のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

失敗したあ!

2012年01月31日 05時37分00秒 | Weblog
大失敗をしました。
内容は書けません。
なら言い出すなよって話ですが。
書くと私が恥をかくだけではなく、
他の人に迷惑を掛ける内容なので。

起きたことは書けないけれど、
失敗をしたという事実は隠したくない。
そんな気持ちです。
結果、気を持たせて申し訳ないです。

あー恥ずかしい。
顔から火が出そうだ。
ま、いっか。
これもまた人生。
そう思うことにする。

ジョコビッチ優勝、全豪テニスを見て思ったこと。

2012年01月30日 08時04分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#全豪テニス、ジョコビッチ連覇…ナダル破る(YOMIURI ONLINEより)

WOWOWの中継を見た。
物凄い迫力。
ノバク・ジョコビッチ、ラファエル・ナダル、両選手。
オーラ出まくり。
いいもの見させてもらいました。

こりゃ無理だ。
今の錦織圭選手では、とても太刀打ちできるレベルじゃない。
けれど後ろ向きには捉えない。
現段階でのトップ選手との実力差は、
誰より錦織選手本人がわかっていることだろう。

彼のテニスはワンランク上がった。
それでもさらに上はある。
そしてさらに上を目指す。

たとえば陸上競技で日本人短距離選手が、
ウサイン・ボルトより速くなってやるというのは無謀な目標だ。
少なくともテニスはそういうレベルではない。
世界一への道のりは確かに険しいけれど、
視界から完全に離れているようなレベルではない。

諦めるな。
諦めたら終い。
テニスに限らない。
何の世界でも同じこと。

それは我々が日々実践できることでもある。
超一流を見ることは刺激になる。
それは超一流になっている「そのこと」だけではなく、
その人を超一流たらしめているのは何だろう。
そこまで想像できることなんじゃないかな。

重友梨佐選手の話はさておいて、努力の話。

2012年01月29日 23時59分00秒 | Weblog
今日行われた大阪国際女子マラソン及び
優勝した重友梨佐選手に関してはノーコメントです。
本当は書きたくてうずうずしているのですが、
何せ中継を見ておらず、ニュースレベルの知識で
「知ったか」をするのはどうかなってことで。

かといってまったく関係ない話をするのも何なので、
関連して「努力」について書いてみようと思う。

我々が一流のアスリートを見て一番学べるのは、
この「努力」の部分ではないでしょうか。
私がマラソン中継を見て、
「オリンピックのマラソン代表になれるかも」
と思ったら、それは無謀な発想以外の何物でもないわけで。

けれど一流アスリートの努力に関しては、
我々の生活の中にも十分取り込めるものでしょう。
彼らがインタビューとかで、
「天才」という言葉を使われると、
ほとんどすべての人が否定する。
それはただの謙遜ではなく、
天性の才能ではなく、日々の努力でここまで来たのだ。
という心の叫びが聞こえてくるのです。

彼らに天才と呼ばれる資質があるとしたら、
それは努力を継続できる才能に長けているということでしょう。
ナンバーワンになれなければオンリーワンになれ。
人は簡単に言うけれど、
オンリーワンだって凡人にとっては大変なことだ。
けれど「コンスタント」ならどうだろう。
つまり努力を続けるってこと。
確かにこれも難しいけれど、
「ナンバーワン」「オンリーワン」よりは
ハードルが低そうに思える。
天性の才能に恵まれていなくても、
努力を続けることは「自分次第」だ。

「才能とは、一瞬のひらめきやきらめきではなく、情熱や努力を継続できる力だ」
将棋棋士、羽生善治さんの言葉である。

(NHK プロフェッショナル 仕事の流儀より)

諦める前にやってみること。
「とりあえず」という言葉を付けず、
まずやってみること。

同じく偉人の言葉。
「成功する秘訣は成功するまでやめないこと」
パナソニックの創業者。
世界に日本が誇れる不世出の経営者。
松下幸之助氏の言葉である。

このふたりの言葉には実に刺激を受けた。
努力、努力だ。
私にもできる。
私にもなにかできる。
そう信じて。
これは甘っちょろい理想論ではなく。
厳しい茨の道へ至る考え方。

偉人でも何でもない私が一歩でも偉人に近づこうとする努力。
努力は義務でなく自由。
だから努力した者が成功できる。
努力を怠らないこと。
これからもこの精神を大事にしようと思う。

昨日はいろいろありまして

2012年01月28日 05時43分00秒 | Weblog
前職職場の飲み会に参加してきました。
下戸の私にとっては食い会ですけどね。
楽しかったです。
私が去った後の新人さんも来ていて、多いに盛り上がりました。

飛行機の料金体系の話をしていたとき、
思わず口から飛び出してしまった言葉。
「東亜国内航空が~~」
やべ。
爆弾踏んだ。
歳がばれる。
ま、いっか。

私が会社の近くに出向いての会でしたが、
浦島太郎感覚を味わいました。
地下鉄に転落防止の壁が設置されていて、
電車が着いてドアが開いたときだけ開くようになっている。
工事中だった高層マンションに、
普通に人が住んでいるっぽい灯りが点いている。
辞めてから10ヶ月以上経っているのだからそりゃ変わるわな。

たらふく食って大満足の帰路。
乗換駅での出来事。
電車から降りて、ドタドタッガンッという音。
振り返ると男性が倒れている。
そして倒れたまま動かない。
アルコール臭。
明らかに飲んでいる。

すぐに人だかりができる。
駅員さんを呼ばなくちゃ。
走った。
あいにくホームに駅員さんがいない。
15両編成の電車で運転手さんからも車掌さんからも離れている。
そうだグリーン車!
グリーン車の係員さんのいる車内の部屋の窓をどんどん叩く。
私の顔を見ればただ事でないことはわかったろう。
外に出てくる。
「人が倒れています」
「わかりました」

倒れている人のところに戻って周囲の人に
「駅員さんを呼びました」
と報告。
倒れているお父さん。
相変わらず動かない。
目撃談では柱に頭をぶつけているらしい。
救急車を呼んだ人がいた。

待っている時間はとても長く感じた。
電車を降りるときに見た時計と後で見た時間を計算すれば、
待った時間は2分もなかったことになる。
そのときは対応が遅いように感じたが、
社内通信で連絡して駅員さんがすっ飛んできたのは最短時間だったことになる。

駅員さんが来た。
私たちが声を掛けてもピクリとも動かなかったお父さんが、
条件反射だろう。
「お客さん!大丈夫ですか?!」
という言葉に反応。
ピクと動いて目を開けた。
自分で身体を起こす。

長くなるので省くが、駅員さんの対応は見事であった。
一言で言えば慣れていた。
考えてみれば時間は午後11時過ぎ。
酔っぱらってホームで倒れるお客さんというのは日常茶飯事なのだろう。
「もう大丈夫です。ありがとうございました。」
集まっていた人、解散。

白状しよう。
だいぶ前になるが、同じような場面に遭遇し、
見て見ぬふりをして通り過ぎたことがある。
時間的には得をしただろうが、後味は非常によろしくなかった。
次の日までずっと後悔の念でいっぱいだった。
新聞を見るのが怖かったが、何も載っていなかったから大事なかったのだろう。

そのとき決意した。
以後こんなときは良心に従って行動しよう。
いいことをしたという自己満足かもしれないけれど、
最悪の事態を迎えるよりは数百倍いい。
今回、自分の中の人間ルールを守れた。
それだけのこと。
偉いことをしたなんて思い上がらないことだ。

安心したらどっと疲れた。
家に帰って、ばたんきゅー。
眠りに落ちたのでありました。

コンタクトの調整に行きます

2012年01月27日 05時46分00秒 | Weblog
去年の3月に初めて遠近両用コンタクトレンズを買った。
若ぶっていてももうすぐ48歳。
老眼は確実に進んでいる。
コンタクトの視界に慣れてしまうとメガネには戻れない。
コンタクトレンズ歴は32年を超えた。

たとえば視界の狭さ。
たとえば走ると視界が揺れること。
できればメガネがメインの世界には戻りたくない。

買った当初はよかったが、
最近また本を読むのに不自由を感じるようになった。
読書好きにとっては致命傷だ。
コンタクトの保証期間は1年間。
その間なら無料で度を調整して貰える。
そのタイムリミットまで2ヶ月を切った。

今日買ったお店へ行く。
視界はクリアに越したことはない
老眼オヤジのささやかな抵抗。

若いとおだてられ、いつまでも若くあれ。

2012年01月26日 06時31分00秒 | Weblog
先日。
いつも大変お世話になっている場所に、
新年になって初顔出しをした。

心を許せる仲間たち。
他愛もない会話。
そしていつものようにオヤジギャグ連発。
弾けまくった。

その場所の若い女性スタッフと年齢の話になって、
今年、年女だという。
「私もですよ。辰年。年男。倍です」
今年48になると言ったらびっくりされた。
近くにいて「36だと思いました」という人もいた。

多分にヨイショはあると思います。
36歳はいくら何でも盛りすぎでしょう。
年齢の話は八分目に聞いたほうがいい。
誰でも経験はあると思うが、
尋ねられて人の年齢を多めに言う人はいない。
ちょっと少なめに言ってみるものだ。

でも若いと言われて嫌な気分になる人はいないわけで。
私もとても嬉しかったわけで。
やっぱり若めの歳を言うというのは、
人間関係を円滑にする一種のマナーなのかとも思う。

騙されたと思って、
若い気分のまま突っ走ろうと思う。
私は若い。
そう信じる。
それがいつまでも若くある秘訣。

夢はでっかいぞ。
百歳になって、
「80歳くらいにしか見えない」
言われてみたいものです。
生きてやりますよ。
98歳で亡くなったおばあちゃんを超える。
最高のおばあちゃん孝行じゃないですか。

長生きって健康状態だけじゃなく、
意志の力も大きいと思うんです。
「若いと思えばいつまでも若い」
は嘘ではない。
死ぬまで青春だって可能なんだ。

若いとおだてられて、ここまで言う私。
本当におめでたい人間だ。
はい、否定しませんよ。
馬鹿と言われても若くあれ!

錦織圭の活躍。驚きだけれど奇跡ではない。

2012年01月25日 22時57分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#テニスの全豪オープン第10日は25日、メルボルンで行われ、男子シングルス準々決勝で第24シードの錦織圭選手(フリー)は、第4シードのアンディ・マリー選手(英)に3―6、3―6、1―6でストレート負け。(YOMIURI ONLINEより)

残念ながら今日の錦織選手の試合は観られなかった。
結果論は好きではないけれど、
混合ダブルスとの掛け持ちも一因だったかもしれない。
結果ベスト4には進めなかったわけだが、
いうまでもなくこれはグランドスラムである。

強さを世界に示した。
ここまで来たのは、
驚きだけれど奇跡ではない。
一歩一歩の積み重ね。
日々の努力を続けるという才能が、
錦織圭というプレイヤーを支えてきたのだ。

ランキング上昇は間違いない。
世界はこれをフロック(fluke、まぐれ)とは認識していない。
守って守って我慢して。
カッコわるくても勝つ。

防御は最大の攻撃なり。
これはひねくれ者の発想ではない。
確かにスマートではないけれど、
逆の立場に立ってみればわかる。
攻めても攻めても破れない。
そのとき相手はどう思うだろう。
どれだけダメージを受けるだろう。
これは高度な戦略論なのだ。

防御、守るということを日々の積み重ねと考えてもいい。
日々の積み重ねなくして劇的な結果は得られない。
鍛錬を怠って生まれ持った才能のみで、
オリンピックの金メダルを得られるだろうか。

錦織選手はこの厳しい世界では、
華麗な「エアケイ」だけでは勝てないことを悟った。
そして、走って走って、拾って拾って。
その戦い方を自分の「攻撃スタイル」にすることを選んだ。

我々凡人にも応用できるスタイルだと思いますよ。
すぐに結果を求めない。
我慢我慢、積み重ね。
それが成功の原則。
我慢は辛い。
積み重ねはまどろっこしい。
でも結局はそれが良い結果を出す最短の道なのだ。

超一流を見ることは勉強になる。
結果私はベスト8に勝ち上がる試合しか観られなかったわけだが、
錦織圭選手がプロテニス界の超一流の仲間入りをしたことは十分わかった。
この男はまだまだ強くなる。
その可能性を信じられる。

私にも無限の可能性があるはずだ。
いや、必ずある。
錦織選手の活躍は私の内面を開拓してくれた。
感謝。
これからも超一流に触れる機会は常につくらなくてはならない。
人生日々勉強だ!

全豪オープンテニス。錦織圭選手の快挙。さらに上へ。

2012年01月24日 05時59分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#錦織、全豪テニス8強入り 日本男子80年ぶり(朝日新聞デジタルより)

WOWOWの生中継を見ました。
テニスに詳しいなんてとてもじゃないけれど言えません。
でも最低限の基本は押さえていますよ。
たとえばサーブがネットに触って定められた範囲内に落ちれば、
アウトではなく打ち直しになるとか。
そこら辺までは押さえている。

超一流を見るのって刺激になる。
何の世界でも同じ。
超一流は凄い。

プロ根性というのかな。
俺はこれで飯を食っているんだ。
勝つんだ。
強くなるんだ。
その自覚、主張がビンビン伝わってくる。

人はお金を貰って働いているということは、
何かのプロであるということだ。
サラリーマンはサラリーマンのプロ。
それが働いてお金を貰うということ。
誰もがプロフェッショナルだということ。

プロフェッショナルだとの自覚は持ったほうがいい。
それだけで人生の充実度が格段に変わってくる。
その意識を持っていれば仕事はおろそかにできないはずだし、
なおざり、いい加減、通り一遍でないということは、
人に対しても自分に対しても誇れることだと思う。

ちょっと外れるけれど、
主婦、専業主婦もプロフェッショナル。
専業主婦であることも卑下することはない。
たとえばニート、働いていない人は、
将来プロフェッショナルになるための準備をしている。
そう考えたらどうだろう。

錦織圭選手はプロフェッショナルのテニスプレイヤーだった。
エアケイは事実上封印している。
昨日のNHKテレビ
「“カッコわるくても勝つ” テニス 錦織圭」
も見た。
「カッコわるくても勝つ」って逆にかっこいい。
これはもちろん結果を出しているから言えるんだけれど。
プロ精神を持っている人は輝いている。

そしてプレイヤー同士の尊敬。
錦織くんはジョーウィルフリード・ツォンガ選手に敬意をもって戦っていた。
ツォンガ選手も同様。
見せ場をつくった。
お互いの尊敬のもと生き生き戦っていた。
錦織くんはツォンガ選手を負かしたようで、
ツォンガ選手も人生という視点で考えれば決して負けではなかった。

今は会社勤めをしていない。
時間の融通は利く。
真っ昼間の中継を見られることに感謝。
超一流を見て刺激を受ける。
私の人生は昨日また少し豊かになったのだった。

常に正しい決断をできる人なんていない

2012年01月23日 05時19分00秒 | Weblog
今までの人生において、
いろいろな決断をしていた。

決断の結果みたいなものが出たものもあるけれど、
何が正しい決断だったかなんて、
結局のところわからない。

間違いがないのは、
決断をしなければ始められなかったってこと。
たとえ誤った決断でも、
決断して始めなければ前へ進めない。
間違った決断だったとわかれば、
修正もしくはやり直せばいい。

常に正しい決断をできる人なんていない。
確率二分の一、二者択一の問題だったとする。
ひとつの問題なら全部正解する確率は二分の一だけれど、
2つなら全部正解率四分の一。
10個なら全部正解率1024分の一。
20個なら全部正解率1048576分の一。
長い人生なら決断の数はそれくらいは出てくる。
全部正しい決断をするのは事実上不可能。

だから失敗を過度に怖れない。
誰だって失敗は嫌だ。
けれど失敗が避けられないものならば、
ビクビクして何の決断もできない人生は、
失敗以上に悲しい結果になる。

私?
失敗だらけですよ。
会社を辞めて独立という決断だって、
どうなるものかまったくわからない。
でも決断しなければ、
会社に勤めながら悶々とするばかりだった。
後悔はしていない。

自分の人生。
決めるのは自分。
決められるのは自分だけ。
アドバイスを受けた、やらされた。
そんなことでも自分の行動を最後に決めるのは自分。

失敗してもいいじゃないか。
後悔してもいいじゃないか。
人生、やり直し、修正はきく。
失敗は成功のもと。
失敗は成功の友だ。
失敗や後悔を怖れて何もしないことのほうが、
あとあと後悔するものだと思いますよ。

待たせることで得る信用

2012年01月22日 06時00分00秒 | Weblog
昨日、散髪に行った。
行きつけの理容店である。
生涯を通じてそこ以外で髪を切ったのは一度しかない。
そんな超常連の店。
さすがに私が幼かった頃からは代替わりして、
お姉さんと呼んでいる人が切ってくれる。
(ただし私がお姉さんと言うのだから年齢はお察し頂きたく)
旦那さん(私はお兄さんと呼んでいた)を亡くしひとりで切り盛りしている。

結構雨が降っていた。
だからお店は空いているだろう。
そんな計算から。
果たして空いていた。
予約というシステムがない店だから、
待たずに切って貰えるのはラッキーなこと。

普段と結構待つこともある。
仕事は実に丁寧。
待たせているからぱぱっと済ませるということはない。
待つ客はそれで逆に安心する。
混んでいたとしても自分の番が回ってきたときも
手を抜かれることはないんだなと。

つまりこの床屋は、
客を待たせることにより信用を得ているのだ。
商売を始めようとしている身にとって、
これは実に興味深い示唆である。

待たせることがいいと言っているわけではない。
何の商売でも待つことが大好きな客はいない。
だが客は「ちゃんとした理由」があれば、
待っても文句を言わないものだ。

一見サービスと相反するサービスもある。
何より商売は信頼関係。
激安カットのお店もあるが、
私はこの店が続く限りは浮気するつもりはない。

初優勝。強いぞ!把瑠都。

2012年01月21日 05時51分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#大相撲初場所(東京・国技館)13日目の20日、東大関の把瑠都(27)=本名カイド・ホーベルソン、エストニア出身、尾上部屋=が、千秋楽を待たずに初優勝を果たした。(asahi.comより)

4年以上の空白。
それだけの間、新横綱が誕生していない。
白鵬がそれだけ独走状態だったってこと。

新横綱誕生の期待が高まる。
絶対的な強さを誇る一人横綱というのも悪くはないが、
やはり「強者どもが競い合い」が理想であるのは間違いない。

昨年、角界は地獄を見た。
汚名は本気の相撲、強い相撲で晴らすしかない。
口でいくら反省の弁を述べるより、
相撲で魅せる、ことこそ最大の効果がある。

今場所の把瑠都は強かった。
「豪快」というのは相撲が持つ魅力のひとつ。
捕まえたら決まり。
白鵬とは違う意味でこの言葉がよく似合う。
強烈な個性というのは見ていて気持ちが良いものだ。

そしていうまでもなく他の力士の奮起。
両国国技館から日本人の優勝盾が消えた。
それはとても寂しいこと。

横綱把瑠都の誕生を期待する。
日本人力士の活躍を期待する。
それは決して矛盾することではない。

国技、大相撲の発展を心から願う。
今、私は大相撲をチェックするのは、
ダイジェストやニュースである。
願わくば私が毎日生中継に釘付け。
もしくは国技館で生で見たくなる。
そんな時代が来てほしいものである。

嘘情報。F1のFはFastのF。

2012年01月20日 07時30分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#フジテレビは19日、自動車レースの最高峰、F1世界選手権の営業権を持つ英国の運営会社との放送権契約を、2012年から2年間延長することで合意した、と発表した。ただし、これまでF1を放送してきた地上波からは撤退し、系列のBSフジによる放送に切り替える。(asahi.comより)

F1のFをFastのFと言って友人から馬鹿にされたことがある。
知ったかぶりはするもんじゃない。
つまりはその程度の知識ということ。

観ていたのは、セナ、マンセルの時代かな。
しかし基本は知らない。
専門用語はちんぷんかんぷん。
「ピットイン」がギリギリセーフ、そのレベル。

タイヤ交換をするのはピットインのスピードを競うために、
ルールで必ずしなければならないと定められているから。
F1に詳しいヤツが私を馬鹿にするためにしかけた嘘知識。
長い間、本気で信じていた。マジで。
これも某所で恥をかいた。
だって知らんもん。
自動車のタイヤは1万キロ以上走れる。
その曖昧な常識しかなかったから、
たかが1時間くらいですり減って走れなくなるとは思わなかったもんな。

そんな私でも今回の地上波撤退で、
視聴者が大幅に観る機会を奪われることくらいはわかる。
BS放送の視聴者が増えたとは言え、
地上波だけを観られる環境の人の数とは、
現状大きな差がある。
余裕のないF1ファンには酷な話。
フジテレビにとっても視聴率が減り、
その影響でスポンサー収入も減り、
いいことはないと思うのだけれど。
フジテレビの真意は・・・わからない。

ラジオは友だち

2012年01月19日 07時13分00秒 | Weblog
良くも悪くも、
パソコン及びインターネットによって、
多くのことが実現できる世の中になりました。

機械音痴の姉が、
猫がアンテナに飛びつくので、ラジオが聴けない。
とこぼしましたので、
radiko(ラジコ)を教えてあげたところ、
いい音に感動しておりました。

ネットの弊害も言われるけれど、
ネットが私たちの生活を飛躍的に便利にしたこともまた確か。
進化を後ろ向きにばかり捕らえることはないだろう。

さて、ラジオ。
学生時代、特に中学高校時代はよく聞いた。
あとは心の病が辛かったころ。
ラジオは友だちだったよ。
大袈裟じゃなくラジオが心の支えだった時代があった。
今でも人よりはラジオを聞くほうだと思う。

伊集院光、裕木奈江さんは大恩人である。
そのラジオは暗黒の世界に居た私に差す光だった。
TBSラジオ、月曜深夜1時から。
「伊集院光 深夜の馬鹿力」は
今でも欠かさずチェックしている。
本来なら「伊集院光さん」と呼ばなきゃいけないのだろうけれど、
さん付けすると別人になっちゃうので、あえて呼び捨てさせていただく。

ラジオはイメージが膨らむ。
映像がないというのは逆の効果があるのだ。
聞いている人の数だけ、
それぞれ違う「ラジオの風景」がある。
耳しか拘束しないから、
ながら聴きできるのも大きい。

そう、ラジオは最高!
ラジオなんか興味はないという若い方も、
そんなこと言わずに一度聞いてみてくださいね。
きっと新しい世界が開けますから。

「ウィキペディア」英語版停止。ネットの自由と規制の矛盾。

2012年01月18日 21時35分09秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#インターネット上の百科事典「ウィキペディア」英語版が18日午前0時(日本時間同日午後2時)、米議会で審議中のオンライン違法コピー(海賊行為)防止法案をめぐり「ネットの自由を侵す」と抗議して表示を停止した。(MSN産経ニュースより)

今のところ、日本語版のウィキペディアは
表示されますのでご安心を。

インターネットを規制すべきかは難しいところです。
ネットの自由を保障すべきだという意見はもっともですが、
ネットの情報はまさに玉石混淆。
有害な情報も多々ある。
まったくの野放しにすると、社会に悪影響を及ぼす。
それもまた事実です。

中国のように、
インターネットを完全に官憲の支配下に置くのは問題ですが、
(北朝鮮の通信事情は論外ですね)
有害情報も垂れ流し状態の現状もまた問題有りと言わざるを得ない。

例えば私のメールソフト。
迷惑メールフォルダには、
怖ろしいばかりの数の有害情報が放り込まれてきます。
あり得ない儲け話、エロをはじめとする出会い系。
人間性善説はこの面では信じられません。
免疫のある人ならよいが、
騙されてしまう人もいることでしょう。
受け取る側の自己防衛や啓蒙活動だけでどうにかなるものではないでしょう。

ワンクリック詐欺等々。
ネットによる被害はあとを絶たない。
お馬鹿さんのやること、お馬鹿さんが引っ掛かること。
そう片づけるのは簡単ですが、
笑い話で済まない被害が続出している昨今。
何らかの規制も必要なのではとも思いたくなるのです。

ここまで偉そうなことを書き連ねましたが、
私自身、この問題に関する結論めいたものはできていません。
有害情報が存在するのも確かだけれど、
通信の規制は暗黒世界への第一歩。
通信の自由が例えば官憲によって侵されれば、
とても暮らしづらい世の中になる。
有害情報化もしれないからと、
自分のメールの受信トレイが、警察に覗かれる世の中。
考えただけでも怖ろしい。

他人を騙して儲けることだけ考えて生きている(としか思えない)
人が少なからずいる。
その悲しい現実。
格好を付けるまい。
私もなにがしかの悪を内包している。
完全無欠の善人などと言い切る自信はまるでない。
悪と付き合って上手に生きるしかない。
それが人間社会の必然なのかもしれない。

阪神大震災から17年。生ききろうと決めた日。

2012年01月17日 05時41分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#6434人が亡くなった阪神大震災から17日で、17年になる。兵庫県宝塚市を流れる武庫川の中州には16日夜、追悼の石積みのオブジェが懐中電灯でライトアップされ、「生(せい)」の文字が暗闇に浮かび上がった。(asahi.comより)

17年。
あっという間のような、長かったような。
あの惨状は目に焼き付いている。
当時、私は働いておらず一日中家にいた。
積み木を崩したように倒れた高速道路。
燃える街。
何より刻々と増える犠牲者情報。
食い入るようにテレビを見つめていた。
去年の東日本大震災のときと同じ。
自分の無力さを思い知らされつつ。

ボランティアに行くという選択肢は捨てざるを得なかった。
心の病を抱えている。
病状は改善したとは言え、完治ではない。
極限状態で病が暴れ出す可能性は高い。
そのとき被災地で私は足手まとい以外の何物でもなくなるわけで。

しっかり生きなきゃ。
その思いは強くした。
私は幸いに生かされた。
生きて生きて生ききってやる。
その決意。

今も思う。
生きることが私の責務。
薄っぺらと言われようが理想論を語る偽善者と言われようが、
前向きなことを書き続ける。
私のやるべきことは私ができること。
そう信じて、書く、生きる。
合掌。