のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

レースじゃないハーフマラソンもまた楽し!

2016年01月31日 18時47分49秒 | Weblog
今日は特別な日。
になる予定の日だった。
人生二度目のフルマラソン。
館山若潮マラソン。
開催当日である。

参加は見送りました。
私の見通しが甘かった。
留守中の父のサポートをお願いする人の予定も聞かずエントリー。
先着順エントリーの人気大会。
エントリー開始は数ヶ月前。
その段階でお願いする人の勤務シフトなんて出ているわけがない。
仕方のない決断ではあったわけなのだが。

1月31日(日)に父のお世話をお願いできる人はいない。
それが決まってしまえば、それはもう私にはどうしようもないこと。
前向きに受け入れてしまえばいいだけのことだ。

3月13日(日)
大目標の横浜マラソン。
その準備一本に絞るのだ。
そのための調整に集中するのだ。
そう考えれば、逆に好都合なことでもあるわけで。

ただし。
そうは言っても諦めの悪い人間。
図々しいですからね。
万が一のための心積もりはしておいたよ。
「やっぱり行ける!」
と直前にラッキーな展開になったときに準備不足で棄権。
人気大会の出走権、プラチナチケットだからね。
そういう形で無駄にするのはもったいなさ過ぎる。

日々のランや生活。
今日、42.195km走ることを前提に進めてきました。
出発の準備、荷物詰めまでして、昨日早めに布団に入る。
早く起きて、一縷の望み、受信トレイをチェック。

ピコピコーン!
件名:今日大丈夫になりました。頑張って!
まあ、そんなラッキーはないわな。

それでも身体と心の準備はできあがっているわけだから、その準備を無駄にするのはもったいない。
夜明け前の長距離走と洒落込むことにいたしました。

15kmくらいかな。
それで走り出した。
調子の良さで膨らむ夢。
ええい、こうなったらせめて今日の予定の半分、ハーフマラソンだ!
それで20.85kmですよ。

無茶ではありました。
タイム:2時間21分24秒。
2時間を超えて走るなら、必要な準備装備はまったく違ってくる。
経験を積んだから、自分の身体のことはちゃんとわかるよね。
長めの距離だから走る前にジェルは補給したけれど。
持って走ったのは、最小限の水分と塩サプリ一粒。

20km以上走ると決めたからには、考えて走らなくてはならない。
スピードは無理には上げない、負担の少ない走り。
走り切れればそれでいい。
そこに集中しました。

それでも案の定、終盤に明らかなエネルギー切れの「症状」はやってきた。
当たり前のこと。
はいはい、と思い切ってペースを落とす。
無事完走でありました。

結果エネルギー切れもね。
いいトレーニングだよ。
枯渇した状態での補給は効果が高い。
それは知識としてあるからね。
なにより枯渇した状態で走る経験なんてそんなにできるもんじゃない。
結果、今日の走りはとてもいい経験。
ほんとうに楽しかったし。
それが一番だったなー!
ハッピーハッピー!!

テレビを観ながらポンカンを食べる父。

2016年01月30日 19時13分45秒 | Weblog
うーん・・・
平和だ。

最近の父。
土日がつまらないとはっきり言うようになった。
え?!俺といるのがつまらないってこと?
その突っ込みはどうでもいいこと。
デイサービスに行くのが楽しみになった。
外の人間と関わるのが苦手だった父が、それを楽しみにするようになった。
凄いプラスの変化ですよ。

生き生きしている。
一時はっきりしなくなった表情の変化が出てきた。
怒ることが少なくなった。
穏やかである。
それでいて、やる気を失ったわけではない。

「田酒(でんしゅ)が飲みたい」(←故郷、青森の地酒です)
「今日は何月何日?」
「○○したいなあ」

最後の発言の伏せ字は放送コードに引っ掛かることなので書けません。(笑)
どれも、意欲、興味を失った人の発する言葉ではないのは確かなわけで。
介護する人間としては嬉しいことであります。

一時的なこと?単なる調子の波?
そうなのかもしれないけれど。
実際、こうなっても認知症ばりばりの言動はあるわけだけれど。

いいことですよ。
希望ですよ。

面白いことだ。
こうなったのが、夜中徘徊センサーを切らなくなったタイミングと重なるのですよ。
それから、「大きいほう」の「惨事」が起きていない。
夜中何度も起きる。
基本はトイレのたびにお付き合いするわけだからさ。
尿取りパッドやおむつやズボンを替える。
頻繁にオシモのチェックをするから当たり前のことではあるのだけれどね。

負担が増えるのかと覚悟して臨んだらさ。
逆に負担が減ったことがある。
オシモと直接関係ない良い変化が現れた。
面白いことだよね。

偶然じゃないのだと思うよ。
徘徊センサーを切らないというのは、一番は私の心の変化、介護に関わる姿勢の変化の表れだった。
夜中起きたときでの対応でも心からの笑顔と感謝を表す。
ちゃんと父と向き合う。
それを行動にしたわけだから。

認知症だろうが何だろうが、それはちゃんと父に伝わるよね。
プラスのことでもマイナスのことでもどんなことでも。
自分の心と行動は自分に返ってくるものなのだ。
そのことに気付いた、気付かせてくれた。
お父さん、ありがとう。(*^_^*)

いつも心にサービス花束を!「サービス」をつけても安っぽくならない言葉だと思う。

2016年01月29日 15時41分10秒 | Weblog
いつも心にサービス花束を。
うん、私はそれでいいんです。

花屋さんイチオシの高い花は当然美しい。
経済的余裕のない人にも花を愛で、楽しんでもらいたい。
花屋さんの精一杯の努力と心遣いを感じるサービス花束。
ま、薄利多売という「計算」もちょっぴり感じる。
その人間くささを包み込む優しさ美しさが素敵。

私の人生。
一大転機を迎えるのかもしれない。
今まで経験したことのない異質の転機。
それを迎える、いやもう迎えたのかもしれない。
こういう気持ちになっている段階でもうそれはやってきているのかもしれない。

不思議なくらい平静な気持ち。
心の病の薬がもうすぐ止まる。
それも要因だろう。
もっと大きいのはね。
生き方が変わったってこと。
人生に向かう姿勢が変わったってこと。

いつも笑顔と感謝を忘れずに。
私のモットー。
ずっと心がけてきた。
はずだったのだけれど。
無理なく自然にできるようになったのは、ごく最近になってから。

強く意識していなくても自然にそれが実践できる今。
それで驕るわけでもなく謙虚な気持ち。
とても快適な生活を日々送っている。

そういう状態だからさ。
父の介護の負担増。
無理をしているわけでもなく、つまらない意地を張っているわけでもなく。
些細なことなのですよ。
エベレストの高さから見たら、富士山はちっちゃいものでしょうからね。

ってなわけで今日もサービス花束を買いました。
いつもの花屋さん、店員さん。
笑顔の会話で選んだ命。
やっぱり素敵であります。

さあ来た最終調整!

2016年01月28日 18時46分49秒 | Weblog
3月13日(日)横浜マラソン。
その準備段階で参加を決めた。
2月11日(木・祝)仕上げの長距離長時間走。
良い機会です。
今日、葉書が届きました。

ペースメーカーがいる。
自分だけではできないトレーニング。
考えているペースはある。
今の自分には少しキツいかもしれない。
そういうペース。
そのペースで走りきれるか。
それでレース本番でのペースを決める。
この日のペースでは無理。
そういう結論でもいい。
失敗が許される練習会ならではのチャレンジができる。

無茶はできない。
自分の実力以上のペースではハーフマラソンが限度。
42.195kmは走りきれるものではない。
それを知れたのは今までの失敗を含めた成果。
初フルマラソンで失速して途中歩いてしまったという失敗も無駄ではなかったってことだ。

無茶はできない。
それを踏まえた上でね。
安全だけでまったくチャレンジの要素がない目標レースもつまらない。
経験は積んだからさ。
日々の走りも積み重ねた。
10kmくらいだったら連日でも普通に走れるようになった。
ハーフマラソン、30km。
途中に挟んだからさ。
自分の実力は過信も過小評価もしない。
これなら走りきれる。
そんな自信を持てるペースはあるさ。

お誕生日、地元開催。
特別な横浜マラソンだからこそ。
安心安全絶対大丈夫。
それが保証されたペースでは走りたくない。
格好良く走るのであれば。
みっともないところを見せたくないのであれば。
少し遅めの走りきる自信のあるペースで走れば良いのだけれど。
それじゃつまんないなあ。

チャレンジだ。
絶対に譲れないのは
「笑顔で走りきる」
それだけだから。
たとえ失速しても歩いてしまうことはない、そして笑顔を保てる。
チャレンジしつつ、失敗のリスクを抱えつつ。
最低限の走りはできるだろうという、強い自信まではいかない、自分がやってきたことへの信頼はある。

2月11日(木・祝)
未知の世界ではない3時間走へのチャレンジ。
今から楽しみであります。

寝坊。起きて室内温度4度の思惑。

2016年01月27日 19時08分22秒 | Weblog
ちょいと寝坊。
まあ、寒いわな。
起きてストーブのスイッチを入れた瞬間に見たもの。
これは・・・
記念撮影でありました。

夜中、結構な回数、徘徊センサーに起こされました。
三回目だったかな。
ちと反応が遅れた。
鳴り続けてハッと慌てて飛び起きて駆けつけたときには・・・
待っていたのは
「見なくて済むなら見たくない風景」
「やらなくて済むならやりたくない作業」
自分が招いたことでもあるから誰にも文句は言えない。
仕方ないです。

作業が終わって部屋に戻ろうとしたら。
父がまた起きて居間にいた。
明らかに「かまって欲しい」表情であったが。
笑顔で「おやすみなさ~~い」と通過。
もうどうしようもない。
今、さらに起き続けるのは無理。
すげー休みたかった。
自分の布団に入って目を閉じた。
眠りに落ちた記憶もない。
次に起こされる瞬間まで爆睡。

人恋しかった父にいい顔だけしてさっさと寝た冷たい人間。
弱くて卑怯な、できていない人間。
そう言われても仕方がない。
それも割り切るしかない。
自分はズルをした。
父のことで、「凄いですね」って言われて。
思い上がるまいと言いつつも少しいい気持ちになったことは否定できない。
現実はこの程度の人間。
そう思い知ったことを頭の片隅に置いておけばいい。
この介護生活を続けていくのだから。
父に対してマイナスの感情を抱かず、心からの笑顔での対応を続けていくため。
冷たいかもしれないけれど、必要な割り切りがある。

自分の状態を保つために今朝のような「必要不可欠な寝坊」も増えてくるだろう。
今後の見通しも修正しなければね。
走ること、横浜マラソンの準備。
安定して走りを生活に組み込むことが難しくなった。
走れるときに集中して効果的なトレーニングを。
休むべきときは休む。
走ることは単なる負荷負担ではなく、息抜き、父のことを頭から追い出してリフレッシュする貴重で必要な時間。

もうすぐ抱えてきた心の病、薬からの卒業が控えている。
今は私は仕事をせずに介護と、自分の薬を減らすステップでの体調管理に集中。
父の年金収入に頼る生活。
順調に薬を止められたら、自分で「稼ぐ」ことに動き出す。
その予定であった。
夜の睡眠が不規則予想不可能にぶった切られる。
避けられない寝坊も想定しなければならない。
こうなってみると性急に動かないほうがいい。
長い目で見れば、早く経済的に自立したい!すぐに仕事を!と焦らないほうがいい。
心と身体を徐々に慣らしていって、生活リズムがある程度落ち着いてから動いたほうが良い結果をもたらすだろう。
これは必ず元の取れる将来のための「時間の投資」なのだ。

今朝の寝坊。
たかが寝坊、されど寝坊。
いろいろ考えたのでありました。

こんな格好で走っています!

2016年01月26日 03時04分12秒 | Weblog
寒い。
超寒い。
明らかに寒い。

眠りながら感じたこと。
起きてわかったこと。

伊集院光さんのラジオを聞くために早起きして。
深夜放送との名のつくもの。
早起きして聞くっていうのはどうなのよ?
その突っ込みはさて置き。

起きて、布団を上げて、父の様子をチェック、トイレ、洗顔。
さすがにお湯を使った。
根性無しかもしれないけれど。
水道管凍結を予防する。
そういう意味もあった。

母の仏壇に挨拶。
これをしないと一日が始まった気がしない。
体重測定、かかと・肘・膝・そして手にクリームを塗る、着替え、目覚めのコーヒー。
突然はやり出した「琴バウアー」並のルーティンであります。

これから走るよん。
寒さもあった。
その他理由はあった。
それでも最近怠けていたのは間違いない。

シャキッとしよう。
こういうときこそいつも通りのことをやろう。
「人の可能性は無限大だという人ほど、今日に必死になっていないと思う」
Webで為末大さんに頂いた耳の痛い言葉。
先の壮大な夢を語る前に今日をちゃんと生きよう。
常日頃そう言いながら、その過ちにどっぷりはまっていた。

学んで自分を変えればいい。
そう考えて行動できる自分は評価してあげよう。
3月13日(日)横浜マラソンも控えている。
悔いの残らない準備をして当日を迎えたい。
その結果は重要だけれど、所詮は結果だけのもの。
納得できない結果は納得できない準備とリンクしているのだ。
準備に不満があるから結果に不満が残る。
そこに気付けたのも日々のランとレース参加を積み重ねた成果。

凄く寒いという現実がある。
さっき外に出てみた。
測ったわけではないけれど明らかに気温は氷点下だな。
そんな感覚。
無茶をするわけではない。
ウォーミングアップ、ストレッチ、給水と補給、走前走後のケア。
ちゃんとしなくちゃね。
さあ、いつもより一枚多く重ね着をして気持ちよく笑顔で走ってくるとしますか!(o^^o)

今日の富士山でおめでとう。琴奨菊優勝。やる気と愛の力。

2016年01月25日 19時04分22秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海(http://ikiru.jp/?p=4814
#大相撲初場所 琴奨菊「V」笑顔…「もっとやる気が出る」(毎日jpより)

さすがの私もこの優勝がやる気と愛の力だけで実現したもので、技術、体調、一切関係ないなんて言えるわけがない。
それでもこの優勝の大きな要因が、やる気であり、愛の力であることも間違いはない。
琴奨菊夫妻の仲むつまじさを見て、感動的なエピソードを聞いて、
「あれは見せかけだけの仮面夫婦である」
と思った人がいるだろうか。

愛の力に関してはね。
精神論だ!とバッサリ切り捨てることはできない。
愛する人のために頑張る。
その気持ちが支えた偉大な勝利がどれだけあったか。
アスリートにアンケートを採れば、データとしてちゃんと証明できる話だろう。

最後の四日間は生中継観戦で琴奨菊戦はお付き合いした。
そのたびに涙が出そうになった。
抑えた感情。
それが見る者の感動を倍増させる。

白鵬凄いな。
そう言いつつも、あそこでガッツポーズ?
その違和感はどうしようもなかったわけで。

外国出身力士の優勝でも心から祝福したい。
優等生的な建前とは別に、やっぱり日本出身力士の優勝は格別の思いがある。
国技大相撲、その益々の発展を祈ります。
おめでとう、琴奨菊、奥様。
そして親方を始めとする関わりを持った皆さん。
改めて心からの謝意を表します。

今朝、断末魔の庭の雪。今はもうない。

2016年01月24日 19時29分25秒 | Weblog
この寒波。
私が得た情報によると「日本の熱源」こと松岡修造さんが全豪オープンで日本からいなくなっちゃったから。
恐るべし、暑い男、もとい、熱い男。

さて昨日。
お世話になっている場所の夕食会。
メニュー、あんかけ焼きそば。
具だくさん、へるすぃ~~。

食後、卓球大会。
参加しようという気持ちも少しはあったのですが。
ふたつの理由で自重しました。

まず、空気を読んだ。
少ない人数、やる気満々の若いもん。
若者と張り合う気概は必要だけれど。
それは若くあるための秘訣ではあるけれど。
未来ある若者の活躍を、機会を、自己顕示欲で邪魔するジジイにはなりたくない。
張り合うときは張り合う。
譲るべきときは譲る。
その場の「最長老」になっちゃったら、そのメリハリはつけないとね。
役職にしがみつく爺さんを批判できなくなっちゃうよ。
そこで。
審判、点数カウント係に立候補。
そういう形で参加しました。

もうひとつ。
リスクマネジメント。
日々、走っているから。
身体には昔より自信があるからこそ。
そして大事なフルマラソンレースを控えているから。
慣れない形の運動で不意の故障をする危険は考えなくてはならない。
もちろん普段使わない筋肉等を使うというのはトレーニングとして有効なわけだけれど。
卓球は予期できない動きの連続。
調子は良くても若い頃とは違うのだから。
チャレンジと同じくらい、無理をしないというのも若さの維持のためには必要になってくるのだ。
ここ数日、徘徊センサーによる中断で「ちゃんとした睡眠」が取れていないというのもあった。
心と身体がそう自覚する無理無茶をしない。
そう、大人のリスクマネジメントであります。

総じて今の調子良さによる決断。
調子が良いというのは「湧き上がる」だけのものではない。
「自分の状態がわかる」「自分を自分で管理できる」
それがあって初めて実現するものなのだ。

我慢したということでもない。
ちゃんと楽しみましたよ。
お笑い班、盛り上げ係。
それで自分のテンションを上げる。
そんな自分で満足、幸せ~~
だったのでありました。

どっちが可愛い?(笑)

2016年01月23日 16時14分52秒 | Weblog
今朝もゆっくり起きました。
起床時間が遅い。
ちょっと前ならよろしくないことなのですが。
今日遅く起きたことを単なる寝坊とか惰眠とか。
そんな風に考えません。

思い上がらない。
その強い意志を前提に言うならば。
成長したのでしょうね。
心の病の薬が極限まで減って。
睡眠の質と感覚が変わってきたのです。

諸々の事情。
夜も父の徘徊センサーを切らずに寝る。
そういう生活になりました。
さらっと書いていますがね。
夜中に何度も睡眠をぶった切られることがあるということ。
そのとき起きてすることは「決して愉快とは言えない作業」の連続でもあります。

そんな生活なのだから。
トータルの睡眠時間が凄く増えるとか、惰眠で怠けているとか。
そういうことではない。
遅く起きるというのは「自己防衛本能」でもあるわけで。

今朝いつものように体重を測った。
びっくりするような数字を見た。
間違いじゃないのか?
何度か測り直したよ。
間違いじゃなかった。
二十歳のときに見たのが最後。
そんな体重の数値を見たのだからそりゃびっくりする。

日々走って体調が良くなって。
体重が減ると嬉しい。
もはやそんな段階ではなくなった。
すぐにやったのは不足していると思われる栄養素をサプリメントではなく補給、でした。

不思議に危機感はない。
自分の体調、健康に関して、状況に応じて適切な対応が取れている。
窮地のヒーローを気取って無理を重ねることもない。
可能なら人に頼り、手抜き息抜きもする。
自分の至らなさによる少しの罪悪感は「続けていくには仕方のないこと」と過度に自分を責めずに受け入れる。
母の看取りのときとは明らかに別の次元に今自分はいる。

これから出掛けます。
はい、姉に頼って出掛けます。
父のことを頭から追い出してリフレッシュする時間。

悲壮感を見せたり同情されたくはないやね。
いつも笑顔と感謝を忘れずに。
それを無理してやっているわけじゃない。
愛する人を支えているという実感と幸せ。
いやいやでもなく誰に強制されたわけでもなく自分で選んだ道。
はははと笑っておちゃらけている。
ちゃんと満足できている人生だよ~~♪(o^^o)

なんか、ふわふわした感覚であります。

2016年01月22日 19時26分49秒 | Weblog
何だかんだで忙しかったです。
無計画のままで父のイレギュラー対応に追われてしまうとこうなる。
こういう生活でもやっぱある程度は見通しは立てておかないとな。

そして父はお風呂から上がって着替えて
「食べる」
と。
午後四時過ぎ。
夕食には早いけれど。
ここで理屈を言ってもいいことは何も起きない。
黙って準備して食べて貰う。

明るいうちから晩酌。
幸せな気持ちならばそれでいい。
明るいうちに夜の睡眠体勢で布団に入ってしまって。
それが父のリズムならば従うことだ。

午後四時過ぎに夕食かあ。
さすがに僕は・・・
ってことで父だけで食べて貰って、それだけでは寂しいのでお酌をして談笑。

父、寝て。
後に私が食べていたら。
さて空いた時間何をしようかなと考えながら。
そしたらまた・・・父が・・・
洗濯物、清掃、清拭発生!
この表現でご理解ください。
早すぎる夕食という時点で警戒しなければならなかったのに。
油断しました。
また、ぱたぱた・・・

まあそんなものです。
総合的な判断。
夜も基本は徘徊センサーを切らずに寝るようになった。
それがいろんな影響を与えている。
いや父じゃなく、私の生活にね。
これも流れだからさ。
おそらくもう元の生活に後戻りはしないだろうから。
今はちょっとふわふわした感覚だけれど。
こういうのに心と身体を徐々に慣らしていくしかないよ。

うん、備えて今日も早めに寝ないとね。
いや、これも父がじゃなく私がです。(^^;)

挫折を経ての笑顔には説得力がある。泣かない琴奨菊に泣きそうになる。

2016年01月21日 06時07分41秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海(http://ikiru.jp/?p=4798
#進化した琴奨菊、会心11連勝 白鵬に右差し許さず一気(朝日新聞デジタルより)

この一番、生で観ていました。
早めの夕食の準備ができて。
父を誘うも起きず。
待ちながらテレビをつけたら、呼び出しさんが土俵に上がったところで異様な館内の盛り上がり。
釘付けでしたね。

これも運命、何かの縁なのかもしれない。
こういう場面をちゃんと見られたというのは。

仕切り。
一本の糸のように張り詰めた緊張。
ああ、凄いなって。
これだけで感動ものでした。
海外公演で仕切りの時間を「無駄」と評してカットさせようとする方たちには理解できないかもしれないね。

立ち会い。
悪名高き「待った」の予感は微塵もない。
立ち会いが勝負の鍵となる相撲の世界。
一瞬遅れて手をついた白鵬は、その不利を感じていたのだろうけれど。
不利を承知で、ここでは待ったをせずに受けて立つ。
「横綱のプライドにかけて」というのがひしひしと伝わってきた。

相撲を解説できるほどのファンではないけれど。
私なりの感覚ではね。
あの立ち会いがすべてだった。
琴奨菊が先に手をついた。
そして迷いのない視線と姿勢。
あそこで「あっ」と思うものがあった。

そして勝負。
解説された技術的なことはよくわからない。
私に見えたもの。
終始一貫、琴奨菊の迷いのなさ。
土俵下に押し出された白鵬の「あれっ?」という表情。
共に私が初めて目にしたものだった。

勝って、立って白鵬を待つ琴奨菊の「泣くもんか」と、やや上に向けた視線。
伝わってくる、まさに万感の思い。
こっちが泣きそうになった。

レポートで入ってきた引き上げた琴奨菊のコメント。
「勝因は自分を信じたこと」
深いなあ。
これって一歩間違えば、ただの精神論ですよね。
けれど。
この一番を見て、この言葉が精神論であると断じる人がいるだろうか。
琴奨菊はがぶり寄りで勝ったんじゃない。
気持ちが白鵬に勝っていたんだ。

私が学んだこと。
やはりここなのです。
自分を信じる。
何かを成すために一番肝となるのは、これなんだって。
どんな手段、テクニックを使ったとしてもね。
自分を信じる。
そこに揺れがあったらダメなんだって。

今の私に当てはめてみる。
今の自分を信じる。
父の介護、走ること、心の病の薬を止めること。
そこに注力する今の生活、今の自分を信じること。
それを笑顔と感謝で続けること。
その先には必ず明るい未来がある。

自分を信じる。
それを、その生き方を改めて信じられた。
教えてくれた大関琴奨菊関に改めて感謝します。
そして彼の今場所優勝と横綱昇進、なにより幸福を心から願います。

日曜日の30km練習会ゴールシーン

2016年01月20日 15時56分08秒 | Weblog
20160117つるみ川30km練習会ゴール写真

20160117つるみ川30km練習会完走証明証

主催者から写真と記録証が送られてきました。
手作り感満載のゴール地点が素敵!

こういうゴールの設営はオリエンテーリングで慣れていた。
びっくりすることはなかったよ。
シンプルなゴール設備は、またシンプルな喜びを生む。

自分で言うのもなんなんですがね。
なんか異常に身体とか顔とか締まって見えませんか?
いや、アングルとかですよ。
体重が減って、いわゆる「理想体重」を下回るところまで来ましたけれどね。
減少傾向はもう止まっています。
もうこれ以上は減らないでしょう。
学生時代、つまり健康体時代にキープしていた体重とほぼ同じですから。
つまりこれが私の一番「良い状態」の身体と思われるってこと。

見りゃわかりますけれどね。
笑っています。
この笑顔で30km走りきりました。
走る生活を続けて、大会も幾つか参加して。
私の中では「真理」に辿り着いた部分がある。
笑うと吉。
気休めや精神論じゃなくてね。
笑っていれば、それも無理な笑いじゃなければ。
苦しさはあったとしても半減するってこと。

序盤調子に乗ってペースを上げた。
自分にとって、長い距離としては身の程知らずのペースに。
そこまでは初フルマラソンのときと同じ。
初フルでは足が止まって歩いてしまった。
この日はスピードは落ちたけれど走り切れた。
笑っていたからだと思うのです。

笑顔で走っているとね。
気持ちが違う、風景が違う、そして何よりみなぎる力が違う。
エイドを通るたびに「ありがとうございます!」って笑顔で言って補給すると。
ちゃんと好意的な反応が返ってくる。
それが水分栄養分の補給以上のエネルギーになる。

人が、風景さえも。
「頑張れ!」って後押ししてくれる。
その実感。
自然と頑張れたのです。

「笑顔の効用」は走っているときだけではなかったんだ。
走り終えてのダメージも少ない。
帰り、駅のホームへエスカレーターを使わずいつも通り階段を使おうという気持ちになれた。
電車でも疲れたから何が何でも座ろうとは思わなかった。
それは走りの最中、走ったあと、適切な補給を心がけたのも大きかった。
そこは経験を積んでわかってきたからね。

なんなら翌日もいつも通り走りましょうか。
それくらいの感覚だったけれど。
いろんなことがわかってきたから自重できた。
そもそも雪だから走れなかったのですけれどね。
昨日と今日も走らなかった。
雪が溶けたあとの寒さ、明らかに路面凍結している。
そこでは無理をしないという自制心もできた。
走ることに関して長い目で見られるようになったからだろうな。

明日から日々のラン再開ですね。
目標の3月13日(日)。
お誕生日の横浜マラソン。
30kmはいい経験だった。
一ヶ月前にもう一度30kmを走って仕上げていく。
心の病の投薬が止まるであろう時期とも重なる。
笑顔と感謝で完走!
うーん、素晴らしい!(o^^o)

伊集院光さん、TBSラジオの朝の顔へ。キーマンは「あの師匠」だろうか。

2016年01月19日 05時48分47秒 | Weblog
昨日の大ニュース。
SMAPの・・・じゃありませんよ。
少なくとも私にとってはね。

「大沢悠里のゆうゆうワイド」が終了。
これもまあ冷静に聞けることです。
終了する同じ放送枠を四月から引き継ぐのが伊集院光さん。
これはびっくりです。
大ニュースです。
芸能ニュースとしてはここ一年で最大最強の衝撃です。

スマスマはいいから、深夜一時からの「JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力」
いつも通りのことだけれど。
とにかく今日も生で聴かなくちゃ。

まあ、深夜の馬鹿力といってもね。
大方の人とは聴き方が違いますよ。
放送前に早起きして聞くのですから。
私にとっては「早朝の」馬鹿力なのです。

生放送。
飛ばしていましたねー。
伊集院さん、いつも以上に。
深夜枠も手放さないことを明言したのでホッとしました。

午前三時、聴き終えて思ったこと。
この交代劇のキーマンは、やはり「あの人」なのかな、と。
伊集院さんが決断するに当たって相談しそうな人。
それに対して「やってみなさい」と言いそうな人。
その言葉に伊集院さんが「はい」と言うしかない人。
そう、唯一かもしれない絶対的存在、尊敬する三遊亭圓楽師匠。

わかりませんよ、確かなところは。
おそらく相談すれば「やってみろ」と言われる。
そう言われたら逆らえない。
自身が一番よくわかっているだろうから、あえて相談しなかった。
その可能性も大いにありです。

その場合でもね。
実際に相談したか、伊集院さんが意識しているかに関わりなく。
やっぱりキーマンはこの師匠でしょう。
言えば後押しされるに決まっているから相談しない。
師匠がこう言うことはわかりきっている。
そんな師匠だとわかっている。
そんな師匠の存在。
決断に影響を与えたのはやっぱり師匠なんじゃないかと。

無理はしないで欲しいですね。
毎週深夜の二時間。
昼帯(朝帯?)二時間半が週四回。
ラジオの生放送がこれだけある。
楽な生活なわけがない。

月曜深夜の二時間の生放送はキツイのではなく、発散の場所になるのかなと言う気もします。
昼間の放送では言えないこと、縛りが多くなるでしょうから。
「ラジオの伊集院光」としては、ストレス、溜め込むものも増えるでしょう。
今まで通りの「なんでもあり」で喋れる発散の場所がないと続けられない。

私は伊集院さんを尊敬しています。
心の病が酷かった頃。
この人のラジオは救いだったものね。

昔は呼び捨てでしたが、今はちゃんと「さん付け」する。
尊敬に歳下であることは関係ない。
「さん付け」のほうがしっくりくるって気付いたから。

ラジオではこんなことを言って大丈夫?って毒舌家であり。
なおかつ礼節をわきまえた並外れた常識人でもあり。
相反する要素を使い分けでもない「同居」で自然に振る舞える。
凄い人です。

さて、これは四月からの私の生活スタイルにも影響しますね。
今は要経過観察、減薬ステップのたいせつな時期だから仕方がないけれど。
心の病の薬を予定通り止めることができたら仕事をバリバリやる。
父の年金への生活依存から脱却する。
父の介護が続く限りは、外へ出て働くという選択肢は難しいのはもちろんだけれど。
それを別にしてもこの朝の生放送を「ながら」でもいいから聴ける仕事をしたい。
それは、マイナスではなく、自分に充電し、高めるためのプラスの要素と考えます。

伊集院光さん。
これからもついていきますよ。
よろしくお願いします。

【今日の写真】
昨日の我が家の庭。
この状態では送り迎えも危険と判断して止めた父のデイサービス通い。
父とふたり、この美しい庭を愛でながら過ごした一日でした。

30km完走。そして・・・雪~~♪

2016年01月18日 06時00分21秒 | Weblog
昨日、30kmの練習会に参加。
無事、完走できました。
エイド以外では、歩かず止まらず。
笑顔で走り切れた。
それが何より嬉しいです。

後半スピードが落ちてしまったけれど。
前半の貯金でトータルでは目標通りのペースに収まりました。
ペースは落ちたけれど「失速」というほどではない。
ダメージもそれほどではない。
今までのハーフマラソン、フルマラソン。
必ずその後三日は走る気が起きない。
そんなダメージがありました。

昨日はレースじゃない。
ダメージを負ってもいいから頑張ってみよう、ではなかった。
怪我しない、無理しない。
それが基本としてあったからね。

いつも通り、エスカレーターを使わず階段を使おう。
電車でも空き空きでなければ、席が空いていても座らない。
そうやって帰ってこられた。
なんだったら、次の日もいつも通り走りましょうか。
それくらいの感覚。

しかし・・・
さすがに今朝は走れませんね。
起きたら・・・

20160118起きたら雪景色

一面の銀世界。
綺麗だなーと眺めるだけです。
今、この状態で走るのは勇敢ではなく無謀ですものね。

さあ、今日の予定、考え直さないと。
糖尿内科と泌尿器科、父の通院日だけれど。
歩きではなく、デイサービスの送り迎え付きだけれど。
この状態では、車も危険だよね。
ってか、デイサービス通いそのものも今日は止めたほうがいいな。
これでは事故は「万が一」ではなくなる。
もし起きたらそれは父だけではなく誰も幸せにしないものね。

雪が綺麗だなー。
そんな一日にいたしましょう~~♪

阪神・淡路大震災から21年。今僕ができることをやる。今日30km走ってきます。

2016年01月17日 06時19分28秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海(http://ikiru.jp/?p=4781
#平成7年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災、発生から21年

あの日の僕。
心の病が僕に試練を与えていた。
働くこともできず。
いい歳の大人だった僕はいつも通り家にいた。
テレビの映像にかじりつく。
けれど何もできない。
どんどん増える死者数の情報。
そう、あの日、僕は完全に無力だった。

今年のこの日は特別な思いがある。
酷かった心の病はあの頃に比べたら劇的に回復したという自負。
薬を減らすステップは進み、ゼロになる直前。
今の僕になら何かができたのだろうかと。

そして自戒する。
どんなに心や身体の状態が良くても。
その日は、やはり何もできないのだろう。
自分に直接降りかかるものでなければ。
その場にすぐ飛んでいくことはできない。

その日に何もできなくても。
それから何かができる。
そしてそれはもしかしたら自分の身に起きるかもしれない。
その想像力はある。

やっぱり無力なのかもしれないけれど。
何かあったとき。
何かしようとする。
その気持ちがある。
それもたいせつなことなんじゃないかな。
そう考える。

先ほど、5時46分。
テレビを見ながら眼を瞑り手を合わせた。

そして新たな気持ち。
今日、練習会。
30kmを走る。
フルマラソンは記録上完走したけれど途中歩いてしまった。
今日30kmを走り切れれば人生初のことになる。

僕は僕にできることをやる。
今僕にできることをやる。
たとえばそれは走ること。
たとえばそれは父の介護。
たとえばそれは自分の心の健康に集中すること。

うん、今の僕は頑張ることができる。
頑張ることが許される心身の状態。
そのことに感謝して。
笑顔で走ってきます。
頑張ってきます。