のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

自分を責めないという選択

2014年10月31日 15時39分24秒 | Weblog
父。
疲れている。
今日デイサービスへ行くのもドッコイショ状態だった。

当たり前か。
ぶっ倒れて救急搬送されて二日。
疲れていないわけがない。

この悲劇を呼んだ直接の原因。
私が父から目を離したこと。
で、父はひとりで家から出掛けた。
私のうたた寝が呼んだこと。

でも。
気に病まないことにした。
仕方のないことだったのだと。

ついうっかりだ。
天気が良い日の30分のうたた寝を悪にしたら。
それはものすげーキツイ生活になっちゃうわけで。
そんな姿勢で介護が続くわけがない。

いつも言っていること。
今できることをやる。
その意味では手を抜かない。
至らぬところは多々あったけれど。
それができたから母の看取りでは後悔をせずに済んだ。

できることをやらないことと、ついうっかりは違う。
自惚れかもしれないけれど。
父の介護に関して。
やるべきこと、できること。
それはやっている、できている。
その自負はある。

人間の力ではどうにもならない部分はある。
うたた寝を防ぐとか。
「頑張ればなんでもできる」系の自己啓発本になら書いていそうだが。
少なくとも私には無理だ。
母の時にお世話になった「徘徊センサー」
つまり、玄関を出たら私の傍のアラームが鳴るというシステム。
その導入も本気で考えなきゃなるまい。

今やるべきことをやった上で。
今できることをやった上で。
自分を責めない。
今回のことに関しても。
今後のことに関しても。
私は神様ではない。
全く隙のない完璧な介護なんてできっこないのである。

お騒がせの父

2014年10月30日 04時13分39秒 | Weblog
昨日。
いろいろありました。

いつものように朝食を食べて。
そのあと数回「朝ご飯まだ?」と父が聞いてくるのはご愛敬だ。
デイサービスお迎えまでのひととき。
あまりの天気の良さに自室のソファーでうたた寝。
ハッとした。
飛び起きた。
胸騒ぎがする。
案の定だ。
家のどこにも父がいない。

慌てて近所を探す。
見つからない。
デイサービスが迎えに来る。
事情を話す。
姉にも連絡。

私が家から動けないのが辛いところだ。
遠くまで探しに行けば鍵を閉めることになる。
父は鍵を持っていない。
私と入れ違いに帰ってきたら締め出しを食らう。
物騒な世の中。
鍵をせずに遠出するわけにもいかない。

決心。
警察に連絡をする。
県内手配ということになった。

やきもきしていた矢先。
電話が来た。
「○○救急隊です」
え!?
父は見つかった。
救急車が呼ばれていたのだ。
コンビニでふらついて倒れ込んでしまったというのだ。
すっ飛んでいく。

意識はあるが反応が薄い。
血色が悪い。
脈拍呼吸とかは問題ないとのこと。
そのまま救急病院へ。

一通り検査。
幸い緊急性のある病気は見つからなかった。
お医者様に糖尿病の「状態」を指摘される。
断言はできないけれど血糖値起因が考えられるとのことでした。

やらかしておいて父は一切困っていない。
病院でもいつも通り飄々として、セクハラ言動の嵐。

そしてタクシーで帰宅。
無事に帰り着きました。
「寝る」と父は布団に入った。
さすがに疲れたのだろうな。

さて。
これで日常様々な危険が出てきたことになる。
不意に出掛けて帰ってこられなくなる危険。
倒れる等具合が悪くなる危険。
このふたつが複合して起きるともっと危険。

しばらくは目が離せないな。
当分のあいだ父が家にいるあいだの私のお出掛け予定は中止だ。
こういう歴が付いてしまった以上、心配で父をひとりにできない。

抱え込んだなんて思っていない。
これは父のためである以上に私のためでもある。
今できることをやらないで後悔することはゴメンだ。
母を看取ったとき。
試練ではあったけれど。
できることをやりきった。
だから後悔せずに済んだ。
我が儘放題の父は母とは違うけれど。
そう、いつも通り。
笑顔と感謝を忘れずに。
介護生活。

やっぱり生がお好き?テレビの変化の波

2014年10月29日 03時53分29秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#NHK:ネット無料サービスを拡大へ 来春にも(毎日jpより)

番組ネット配信。
この流れは止まることはないだろう。

テレビのあり方そのものも変わってくるだろう。
アンテナ線を通ってくるテレビ電波を、向こうの決めた時間にテレビの前で同時視聴する。
時代遅れの感があるのは私だけか。

好きな番組を好きな時間に観る。
長い目で見ればテレビは必ずその方向へ向かう。
生放送を否定するわけじゃない。
生放送の魅力はまた別の話。

すべてのチャンネルをずっと録り続ける。
全録レコーダーというものがある。
発想は斬新だったが、いずれ廃れる気もする。
好きな番組を好きな時間に観られる。
もちろん過去の観たかった番組も含め。
そういうテレビの形態になったら。
全録レコーダーは存在意義を失う。

便利がどんどん進んでいく。
テレビもまた例外ではない。
MHKのような経営形態で、この「無料」というキーワードがどこまで続くのか?
興味を持って見守っています。

ほんとうに絶望はなかったか?

2014年10月28日 02時48分08秒 | Weblog
絶望はしなかった。
だから今、生きていられる。
そういう意味のことを私はよく書く。
それは実感だからして。
間違いのないことなのだろうけれど。

ほんとうにそうなのだろうか。
このあいだ考え込んでしまった。
「ほんとうに絶望したことないんですか?」
問い詰められる感じでもなく。
ごく自然に。
さらりと人に言われた。

その人にしてみたら軽い気持ちだったのだろう。
絶望したことのない人なんていない。
その人のその確信が伝わってきた。
純粋な言葉だったから心に響いた。

そうやって改めて考えてみるとね。
自分の発言を全面撤回する気はないけれど。
プチ絶望はあったかもしれないと。
正確には絶望してもおかしくない状況に置かれたことはあるなと。

具体的にはね。
やっぱ心の病が酷かった頃ということになる。
大学三年から四年に上がる春休み。
心の病発症。
精神病院へも入院した。
お情けでの大学卒業。
就職はしなかった。
それを許す精神状態ではなかった。

辛い時代は続いた。
飯食って寝て薬飲んで病院行くだけ。
そういう日々は通算軽く十年を超える。

つまりはその時期に。
プチ絶望はあったのじゃないかと。

絶望がないから乗り越えられた。
それも事実なのだけれど。
それは今振り返っての美化された思い出。
どろどろした現実の世界でほんとうに絶望はなかったのか。
そう考えることもできるわけで。

記憶はならされる、美化される。
今となってはほんとうのところはわからない。
小さな絶望はあったのかもしれない。
それが今の私の礎になっているのかもしれない。

過去は過去。
あまり考え込むこともない。
わかんないでいいじゃん。
希望、望みを希う(こいねがう)
今の私はその中にある。
正直過去私に絶望があったかなんてどうでもいいことなのである。

パソコン教室。初めての迷い。

2014年10月27日 04時00分38秒 | Weblog
自宅でのパソコン教室。
頓挫している。
ある程度順調な時期はあった。
父のことを言い訳にするようで恐縮だが。
父に「手がかかる」ようになった。
父のいる時間は予約が入れられない。
つまりは土日は休業日。
月から金曜日もデイサービスに行っている間しか予約が入れられない。
デイサービスのお迎えは午前11時を過ぎることがある。
帰りは午後4時より前になることがある。
月から金曜日のお昼12時から3時までしかやっていないパソコン教室ってねえ。
魅力ないでしょ。
その状況は当然生徒さんにも伝わる。
急激に予約は減った。
今は予約のある日が珍しい。
そんな状態。
いわば「開店休業」状態だ。

父のことは言い訳だ。
それは自分が一番よくわかっている。
人にパソコンを教える。
そのことに関して心が折れかけている。

勉強のいたちごっこ。
講師としてのスキルキープ。
勉強しなくちゃならないことが増えるばかり。
なんの世界でも常に学ぶ姿勢は必要だけれど。
この世界は新しい知識のサイクルが早すぎる。
正確にはパソコンそのもの以外の必要とする知識が増えてきた。
スマホ、タブレット端末、その他諸々。
パソコン講師を名乗るからにはそれらを「知らない」では済まされない。
学んでも学んでも、学ばなければならないことが追いかけてくる。

冷静に考えている面もある。
パソコン教室は成長産業じゃない。
特に私がメインにやってる初心者向け。
パソコンが情報ツールの中心だった時代は過ぎ去った。
それはこの世界に身を置いているからこそよくわかる。

正直に言うと少し疲れた。
こんな気持ちは十年来なかった。
パソコンの勉強をすることが苦しい。
初めての体験かもしれない。
パソコンに関わること⇒楽しい
それが今までの大原則であった。

逆の意味での一念発起ということで。
ここ一ヶ月くらい。
パソコンに関する勉強を一切していない。
予約もほとんどないから時間はタップリある。
空いた時間にやっているのは普通の読書。

それで訪れたのが安息感。
ああ、そういうことだったのか。
今、この世界から身を引くことを本気で考えている。
そして生活はしなければならない。
今の年齢でサラリーマンに戻っても先は知れている。

よし。
ここはちゃんと考えるべきところだぞ。
現状の父の年金に依存する生活が健全なわけがない。
一生の転換期だ。
考えて考えて考えて。
結論を出す。
今は考えるべきとき。
迷ったままでは一歩を踏み出せない。
明日のために、未来のために。
当分は真剣に迷い、考えることにします。

家に女性?父上、そう言われましても。

2014年10月26日 16時52分10秒 | Weblog
昨日の夕食のとき。
父がしみじみと言う。

「あーあ、家に女の人が欲しいなあ」

はい。
同感です。
そこから根掘り葉掘りが始まった。

お前、結婚しないのか?
彼女いないのか?
何とかならないのか?

何とかしろって言われてもねえ。
こればっかりはねえ。
私の願望だけじゃなく相手が必要なことですから。

かみさんは欲しいです。
その前段階。
彼女が欲しいです。
他ならぬ私自身が一番願っていること。

行動力のなさ?
去年、告白はしたんだけどねえ。
見事に轟沈したからさ。

つまりは異性としての魅力に欠けるのだろうね。
年齢は言い訳にならない。
五十歳を超えるプレイボーイは山ほどいる。
私に欠けた部分があるということだ。

今の段階では躊躇するところもある。
気軽に女性を好きになれない。
責任問題。
経済力がない。
情けない話だが。
父の年金がなければ経済的に立ちゆかなくなる。
若い頃とは違う。
無責任に愛することはできない。
付き合えば。
当然「その先」を考える。
自らの経済力不足。
そんな状況で責任を持って女性を愛するわけにはいかない。

さて昨夜の父。
認知症の所為だろう。
この根掘り葉掘りが同じところを通りながらしばらく続く。
今どきの会社でやったら立派な同性によるセクハラである。

認知症の父をセクハラで訴えるわけにもいかず。
泣き寝入り・・・(苦笑)

自治会公園清掃。「若者」が頑張らないと。

2014年10月25日 03時23分55秒 | Weblog
今日は自治会の公園清掃です。
前回は膝故障のため欠席。
その分を取り返さなくちゃ。

高齢化が進んだ自治会。
五十歳の私でも貴重な戦力だ。

年配の方ってこういうことには忠実。
八十歳を超えているんじゃないかって方も参加したりする。
私はまだひよっこだ。
頑張らなくちゃね。

自治会活動。
父から代替わりしたのはそんなに昔の話ではない。
認知症が始まる前は父が我が家の代表だった。
この公園清掃も父が行っていた。

父が表舞台から去る。
社会との接点がどんどんなくなっていく。
寂しいことだよね。

ご近所付き合いはたいせつ。
地域の連携。
たとえば災害時。
大きな力を発揮する。
地域との繋がりは保っておかないとね。

では。
自治会公園清掃。
五十歳の若者。
張り切っていって参ります。

アップデートの必要とリスク

2014年10月24日 06時52分14秒 | Weblog
アップルさんがiPhoneとiPadをアップデートしろと言ってきた。
8から8.1へだから、メジャーアップデートではない。

こういうモノにすぐに飛びつく危険は承知していますが、従うことにしました。
新しもの好きの血はどうにもならない。
最低限、上げるのは片方だけにして様子をみろよって話ですが。
両方やっちゃいました。
どうにもならない性分ですな。

アップデートによる不具合があるなら人柱になってやる。
それくらいの気持ちでやんす。
そんなことにならないことを祈ります。

私は親を選んで生まれてきたか

2014年10月23日 17時41分32秒 | Weblog
ある人と
「子どもは親を選んで生まれてくるともいう。選んで生まれてきました?」
みたいな話になった。

どうなんだろ。
基本的にそういうのは信じないのだけれどね。
だってさ。
いるじゃん。
現実に酷い親が。
実の子を育児放棄、暴力。
子が親を選べるのなら、そんな親を選んで生まれてくるとは思えないもの。

以下、ムズカシイ理屈とか。
理論的にあり得ないとか。
そういうことを抜きにしてのお話。

信じられないことでも。
あり得ないことでも。
信じたくなることはある。
信じていることはある。

Maybe it's true!
たぶんそれはほんとうのこと。
私は彼らを選んで生まれてきたのだと思う。
その幸運に心から感謝している。

この人たちは何があっても私も見捨てない、向き合ってくれる。
そう信じられるし、実際そうしてくれた親だった。

私が生まれたこと。
それ自体も奇跡であった。
姉に続いての二度目の帝王切開。
私がお腹の中にいるとき、盲腸の手術。
命の保証はできないと言われたという。
私の命だけでなく母の命もね。
その危険に真正面から向き合って私を産んでくれた母、それを後押しした父。

二十歳。
私は心の病にかかった。
働くことすらできなかった青年時代。
両親は私を見捨てなかった。
一度も文句を言わず物心両面で私を支えてくれた。

それが普通のことではないことを私の体験は教えてくれた。
精神病院に入院していたとき。
病院に「捨てられた人」を目撃した。
心の病そのものは落ち着いているのに家族に退院を拒否され、やむを得ず病院に「留まっている」人。
それは悲しい現実だった。

"Maybe"を外そう。
It's true!
それはほんとうのこと。
私は両親を選んで生まれてきた。
改めて感謝する。
その幸運に。

目指せ全国三連覇。誇るべき仲間たち。

2014年10月22日 06時58分20秒 | Weblog
昨日。
私の診察。
そして夕食会。
病院のデイケアと呼ばれる場所である。
まあ私が行ったのは日が落ちてからなので「ナイトケア」なのであるが。

仲間たちの出場するバレーボールの全国大会が近づいてきた。
現在二連覇中。
誇れる仲間たちである。
悲しいかな。
応援には行けない。
開催地が長崎だからねえ。
ちょっと行ってくる、では行けない。
ネットで結んでの実況応援もあるのだが。
父をほっぽり出していくことはできない。
時間的にそれにも行けそうにない。
悲しい、申し訳ない話だ。

その代わりにはならないのかもしれないけれど。
キャプテンとじっくり話してきた。
実りのある話ができた。
やっぱりこいつらは凄い。
誇るべき。
大切な友だちだ。

2014 長崎がんばらんば大会

遠い空の下で。
心の中で応援する。
よっしゃ。
頑張れよっ!(^^)

条件付きの愛は破綻する

2014年10月21日 02時25分33秒 | Weblog
昨日の続きとも言えるようなこと。
思いついたので書いてみます。

●●だから愛する。
条件付きの愛。
いつか破綻すると思う。

私を愛してくれるから愛する。
○○の状態だから愛する。
ちゃんとした人格を保っているから愛する。

愛する人にそれらを求めだしたらキリがない。
条件付きの愛は相手にも伝わる。

我が子に関して考えてみよう。
いい子だから愛する。
正しい考えのようで踏み外している。

成績が良いから何かを買ってあげる。
ある面いいことではあるが、踏み外していないか考える必要がある。
成績が良い子だから愛する。
逆を考えればわかること。
成績の悪い子だと愛せないのか。
そういうことだ。

何かができたとき。
ご褒美を我が子にあげる。
間違ったことではないけれど。
そのときは考えないと。
ご褒美は正しい。
でももしこれができなかったときも。
この子を同じように愛せるだろうかと。

私には妻がいない。
当然子どももいない。
でも想像することはできる。

将来良縁に恵まれて結婚する。
五十歳の私は図々しくもまだそれを諦めていない。
そして幸いに子どもを授かったと仮定しよう。
妻を愛する。
子どもを愛する。
その愛は条件付きであってはならない。
条件を付けた愛は必ず相手に伝わる。
双方向の愛にはならない。
無条件に愛する。
無条件に愛せない人が。
どうやって無条件に愛してもらえるだろうか。

愛に関する想像は楽しい。
無条件に愛する人を愛せる幸福。
たとえば今の私にとっては父が生きていること。
父を愛せること。
年月を重ねれば。
家族は、愛する人は。
増えたり減ったりする。
どうなっても愛する人には無条件の愛を。
みんなに対してと同じように。
愛する人に対しても。
いつも笑顔と感謝を忘れずに。
その大原則は絶対に忘れたくないものである。

幸せな選択、いや、洗濯であります

2014年10月20日 13時00分25秒 | Weblog
布団干し。
シーツ他、洗濯。
土日で溜まった父の「発したもの」を綺麗にする。
月曜日の晴れはありがたい。

デイサービスのない土日。
父はほぼ家で寝たきり状態となる。
食事とトイレ、もし同意してくれたらお風呂。
それ以外は見事にほぼ布団で横になっている。
布団にはオシ○コの臭いが染み付く。
どうにも仕方のないことだ。

最近の気になること。
オシモの衛生状態。
お風呂はおろか一日ずっとオムツも履き替えないことがある。
(オムツ⇒父にとっては「パンツ」と呼ぶものであるが)
やっと着替えに成功するとグッショリ重い。
衣服にも染み通っている。

濡れぞうきんを股間に当ててずっと寝ているようなもの。
本人が気持ち悪いんじゃないかなあ。
と思うのだが。
父は意に介さず至って平気。

やっぱ心配である。
皮膚病。
不衛生から来る様々な病。
怖いと聞く。
86歳。
父の歳になれば、あらゆる病と名の付くものは命の危険と直結してくる。

できる限り。
快適に過ごさせてあげたい。
でも押しつけた思いになっていないか。
最近そう考える。

先日認知症が完治したと勘違いするくらい冴え冴えの父になったとき。
正直、持てあました。
鋭すぎて私の至らない点を容赦なく突いてくる。
そのときも優しい気持ちを100%キープできたといえば大嘘になる。

認知症になった父を。
弱者だった父を。
見下ろすように。
そうやって条件付きで愛してきたのではないか。
そう考えてハッとした。

○○な父だから愛する。
●●な父だから介護する。
そんな上から目線、条件付きの愛、介護ではいつの日か破綻する。
ありのままの父を受け入れて。
どうなっても父は父。
その大原則を大事にしなければ。

サンサンのお日さま。
洗濯できたのは汚れたシーツだけではなく。
私の心もだったのかもしれません。

次は冴え冴えの母

2014年10月19日 15時50分05秒 | Weblog
認知症になった両親。
母が亡くなり。
そして今。
父の介護の日々。

先日、冴え冴えの父ブームがやってきた。
それはもうほんとうに凄いもので。
「認知症じゃなくなったの?」
と思いたくなるようなレベルであった。

その冴え冴えも去り。
ボケボケの父が帰ってきた。
夕ご飯に起こして
「朝ご飯だろ」
くらいは可愛いものだ。

冴え冴えの父のあとは、夢に出てきた冴え冴えの母であった。
母の出てくる夢には大きく分けて二パターンある。
亡くなったのに復活していて「戸籍とかどうなるのかなあ」と心配するもの。
もうひとつは、今、母が生きていること自体に疑問を持たないもの。
今回の夢は後者であった。
普通に母が生活の中に存在していた。

冴えていましたよ。
まず格好が凄い。
髪もちゃんとセットした和服姿。
そして若い。
若い頃の母という意味でなく、歳は重ねているが若々しい母であった。

冷蔵庫の中のものを洗いざらい出して整理。
料理を始める。
「ワ○ミの宅食が二人前あるのだけれど」
と私が言うが
「そんなものを食べさせるのは主婦としてのプライドが許さない」
的な態度で構わず料理を作り出す。

そして夢は醒めた。
料理ができる前に。
あーあ。
食べたかったなあ。
久しぶりに母の手料理。

歓迎!歩道橋が信号に

2014年10月18日 02時50分22秒 | Weblog
ご近所の歩道橋が撤去され。
代わりに横断歩道付き押しボタン式信号が設置されました。
けっこう交通量の多い道路。
スーパーに行くのに渡るのが必須になる。
ところが法規的に渡ることを推奨する場所がなかった。

信号も横断歩道も300mくらいない。
歩道橋があるって?
その歩道橋。
形骸化されていてね。
渡るのは、そこを渡ると決められた登下校の小学生だけ。
元々の発想は弱者のため、だったのだろうけれど。
車椅子も身体に自信がない高齢者も利用できない。
みんな歩道橋の下を横断している。
なんのための歩道橋だって話です。

私も今までは信号も横断歩道もない場所を渡っていた。
道路交通法的には不正解。
信号の場所まで行って渡れって話です。
でもね。
この道路の交通量の多さ。
中途半端なんです。
ちょっと待てば安全に渡れる。
だから大人として自己責任で渡っていたわけ。

横断歩道付きの信号が設置されてからはそちらを渡るようになった。
多少遠回りになるけれど。
これくらいだったら安全と遵法を選ぶ。

押しボタン式だから車の流れもあまり妨げることがない。
ドライバーとしても無理な横断に冷や冷やする頻度が少なくなる。
高齢者、子どもも。
安全、安心、楽に渡れる
みんながハッピーな信号機設置。
こういうことに使われる税金ならば大歓迎です。(^^)

御嶽山。今年の捜索中止。断腸の思い。

2014年10月17日 14時29分26秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#【御嶽山噴火】不明者7人残し今年の捜索活動中止 知事「断腸の思い」(産経ニュースより)

どうしようもない。
捜索隊までも命の危険にさらすことはできない。
今までだって命を賭して捜索をしていたんだ。
二次災害など誰も望まない。

降り積もった雪と火山灰が凍り、探索棒が刺さらない状態。
条件はこの先どんどん悪くなる。
大きな危険、だよね。

そして家族の思い。
生還の報の確率は限りなくゼロに近い。
それでも信じたい。
生きた姿が叶わなくとも。
戻ってきて欲しい。
肉親への思いは皆同じ。
私だってよくわかる。
だからこのニュースはとても切ない。

断腸の思い。
悪人はいない。
誰も恨むことができない。
悪人のいない悲劇は悲しさをまた増幅させる。