優厳 × 赤鬼通信

社会参加活動の支援を目指す「なんちゃって社会貢献チーム」の、「優しく厳しい遊び場づくり」の迷走過程を記して行きます。

揺り戻し

2008年08月31日 | Weblog
 というわけじゃないのだが、某市の福祉施設を管理する管轄課から査察をしたとの報告が届いたことで、問題施設に対してこちらができることは「一段落」となるはずだった。・・・のだが、「問題」について、ずっと連絡を寄越し続けてるのが、某福祉サービス運営適正化委員会である。こちらも長期不在だったこと、この委員会の事務局長が出勤してる曜日は、自分が出張してる日と重なってることもあり、連絡が滞ってたのだが、県庁にいるときに連絡があったので、そのまま直接足を向けることにする。
 きっと、市の当該部署が施設に査察に行ったにも関わらず、何も引っ掛かってくるものが無かったまま、実質手ぶらで帰ってきたことに対して、大いに不満だったのだろう。どうにか打つ手はないのか・・・ということだった。
  「もし、虐待があったりしたのならば、何かこちらもしなければならない。
   もっときちんと対応しなければならない。」
 うーん・・・間違った処遇については、やはりきちんと正していくべきだとは、当然思う。でも、ベースは家庭の意思であるから、決して無理強いはしない。


 さて、全ての関係者が繰り返すこと・・・「難しいですねー」との言葉。 
 障がいのある人たちの就労は、難しい。本人だけではなく、サポートする側の職員だって、難しい。特に飲食物を提供する授産施設ならば、仕込みや販売やら、職員が相当の仕事量を重ねているのは、言うまでもない事実であることは、よく分かっている。知人の授産施設は、利用者に少しでも工賃を高く支払えるように、早朝出勤・残業・販路拡大のための飛び込み営業だけでなく、職員の賃金カットも強いられている。それでも「希望」のために福祉の現場に居る。自分も「賃金報酬は社会評価の現れだ」との持論を持っているが、金銭評価は何の価値もないことも十全に分かっている。「昔はそうだった」と、よく福祉作業所で語られる無報酬労働については、そりゃ昔みたいな無茶は有り得ないだろうが、それでも厳しい条件であることは変わらない。
 だが、それでもそれは「仕事」なのだ。仕事における優先事項は、いつも限られている。できることも限られているが、優先事項も限られている・・・だから、「やらねばならないこと」も、限られているのだ。
 「難しいですねー」・・・その通り、である。誰も踏み込めないし、踏み込んでみても歯応えなど無かったり相手にされなかったりするわけで、もうその段階で「難しい」とかってセリフを言う時期は終わってたのである。俎上にすら乗せてくれなかったところが、諦めた後に言われたって、今度はこっちが乗るのが「難しい」って状況なのだ。
 だから、同じ「難しい」でも、捉え方が随分違う。不正や問題行動を是正しようと思う正当な意思・・・当然間違っちゃいない。それと、痛んで乗り気じゃない家庭に対して、改めてそのことを直視しようと告げることの難しさを表現する「難しい」という感想。どちらも受けるにはタイミングがある。多くの相談機関は、一番支えてやらなきゃならなかった時に、ずっと様子見をしてたに過ぎない。確かにいろいろ言われたとしても、打つ手も無かっただろう。でも、自分のところに訴えが来る前から知ってた人たちは、今更言い出したって遅いだろうが・・・ってのもまた、事実でしょうが。

 「確たる証拠」みたいなのを突き付けて・・・という形を希望するならば、それを希望する者自身が苦労して手に入れない限り、そんなの拾って来た程度のネタに過ぎないし、そんなのあまり意味はない。
 手を汚さない人たちと一緒に仕事をするのは、いつも退屈なわけですよ。こっちは事実を掴むために、時間も経費も膨大に注ぎ込んでる。それでも返せるものなど、ほとんど無い。あるのは、「一緒に組んで行こう」っていう空気くらいなものだし、それを見せることによって「伝わればいいなー」と思う希望だけである。ほら、その段階で「見せる」相手は、いわゆる機関じゃない、「次に繋がってほしい、と自分が望む相手」なのだ。

 今回、市の福祉施設を管轄する部署の職員が調査に行ってるので、「きっとガードが固くなってる」でしょうと言われる。で、私に証拠を集めて揃えて欲しい・・・そーんな希望を出されたわけである。

 いっぱいありますよ、伊達にあちこち回ってたわけじゃない。この授産施設を辞めた1名(私が直接は関係していない1名)は、辞めるという意思表示をしてからの数日間、制服も貸してもらえず、職員から役立たず扱いされて過ごしたという。こちらで把握していない、サービス利用適正委員会へ苦情を言ってきた1名は、その後、どうなってるのか、やはり名前を名乗らなかったので音信が掴めないらしい。苦情だけが積み重なってきて、誰も打つ手が無い状況・・・・ 数名が辞めて、さらに施設間移動を希望する利用者がいるのだが、替わるべき「次の行き先」は、そうそう簡単には見つからない。
 相談を受けてた人たちは、これまでだって、たくさんいた。でも、結果的には何もして来なかった。そのことを棚に上げて、一体多くの福祉機関は、何をどうしようと言うのだ? こっちも大人だから、「そうですね、今後こんな思いをする人がいなくなるように、少しでも次に繋がれば・・ですよね」、と言う。でも、痛んだ人たちは、目の前にだっている。その人たちの傷痕しか見れないんじゃ、話にもならんじゃないか。

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 たまたま授産施設じゃないけど、小遣い程度になれば・・と、創作したり作業をしてる障害者更正施設を訪れる機会があったり、某施設を辞めた彼が移動した施設を訪ねたりして、やはりいろいろ思う。枠組みとしては、やはり「その人に合ったプログラム」を提供できるような、そんな体制が取れればいいのになー。そう思うし、それがやれているところは、いっぱいあるはずだ。
 なーんにもできていないのだが、力になれるような、何かができればなーと思うわけである。万人にとって役に立てなくとも、誰かにとって少しの力になれるような、何かができればなと。


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 余談ですが、今日は某TVでやってる「24時間テレビ」であります。今日も30代の電動車椅子に乗る方が、日直してる事務所に来る早々、「愛は地球を救わないってのになー。どうも生理的に受け付けないなー」と、まったく自分と同じことを口走って行きました。
 かつて「24時間テレビ」は、地球の貧困問題を正面から取り組んだり、生命の大切さを伝えるような新作アニメを放映してたものです。私が井戸掘をしたいと思うようになったのも、おそらくこの番組がアフリカで井戸掘活動をやってたのが発端だと思ってます。
 絶対に無理な提案ですが、かつて24時間テレビで放映してた番組を、選りすぐってプレイバックしてみたら如何でしょうか? きっと今の番組スタッフは辞表を書くか、もう少し真摯な番組を作ろうと思い改めてくれるはずです。内容の薄い24時間より、もっと真摯なメッセージを打てる番組を作ってもらいたいものです。
でも、さっき「もう、1億円、集まったんだってさ」とかって声が聞こえました。今年は使途不明金など出さずに、有効活用して欲しいものです。

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