睡眠中、昨日とほぼ同じ時間の徘徊センサーで起きる。
父、今朝は「真夜中の入浴タイム」とはならなかった。
ここ数日、「鳴る」頻度が減っている。
つまり起きる回数が減っているということ。
今までもよくあった、単なる「波」なのか。
もう少し深く考えなければならないことか。
まだ断言はできない。
間違いの無い事実。
最近、寝る体勢に入る動作が危なっかしくなってきた。
立った状態から、仰臥へ。
「ドタッ」という感じ。
お世辞にもスムーズとは言えない。
心なしか、歩くのも更によたってきた気がする。
そして。
月曜日に病院に行ったとき。
待ち値時間での椅子に座った姿勢のキープが今までにも増して辛そう。
「良いこと」の前兆でないことだけは確かだよね。
新たな「ステージ」それも覚悟しなくては。
もうひとつ。
起きる回数が少なくなっている。
それなのに、起きたときのシモの「惨事」がそれほどでもない。
つまり、時間当たりの「出る量」が少なくなっているということ。
私の作業という観点だけなら喜ばしいことかもしれないが、単純な話ではない。
気温が上がってきた。
汗として身体から出ていく水分量が増えて、その結果尿量が減った。
それで間違いは無いだろう。
これからの時期、脱水のリスクも考えなくては。
お世話の負担が減ると喜べることではない。
つまり、喜ぶのではなくて、水分摂取を増やしてあげることを心がける。
さ、格好良いことばかりでなく、私の恥も言わなきゃね。
さっき父に怒られた。
起きてフルセット交換のタイミングでまた「お風呂に入りたい」と言われた。
う・・・私は躊躇して「理屈」を言った。
不快だからお風呂に入りたいと言う父の気持ちを考えずに理屈を言った。
「雨で、外に洗濯物を干せないから、今、お風呂場が洗濯物でいっぱいなんだ」と。
父はキレた。
慌てて修正を試みたがとき既に遅し。
うーん・・・
よろしくない事態に発展してしまった。
そこには「私の都合」があった。
昨日は(私が)お風呂に入っていない。
明日もスケジュールが立て込んでいて入れない予定。
土日はずっと父が家に居るから、気まぐれな父が「入りたい」と言ったタイミングを逃せないので、基本私は入浴できない。
今、父がお風呂に入る。
その間お風呂での乾燥機の運転はストップ、「ヘビーローテーション」でそこに干してある大量の洗濯物。
プラス、父の入浴で新たに発生する洗濯物、その処理。
そうすると・・・今日の私の入浴は・・・そうすると私は何日お風呂に入れないんだ・・・???
父がお風呂に入りたいと言ったとき。
それが頭をよぎった。
父の衛生状態、気持ち。
それより私の都合を優先させた。
いやいや、君。
そんなに無理することはないよ。
ずっと続く介護生活。
格好付けて、いい人を気取って、崇高な理想ばかり言わないで君もちゃんとお風呂に入らなくちゃ。
そう言ってくださる方もいるかもしれない。
いやいや、だからこそなんですよ。
この先も続く介護生活。
つまりこの先も想定される事態。
梅雨になれば、もっと切実になってくる。
父の状態がもっと悪くなれば、入浴のタイミングを逃すのは、とてもリアルな問題になってくるわけで。
だから私はあそこで、父の入浴願望を否定するのではなく、父にお風呂に入って貰った上で、何とか私も入浴できる算段をつけなければならなかったのだ。
ちゃんと考えれば、私が今日明日で入浴するやり方はいくらでもあった。
明日のスケジュールを調整して喫緊のこと以外は後回しにして入浴。
あるいは今日、時間はある程度余裕がある。
お風呂場は洗濯物に明け渡して、リフレッシュも兼ねて近所の銭湯に行ってくるとか。
まあ、グジグジ言っても仕方がない。
切り替えていきましょ。
今日考えつかなかったこと、できなかったことをいつまでも引きずっても、今の私にいいことは何もない。
ストレスを溜め込まない。
今の自分には何よりもたいせつなことだから。
ストレスレス、笑顔での介護。
自分が潰れたら父は幸せにならない。
何より私も幸せになれない。
だからいつものモットーに戻ることになる。
#いつも笑顔と感謝を忘れずに
うん!やっぱこれだね!(^J^)
父、今朝は「真夜中の入浴タイム」とはならなかった。
ここ数日、「鳴る」頻度が減っている。
つまり起きる回数が減っているということ。
今までもよくあった、単なる「波」なのか。
もう少し深く考えなければならないことか。
まだ断言はできない。
間違いの無い事実。
最近、寝る体勢に入る動作が危なっかしくなってきた。
立った状態から、仰臥へ。
「ドタッ」という感じ。
お世辞にもスムーズとは言えない。
心なしか、歩くのも更によたってきた気がする。
そして。
月曜日に病院に行ったとき。
待ち値時間での椅子に座った姿勢のキープが今までにも増して辛そう。
「良いこと」の前兆でないことだけは確かだよね。
新たな「ステージ」それも覚悟しなくては。
もうひとつ。
起きる回数が少なくなっている。
それなのに、起きたときのシモの「惨事」がそれほどでもない。
つまり、時間当たりの「出る量」が少なくなっているということ。
私の作業という観点だけなら喜ばしいことかもしれないが、単純な話ではない。
気温が上がってきた。
汗として身体から出ていく水分量が増えて、その結果尿量が減った。
それで間違いは無いだろう。
これからの時期、脱水のリスクも考えなくては。
お世話の負担が減ると喜べることではない。
つまり、喜ぶのではなくて、水分摂取を増やしてあげることを心がける。
さ、格好良いことばかりでなく、私の恥も言わなきゃね。
さっき父に怒られた。
起きてフルセット交換のタイミングでまた「お風呂に入りたい」と言われた。
う・・・私は躊躇して「理屈」を言った。
不快だからお風呂に入りたいと言う父の気持ちを考えずに理屈を言った。
「雨で、外に洗濯物を干せないから、今、お風呂場が洗濯物でいっぱいなんだ」と。
父はキレた。
慌てて修正を試みたがとき既に遅し。
うーん・・・
よろしくない事態に発展してしまった。
そこには「私の都合」があった。
昨日は(私が)お風呂に入っていない。
明日もスケジュールが立て込んでいて入れない予定。
土日はずっと父が家に居るから、気まぐれな父が「入りたい」と言ったタイミングを逃せないので、基本私は入浴できない。
今、父がお風呂に入る。
その間お風呂での乾燥機の運転はストップ、「ヘビーローテーション」でそこに干してある大量の洗濯物。
プラス、父の入浴で新たに発生する洗濯物、その処理。
そうすると・・・今日の私の入浴は・・・そうすると私は何日お風呂に入れないんだ・・・???
父がお風呂に入りたいと言ったとき。
それが頭をよぎった。
父の衛生状態、気持ち。
それより私の都合を優先させた。
いやいや、君。
そんなに無理することはないよ。
ずっと続く介護生活。
格好付けて、いい人を気取って、崇高な理想ばかり言わないで君もちゃんとお風呂に入らなくちゃ。
そう言ってくださる方もいるかもしれない。
いやいや、だからこそなんですよ。
この先も続く介護生活。
つまりこの先も想定される事態。
梅雨になれば、もっと切実になってくる。
父の状態がもっと悪くなれば、入浴のタイミングを逃すのは、とてもリアルな問題になってくるわけで。
だから私はあそこで、父の入浴願望を否定するのではなく、父にお風呂に入って貰った上で、何とか私も入浴できる算段をつけなければならなかったのだ。
ちゃんと考えれば、私が今日明日で入浴するやり方はいくらでもあった。
明日のスケジュールを調整して喫緊のこと以外は後回しにして入浴。
あるいは今日、時間はある程度余裕がある。
お風呂場は洗濯物に明け渡して、リフレッシュも兼ねて近所の銭湯に行ってくるとか。
まあ、グジグジ言っても仕方がない。
切り替えていきましょ。
今日考えつかなかったこと、できなかったことをいつまでも引きずっても、今の私にいいことは何もない。
ストレスを溜め込まない。
今の自分には何よりもたいせつなことだから。
ストレスレス、笑顔での介護。
自分が潰れたら父は幸せにならない。
何より私も幸せになれない。
だからいつものモットーに戻ることになる。
#いつも笑顔と感謝を忘れずに
うん!やっぱこれだね!(^J^)