昨年3月3日小沢氏の秘書大久保隆規氏逮捕にはじまるここ1年余りの間、小沢氏の「政治と金」をめぐる問題から露呈したことは、司法(弁護士も含めて)、政治家たちも、マスコミ・ジャーナリストたちも、意外にも民主主義の基本精神を理解していないという幼稚性である。
昨年3月の大久保秘書逮捕は、政治資金規正法違反容疑であるが逮捕用件は、西松建設が政治団体をダミーにして政界にトンネル献金をしていたとされる疑惑に関するものだったが、公判で検察側の主張は悉く否定され検察によるでっちあげ事件である可能性が高い。そもそも官憲(検察)の恣意的な疑惑(同様なケースは自民議員にもあったが)で、国民をいとも簡単に逮捕することは民主主義の理念に反している。ましてや、国会議員の公設秘書の逮捕とは・・・。
民主主義の基本理念は国民主権であるが、国民にいちゃもんをつけて官憲(検察)がいとも簡単に国民を逮捕したことに対して、政治家もジャーナリストもマスコミも何らの疑念を投げかけなかった。それどころか愚かにも、マスコミはあたかも当然の如く「政治と金」疑惑として針小棒大に囃し立てた。
「何人も、現行犯以外は、権限を有する司法官権が発し、且つ理由となっている犯罪を明示する礼状によらなければ、逮捕されない。」これが憲法上の官憲の逮捕要件である。具体的な証拠もなしに、ただ形式的に法的?手続きを踏んだだけで、大久保氏を逮捕している。このようなことがまかり通るのであれば、検察主権国家、戦前の軍制(官僚)国家と変わりない。
本来、その許されざる官僚(検察)の横暴を、マスコミ・ジャーナリストたちが糾弾すべきところを、マスコミが検察と一体化して煽りたてた。彼らは非難する相手を完全に間違えている。そればかりか驚くことに、マスコミやジャーナリストたちが、背後で官房機密費をもらって踊らされていたことが明らかとなった、日本の民主主義は根元から腐っていると言わざるをえない。腐れマスコミどもは、政治資金規正法の何が問われているかも理解もせず説明もせずに、この1年間どれほど小沢氏の説明責任を求めたことか。彼らは自分たちがもらった官房機密費について、一切説明していない、ダンマリを決め込む卑怯者の集団である。
ことし1月15日、小沢氏の元秘書で会計事務担当だった石川知裕衆院議員を他の秘書とともに逮捕した。1月18日からの通常国会の開会が3日後に迫る中、石川議員の逮捕許諾請求が与党多数の衆議院で拒否されることも考慮した極めて恣意的な逮捕だった。
国会議員には国会開会中の不逮捕特権がある。捜査当局は会期中に議員を逮捕する場合、議員が所属する議院に逮捕許諾を求めなければならない。
国会議員の不逮捕特権は、民主主義の根幹をなす「選挙」によって選ばれた人たちであることを忖度し、彼らを戦前のような官憲の横暴から守る意味合いを含んでいる。それだけ国会議員には、国民から重い信託を背負っている人たちである。政治家たちもその意味するところを汲み取り、検察の横暴になすがままであってはならない。
法務大臣の指揮権は民主主義的な支持基盤を(選挙の洗礼)有さない行政機関である検察が独善的な行動をとらないよう掣肘する目的も有している。いたずらに指揮権の発動などは慎まなければならないが、行政機関の暴発を防ぎ民主主義的コントロール下に置くことが付託されている。
検察の議員逮捕については、政権与党が司法への介入をしてはならないなどと尤もらしい正論を口にする必要はない。検察に堂々と「逮捕理由と裏づけとなる証拠は何か」くらいのことは糺すべきである。また検察も記者会見を開き、逮捕理由と証拠を開示するべきである。記者の質問にも耐えられないようなヤワな逮捕理由ではダメだ。司法の独立性の乱用を許せば、官僚(検察)がこの国を支配することになり、日本は民主主義国家とは言えなくなる。
蛇足だが、マッカーサーは日本の民主主義の成熟度について「アメリカがもう40代なのに対して日本は12歳の少年・・・」と述べたというが、あれから60数年経過するも日本の民主主義はいまだ12歳のまま(苦笑)、いまだアメリカさまの下僕から脱していない。
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