは今年4月観劇の『ゼロゼロゼロ』の印象が思い出された。

 こうしたさまざまな仕掛けや試みを通じて、屋代秀樹は「演劇でしかできないこと」へのこだわりを軽やかに突き抜け、いつのまにか「屋代秀樹だけができること」をひそかに作り上げているのかもしれない。

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