因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

水素74% 『転転転校生』

2010-10-26 | 舞台

*田川啓介作・演出 公式サイトはこちら アトリエ春風舎 31日まで 
 劇団掘出者(1,2,3,4,5) が解散し、作・演出の田川啓介が立ち上げた新しいユニットの旗揚げ公演。
 アトリエ春風舎は、みるほうとしては渋谷や下北沢に比べると多少不便ではある。小竹向原駅から劇場までの道は人通りも少なく、立ち寄れるようなお店もなく、帰り道は尚更暗く静かだが、観劇前は心を整えて芝居に向き合う準備、終演後は心を鎮めて考えるために実によい環境であると思う。倉庫の扉のような重い引き戸がごろごろと音を立てて閉まると、外界への出口が閉ざされて別空間での時間が始まったような感覚になる。
 たとえば青木豪の作品の場合、開演前から舞台が見えていて、そこに置かれた家具調度などさまざまな物がこれから始まる物語について観客に情報を与える役割を果たす。物置状態になった二段ベッドや「地産地消」と書かれた額をみながら、あれこれ考えるのは開演前に与えられた小さな楽しみだ。しかし今回は舞台が真っ暗で何も見えない。公式サイトにほんの少し、「こんな話です」とは書かれてあったが、事前情報はゼロに等しく、見えないところに向かって歩き出すような不安と期待が高まる。

 田川啓介の作品については、俳優が男女関係なく複数の役柄を演じ継いだり、生きている人が死んだ人と会話したりなどの演劇的仕掛けはあるものの、現実の日常に軸足をきちんと置いた上で、さまざまな試みに挑戦しており、結果としてそれらが成功している印象を持つ。非常に具体的、日常的な舞台空間を作り出しながら、そこで生まれる歪な人間関係や人間の心のきしみを描くことに力を発揮する作家ではないかと思う。
 しかしアトリエ春風舎は、劇場じたいがそうした日常性を消してしまうかのような抽象性を持っており(うまく書けない)、いつもの田川啓介作品とは少々そりが合わないのではないかと予感した。

 予感はある面で当たり、ある面では少しはずれた。タイトルのとおり転校生の話であるが、起承転結のはっきりしたラインはなく、俳優が台詞もなくいろいろな動きをしたり、同じやりとりが何度も続いたり、これまでとは違う方法を模索している様子が窺える。しかしそれらは有機的につながっておらず、まだ文字通り模索状態であり、田川の劇作家としての資質に、新作にあたっての座組み、劇場の特質など、舞台作りのいろいろな条件が合わさって相乗効果をあげているとは言いかねると感じた。

 劇団を解散すること、新しい劇団を立ち上げること、公演を実現させること。その過程には想像もできない多くの葛藤があり、労苦があるだろう。しかし客席が受け取るのは今夜目の前の舞台そのものである。水素74%の旗揚げ公演は、暗い海に漕ぎだした一艘の船のごとく航海に苦闘している印象を持ったが、何とか船を進めてほしい。葛藤や労苦がすぐ報われるほど甘い世界ではないだろうが、それらが劇作家田川啓介の糧になる日がきっと訪れると願っている。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 龍馬伝第43回『船中八策』 | トップ | tpt『おそるべき親たち』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

舞台」カテゴリの最新記事