優厳 × 赤鬼通信

社会参加活動の支援を目指す「なんちゃって社会貢献チーム」の、「優しく厳しい遊び場づくり」の迷走過程を記して行きます。

あと何倍、稼動すれば、イメージを具現化できるのだろうか

2008年08月01日 | Weblog
 そんなこんなで今日はバタバタとしながらも、問題処遇施設を辞めて新しい施設へ移った青年がいるところにちょっと立ち寄ったのだが、ちょうど廃油回収のために外へ出ているとのことであった。頑張ってるんだなーと思いつつ、帰り足に某市役所の、この福祉施設に対して指導管轄する部署へ立ち寄る。いきなり行ったら担当者が出張中だったので、青年が新しく移った施設に寄ってから再び訪れたのだった。
 相談を受けていた2名が退所したこともあり、これ以上深入りすることに対して、暗にストップが掛かってたので、自分に出来うる着地点である「役所の管轄課の担当者に直接案件を引渡しをする」ところまで、どうにか託せれば・・というところまでは行ければ、であった。
 担当者に、現段階でうちが相談を受けている2名の現在の状況と、以前から相談なり事実を知っていた同市の相談機関の対応の甘さについて、そして何度か伝えたにも関わらず役所サイドでは何もしてくれなかったことに対する家族の諦観が、実名で書類を出してくれと言われても、そこまで気持ちが動かないのだ・・・という声を届けてきた。

 ―― 課内で検討して、以前から挙がっていた虐待に関する情報を再度確認してから、改めてどのようにするか、対応を考えます。
 ・・まぁ、そんなところだ、きっと80点くらいの回答だろう。
 ―― 実名を出さないで調査をするとして、何が分かるか出てくるか・・・となった場合、難しいものがありますので、つまり実名を出したくないということは、この方たちは、特にどうにかするということは、しないということでしょうか。
 ・・そうじゃない、もう遅いってことだよ。
 
 名前が挙がった、こういった問題の相談を受ける組織では解決しようがない問題なのだろうが、やっぱりどこもここも力不足だよなー・・・よろしくお願いしますと言って、同じように「自分たちの出来うること」の「力不足さ」を考えながら8階から階段を降りて行く。階段を降りるのは、あっという間だ。この件から、降りるわけじゃないが(どういう対応をされているかは別にして、まだ2名、関係者が働いているし)、次のステップとして「やること」の趣は変わっていかねばならない。
 彼らが次の生活に馴染むまでの声掛けを続けること、やはり何らかの「楽しみ」を持って生活できるような、そうした機会を作っていくこと。
 何から何まで自分にできるわけじゃないし、負えることと向き合えることには限界があって、その限界を認識することも、きっと大事なことなのだろう。十分とは言えないまでも、不足してた家族を支える端くれにはなれた自負はあるが・・・でも、もっとやれたと思う。限界があるのを承知しつつ、全然足りないことを踏まえて何ができるかを、それでも問わなければならないのだろうなー。

  * * * * * * * * * *

 今日、引越しをする家族がいた。自分の担当家庭の方が、支援を必要としている家庭を数珠繋ぎに紹介してくれて繋がった家庭で、引っ越すまで何回かボランティアを出せたのだが、その方たちが引っ越すと同時に、また新しい支援を必要とする家庭が紹介された。すごいなー、曲がりなりにも支援してる家庭から、次の家庭を紹介してくれるということは、どういうレベルであれ、「ここは、しっかり支えてくれる」という評価そのものである。ボランティア活動でしかないうちの活動は、職業レベルでの活動(時間の確保・技術の質)は担保できないけど、ちゃんと社会的に意味のある活動ができている、ということであろう。でも、そんな満足してもらえる例なんて、ほんの一握りであって、全然足りない。
 もっと頑張れば、少しは不足分が埋まるのだろうか。あと何倍、稼動すれば、イメージを具現化できるのだろうか。

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