のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

生き生き生きる、長く楽しく生きる。

2011年06月18日 07時56分33秒 | Weblog
死というものを深く考える機会があったので、
少し掘り下げたいと思う。
といっても掘り下げるのは主に逆の生きるということだけど。

人は必ず死ぬ。
死なない人はいない。
よく私は「必ず明日は来る」という表現を好んで使うが、
明日が来ない状態が必ずやってくるわけで。

逆にいえば、死ぬまでは必ず生きるわけで。
私は長生きを目指している。
目標は百歳。
母方のおばあちゃんは98歳で亡くなったから、
目標はそこかな。

人間の寿命。
最低限の病気だけして、
大病をしても乗り越えたとしたら、
つまり基本健康な年寄りだとしたら、
80歳くらいまでは普通に生きられると認識している。
特別なことをしなくても百歳近くまで生きられることは、
私のおばあちゃんが証明してくれた。
百歳を超えて長く生きるとなると、
これはもう本人の努力とか生きようとする気持ちだけではどうにもならない。
もちろんそれも必要な要素で、
それプラス遺伝とか持って生まれたものが必要になってくる。

百まで生きる。
しかも元気で生きる。
98まで生きた私のおばあちゃんも、
亡くなる数ヶ月前まで、
車椅子を降りて数歩は歩ける、
ようなレベルの元気さをキープした、
「呆け」も最低限のレベルにとどまり、
いろいろなことを忘れたけれど、
少なくとも私のことは認識してくれた。
つまり百までも元気で生きられることをおばあちゃんは証明してくれたわけだ。

そんなに長く生きたくないという方も多くいらっしゃるだろう。
その価値観ももっともなものだ。
でも私は長く生きたい。
長く人生を楽しみたいというのが正確かな。
楽しく生きる。
それで長く生きられたらいうことなしだ。

幸いにも私は長生きに欠かせない「生き甲斐」なら持っている。
いうまでもなく「文章を書くこと」である。
2011年1月現在、詩集『くじけないで』が105万部を記録している
柴田トヨさんは現在99歳。
柴田さんほどの詩は書けなくても、
私もそれくらいの年齢まで書き続けたいと思う。
書く情熱があれば、生きていられる。
歩くことも好きだ。
金のかかる趣味を90過ぎて継続することもない。
歩ける限り近所を散歩して可能なレベルの運動をして、
その頃にパソコンという形態があるかはわからないが、
書く媒体を持ち続けるお金があれば、贅沢は言わない。
少ない年金だけで生活していける自信はある。
命が尽きる直前、
本当にひとりぼっちの境遇だったとして、
まったく自分の意思で動けなくなったとしても、
日本はそういう年寄りを、
それに気付いてくれれば放置してしまう国ではないだろう。
そこも楽観している。

いろいろ大きなことをいったが、
もちろん明日ぽっくり逝く可能性や事故死する可能性も、
ゼロではないわけなのはもちろんのこと。
あくまで夢や希望レベルのお話。
そういうことだとしても、
超長生きを目指すからには、
今から体のメンテナンスは欠かせない。
もう少し体を絞らんとな。
ダイエット。
長々書いて結局最後はそこかい!(苦笑)

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2 コメント

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えーと (ガリアンブルー)
2011-06-20 16:49:24
長命の家系なのですね。良い事です。
ポジティブシンキングが好きみたいだし。
その辺はめちゃくちゃうらやましいです。

それはさておいて、
「日はまた昇る」という言葉に対して、当然
「日はまた沈む」訳で、
俺は後者の方が納得のいく好きな言葉です。

「どこかで続く悲しみが落日を
紅く染めてく」

なんて歌詞の歌があってそれが
好きだったりもします。

一番好きなマンガが「さよなら絶望先生」

ゲームとかで使える魔法が光か闇かみたいなの
がよくあって、どちらかしか使えない時は、
余程光魔法が優遇されていなけりゃ、
光を切って闇を使います。
そもそも、闇魔法は大きな犠牲が要ったり、
隠し系統だったりするので、大抵は
ものすごく強いのです。

三つ子の魂百までとはよく言ったもので、
ネガティブシンキングは洗脳されないと
直らないです。

ちなみに、「さよなら絶望先生」は
絶望からさよならする様なお話ではありません。
また理屈馬鹿? (夢見生)
2011-06-20 23:45:11
ひとつだけ。
#ネガティブシンキングは洗脳されないと直らない
は反論したいですね。

私自身が、突然の洗脳のようなものでなく、
「だんだんと」ネガティブシンキングから、
ポジティブシンキングに移行した人生ですから。

私が過去、病気が絶不調の頃は、
ポジティブに考えろと言われてもそれは無理だったわけで。
ポジティブに考えているつもりでも、
今考えると、知らず知らずのうちに悪い可能性を考える、
確実にネガティブシンキングだったわけで。

今のような超ポジティブシンキングになったのは、
突然のきっかけや、洗脳ではなかったです。
あえて言うなら順番が逆かもしれない。
ポジティブシンキングになって病状が好転したと思っていたけれど、
冷静に考えれば逆かもしれない。
病状が好転したからこそ、だんだん物事を肯定的に考えられるようになったのかなと。
ま、その辺は突き詰めると、
「鶏が先か卵が先か」
的な議論になっちゃうんですがね。

それも含め、
お前は馬鹿だからその辺が全然わかっていない。
とか言われたら返す言葉がないですが。(苦笑)

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