のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

残る症状はゲーリー君のみ。

2006年12月31日 16時30分01秒 | Weblog
2年連続での不健全な状態での新年となります。
不本意なのは当然のこと。
好きで不健康になる人なんていないからね。

一年を振り返るなんて余裕もちょっと無い。
なんとか今の小康状態を保って、
新年と同時の更新、
そして深夜の初詣を実行する。

取りあえずの、小さな目標です。

新年まであと7時間30分

壊れかけ?

2006年12月30日 22時56分15秒 | Weblog
昨日、風邪ひきました。

しかも、家族全員で討ち死にです。
自分の世話は自分でするしかない。
一人暮らしの風邪と一緒ですな。

仕事が終わった頃を見計らった頃にやってくるのが心憎い。
熱は微熱程度なのですが、
上から下から責められて大変なことになっています。
(↑意味は推察してください。書くのも気分が悪いので詳細は書きません)

一瞬
「ノロ?」
と凍り付きましたが、
だったらこんなもんじゃ済まないでしょうから、
取りあえず安堵。

峠は越えましたが、今も全快とはとても言い難い状態です。
でも、恒例の新年と同時の更新だけは、
何とかやりたいと思っています。

人がいる無人島?!

2006年12月29日 07時59分15秒 | Weblog
昨日テレビでお笑いコンビの
「無人島0円生活」、
なるモノをやっていました。
私一人なら決して見ることはないでしょうが、
小5の甥っ子が
「見る」と言うのでつき合いました。

突っ込みどころ満載でした。
いちいち目くじら立てるつもりはありません。
個人的には最近のお笑いの方向性には疑問を感じていますが、
この手の番組にとって
「やらせ」
は必要不可欠なものであり、
お笑いの番組から、
やらせを全く無くしてしまえば、
恐ろしくつまらないものになってしまうでしょう。
それより何より危険です。


以下、番組に登場していたが、
無人島にあるはずがないもの。

*釣り道具、及びエサ
*潜水道具
*銛
*火をつけるもの
*燃料用の(明らかに島のものでない)木材
*(現地で調達できるはずのない)食材及び調味料
*鍋
*サラダ油
*包丁
*まな板
*寝袋
*企画そのもののストーリー性
*番組内で発見されたり起きたりしたこと


私が気づいて今思い出せるものだけでこれだけあります。
実際にはもっとたくさんあるでしょう。
そして無人島に絶対あるはずのない最大のもの。

#カメラ、マイク、照明器具、撮影スタッフ。

ねぇ。(笑)

お笑い考

2006年12月24日 20時57分05秒 | Weblog
平成18年12月20日、
漫才コンビ「カンニング」は
一人になった。

竹山隆範、通称カンニング竹山。
彼は
「キレる」
例え立場が上の者にでも容赦なく、
「キレる」
ことで、
「キレる」
事がなかなかできない、
一般市民の共感を得た。

その「切れキャラ」が、
作られたものであることはたいていの人が知っている。
あれが「素のキャラ」で、
彼が実生活でも無礼きわまりない人間なら、
社会からつまはじきにされるのは火を見るよりも明らかだ。

芸人。
悲しい性を背負っている。

馬鹿にされることも多い。
芸風の評価、好き嫌いがはっきり分かれる。

例えば
「tunnels」の「Stone bridge」さん
「商業地区、都心部」の「beach」ちゃん
「99」のふたり。

彼らには芸というものがない。
ただ人を馬鹿にしていじめて笑いを取っているだけ。
そう言う人がいる。
実は私もかなりそう思っている。
けれど私は彼らを積極的に責める気にはならない。

彼らが芸風を変え、
人を馬鹿にせず、
当たり障りのないことしか言わなくなったら、
「守りに入ってつまらなくなった」
と、たちまち支持を失うだろう

お笑いは過激な方向への変節は、
支持されることが多いが、
一度過激な方向へ走ってしまったら、
もう決して後戻りはできない。
その反対方向への変節は、
間違いなくそっぽを向かれるのである。

苦しいことも多いと思う。
私が彼らの立場だったら、
たちまち気が狂ってしまうだろう。
爆発的に売れたとしても、安定は危ういものだ。
ネタが尽きれば、たちまち
「The end」
である。
「一発屋」
として消えていった者は数知れない。

世は常に笑いを必要とする。
身を削ってお笑いを追求する、
芸人たちの自己との戦いは永遠に続くだろう。

訃報が続きますね

2006年12月21日 06時39分36秒 | Weblog
青島幸男さん、
岸田今日子さん、
漫才コンビ、カンニングの中島忠幸さん。

死は終わりじゃない。
しっかりと足跡を残した彼らは、
残された人の心の中で生き続ける。

私も死んだとき、
一人でいいから、心の中に残り、
やがて風化して消えていく、
そんな最後を迎えられたらいいなと思っています。

天国で「青島だぁ!」

2006年12月20日 23時06分39秒 | Weblog
青島幸男さんが亡くなりました。
彼は作詞家、放送作家、
いわゆるタレント全般としては成功したけれど、
政治家としては大きくコケた。

都知事としての「失敗」で、
大きく男を下げてしまった。

私はそれを責めません。
それらはすべて、青島さんが
「普通の神経」
の人間であった証しです。

恥と我慢に堪えられない人は、
基本的に政治家としては、やっていけない。


いや、政治家という職業を否定するわけでもないんです。
政治がなければ世の中は動かない、
福祉後退などで、とかく非難の矢面に立つ人たちも居ますが、
政治家が居なかったら、
福祉そのものが機能しなくなる。

と、ここまで書いて私は考えた。
いっそ政治を無くしてしまえばどうなるのかと。
福祉にしたって、
隣組の精神で、
近くの人たちが助け合えばいい。
善意と正義があれば社会は動くのだと。

青島さんの政治家としての精神は、
そんなところにあった気がします。

ところがそれは理想でしかなかった。
自分の信念を曲げざるを得ない、
それが政治の世界では日常茶飯事、
そんな世界に
「まともな神経」
の青島さんはついて行けなかった。

少ない給料のわけでも無し、
自分のポケットマネーで買えばよいものを、
何故か公金からくすねたがる。
選挙のためだけに頭を下げ、
ふんぞり返って生きている。
そんな政治家は後を絶たない。


過ぎたお金や権力を手にすると、
多くの人は「勘違い」をする。
太古からの法則である。


政治は必要だけれど、
政治家には決してなりたくない。
卑怯で臆病で、
そして普通の僕は、
そう考えるのでありました。

世紀の凡政治家、青島幸男さん。
合掌。

もうすぐ夜11時。

2006年12月18日 22時54分41秒 | Weblog
いや、言い訳になるんですがね。
朝更新しようと思えばできたわけですよ。

本編1588、思い立って新しいスタイルに挑戦してみたわけです。
で、これはちょっと違うかなぁ。
ってことで、アップ直前で思いとどまって、

朝のタイムリミットを過ぎてしまった。

で、帰宅、NFLを観てから、
いざ更新となったわけですが、
なんてことはない、
朝、納得できなかったものをそのまま、
載せてしまったわけです。

つまり、納得できない部分も含めて今の自分なのだと、
それを、今の自分を正直に出すことに
臆病になっちゃいけないんじゃないだろうかと、

それでそのままでGoサインとなりました。

いい教訓になりました。
書いた時しっくりきていたものが、
後で振り返ってみると、
「???」
になっていたり、
その真逆もある。

作った瞬間の納得なんてあてにならない、
それが本当にいいものかなんて結論にいたっては、なおさらです。
これからもその時感じたことを正直に出していこう、

そう思い至りました。

こんな至らぬ私ですが、
永遠の未完の大器、
そう考えてご容赦いただきたいと思います。