アメリカのノーベル経済学賞を受賞した二人の経済学者が手がけたとされるヘッジ・ファンド、LTCM(ロングターム・キャピタル・マネージメント)が1998年破綻した。その救済策のため、「一私企業の救済は自由主義経済の原則に反する」として反対する声を押し切り、FRBはLTCMに資金提供していた15銀行を救済した。
二人のノーベル賞受賞者の金融理論は現実の経済現象のなかで、既に破綻していたのである。
にもかかわらず、彼らの理論をバックグラウンドにしたサブプライム・ローンの証券化商品(デリバティブ金融商品)は世界規模で普及していった。
そのLTCM破綻のほとぼりが冷めて、そろそろまた出番が来たと思ったのかどうか、ごまかしのための厚化粧役として再登場しました・・・性懲りもなく、なんらの作為的意図なしには起こりえなかった、極めて悪質である。
「ノーベル経済学賞」は、ノーベル賞のなかでも特別な存在である。最初のノーベル経済学賞が授与されたのは1969年です。1901年に、最初のノーベル賞授与が始まって、経済学賞はそれから遅れること、実に半世紀を遙かに超えて68年後だった。
元々、経済学賞は、ノーベル賞にはなかった『賞』です。 ひょっとして、ノーベル財団は、「経済学」は胡散臭い学問であることを、当初から知っていたのかもしれません。実は、ノーベル経済学賞は「ノーベル経済学賞」と通称していますが、正式の呼称は『アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞』と言って「スウエーデン銀行賞」なのです。ほかの「ノーベル賞」と異なります。
最近、本稿を書くために、検索していたら、『欺瞞の権威、ノーベル経済学賞の害悪、村田貞雄』に行き当たりました。そのなかに、アルフレッド・ノーベルの子孫ピーター・ノーベル氏の言葉(つまり孫引きですが)引用があります。
”” 「アルフレッド・ノーベルの手紙には、経済学賞を推奨する文言はない。スウェーデン国立銀行が、カッコーのように、自分の卵を世間で高い評判を取っている別の巣に置いたのである。スウェーデン銀行は、商標登録の侵害に近い罪を犯した。真のノーベル賞を略奪したもので受け入れがたい」。””
””「経済学賞の三分の二は米国の経済学者に与えられている。とくに、株式市場やオプションに投機するシカゴ学派に与えられている。これらの賞は、人類の状態と私たちの生存条件を改善するというアルフレッド・ノーベルが抱いていた目標とはなんの関係もない。それどころか正反対のものである」。””
経済学は科学という名を借りた似非科学であるということです。
最近の経済学は高等数学を駆使して理論構成してあるらしい。だが、いくら尤もらしく装いを施したところで、揺れ動く人間の心の動きまで数式に置き換えることは不可能である。数学的理論であらゆる経済事象に演繹するとは傲慢である。
これは単に筆者の憶測にすぎないが、経済学は実学であって過去からの経験を学びとるものであり、そこから最大公約数的に経験則を生かす学問である、ちがいますかね?
経済学の巨人であり、新古典派経済学者が最も嫌うジョン・メイナード・ケインズは、今頃墓場のなかで、「ノーベル賞とは縁がなくてよかった」と安堵しているかもしれない・・・もっとも、彼が生前中には経済学賞はなかったが。
もう一人の経済学の巨人であり、ケインズの論敵だったフリードリヒ・ハイエクは、1974年に、この欺瞞のノーベル経済学賞を受賞している。後に彼(ケインズ)に対して「彼は堕落した」と述べたという、堕落していたのはどちらだったのだろう。ハイエクの新古典派経済学は、現在の新自由主義経済の元祖的存在として重用されてきた。彼は、現在の新自由主義経済がもたらした「世界的金融危機」をどうみているのだろうか。
ただこの論考に記述されている「経済学」に対する認識は偏った部分があります。経済学は多くの社会科学の基礎的な方法論のひとつです。経済学無くして社会科学の発展はありえません。ただの「実学」ではありません。その意味では金融工学は実学です。
平和賞を除いてノーベル賞は自然科学の分野における功績を評価するもので確かに経済学賞は異質ですね。