アバウトなつぶやき

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没後40年 濱田庄司展 -山本爲三郎コレクションより

2018年03月22日 | かんしょう
今月は8日が次男の中学校卒業式、16日が長男の高専卒業式でした。
5才違いの二人の節目になる年が重なるのは、長男が高専という道を選んだから。
ちゃんと5年で卒業してくれて良かった…(やたらと留年率が高い学校なので ^^;) 次男も同じ学校を選んだので、無事5年で卒業していただきたいものです。はい。

長男の卒業式の翌日、東本願寺の渉成園で職場の人が嗜んでいる草月流いけばな展に招待していただきました。まっちゃんと二人で道行♪
草月流の活け方はとってもモダンなものが多く、大胆さと美しさが同居しています。嫁入りのための嗜み、という感じではなく生きた花を使った空間デザインという感じ。
それを渉成園という、普段は入れないような由緒正しい場所を使っていろんな表現をしていて とても贅沢です。美しいのはもちろん、大胆なアレンジを思わせる表現もあり、楽しく拝見してきました。(下に数枚、写真をアップします)

いけばな展の後、アサヒビール大山崎山荘美術館に寄って「没後40年 濱田庄司展 -山本爲三郎コレクションより」を観てきました。




少し前に河井寛次郎展を観て、濱田庄司の展覧会を見ておけばよかったと後悔したところだったので「有名どころだし、どこかでやってないかしら」と検索したら見事に大山崎がヒットしたのです。
私もまっちゃんもこちらの美術館は初来訪。二人とも、ロケーションと外観を見た時点で気分が上がったのなんの。





ここもまた贅沢な空間なのです。

濱田庄司氏と山本為三郎氏(アサヒビール初代社長)は懇意にしており、個人的に作品を作ってもらう仲だったようです。
普段使いの家庭用食器から、会社で使うジョッキやサーバーまでお願いしていたのですからコレクションも多くなるわけです。
ただ、そういう個人的なコレクションのため、万博で出展したような有名な作品は今回観ることは出来ませんでした。

濱田氏の作品に私が抱くイメージは、重厚で素朴。民藝運動を起こした人物なので洗練されたイメージとはちょっと違う。
民芸品=美術品というのは私の感覚にそぐわない部分があったため、河井寛次郎氏の作品をじっくり見てみるまでは興味のなかった作風なのは事実です。
しかし、丁寧に作られた作品というものはやはり心に響くものがあり、簡素に見える表現にも積み重ねがあるのだと感じさせてくれます。
そういった事から得た反省を踏まえ、濱田氏の作品を観たいと思ったのです。

濱田氏の得意な大皿に絵付けをする時、釉薬を柄杓で流しかけます。勢いよくびゃ~っとかける映像を見たことがあり、大胆だなぁと思ったものです。
しかし、偶然も個性のうちというのは分からなくもありません。考古の焼き物に見られる自然釉にも時々美しさを感じるものがありますからね。
この絵付け方法を見た訪問客とのやり取りのエピソードが有名です。
たった15秒ほどの模様づけではあまりに速すぎて物足りないのではないかとたずねられ、「15秒プラス60年と見たらどうですか」というような返答をした、というもの。この訪問客、素直すぎましたね(-_-;)

さて、展覧会を拝見してたくさんの器を拝見していると、使ってみたいと思わせられる器がいくつもありました。
実は彼のよく用いる黍文はあまり興味ないのですが、簡素な表現の器ほど美しく見えたのが、奇しくもエピソードのプラス15秒なのかもしれません。

大山崎美術館は館内のしつらえはもちろん、庭も綺麗です。そして新館に当たる安藤忠雄氏設計の地中館も良かった。高台という地形も関係するのでしょうが、場所の雰囲気を壊さないようにコンクリート製の建築物は地中に作ったのでしょう。気が利いてますね。

花に始まり、陶芸や建築まで。今日は美しいものをたくさん見れた、と感激しきりの日でした。

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いけばな展で撮影したものの一部ですが、特に気に入った写真をおまけでアップします。

▲家元である勅使河原茜氏の作品。大きさもさることながら、その美しさは群を抜いていました。
 思わず声が出ました。

 
▲どちらも素晴らしい~♡ 流派で多用される竹の細工はありませんが、そのダイナミックな表現はまさに草月流。


▲知人の所属する奈良支部の作品は洗練された美しさ。これは一部ですが、場所に合わせたストーリーがありました。

ターナー風景の詩(うた)展

2018年03月19日 | かんしょう
先月のことになりますが、京都文化博物館で開催中のターナー風景の詩(うた)展を観てきました。



↑は、会期前に頂いたリーフレット。↓は、会期中に頂いたリーフレットです。
リーフレットを何種類も頂いて、それぞれに掲載される作品が違っているとちょっとお得な気分





先月~今月は次男の受験、息子二人の卒業式他イベントごとが多くてPCの前に座る事がほとんどありませんでした。久しぶりにメールソフトを開けたらものすごいことになってた…

さて、ターナー。美しい風景画を描く18~19世紀のイギリスの画家として有名すぎる方ですね。
でもその割に私は彼の作品をじっくり眺めた覚えがなかったのです。
本などの印刷物として見る機会が多いためか、美術館で実物を、、、というとどこで観たのか思い出せずにいました。きっと見てるはずなのに。

今回の展覧会は「油彩画、水彩画約70点や、版画をご紹介」というふれこみでした。油彩画より水彩画の比率が圧倒的に高く、この時代のイギリスらしさを感じさせてくれます。水彩で描かれる風景画は本当に美しく、油彩で描かれる情景は力強い、、、そんな印象を受けました。
展示室の最後は版画が110点余という多さで、ターナー満喫、というかこの時代の版画の性格や重要性を知ることができました。

私はターナーというと静かで美しい風景画という印象が強かったのですが、展覧会の第2章で「海景-海洋国家に生きて」のタイトルで海を描いた作品を紹介しています。
帆船から蒸気船に代わっていく時代の様子を伝えると共に海のもつ自然の様子や驚異、それにまつわる生活までもが描かれていて、この頃の絵画にはただ美しいものを鑑賞する以外に記録としての性格があることをうかがわせます。
それが顕著に表れているのが、後半で紹介されている版画ではないでしょうか。
ターナーの絵は版画作品になることによって、広く普及したようです。
自身が普及を目指したこともあるのでしょうが、この時代の風景画は旅行ガイドとしての役割が大きかったようですね。日本の浮世絵がブロマイドや旅行ガイドとして需要があったのと同じなんでしょう。
ただ、版画作品に芸術的価値を見出してそれを確立したのは大きいと思います。そこは日本とは違うかな。

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会場を出たら、1階の楽紙舘でセールをやってました。ホクホク

モダニストの日本美展―石元泰博「桂」の系譜

2018年03月02日 | かんしょう
先日、三重県立美術館で開催中の「モダニストの日本美―石元泰博「桂」の系譜」展を観てきました。





モノクロ写真のポスターやリーフレットは派手さがなく、地味な印象すら覚える展覧会と思いきや、行ってみるとなかなかどうして面白い!
実際、会場内の展示物が鮮やかというわけでもなく、彩りといえば三岸好太郎の絵画くらいでしょうか。
しかし、この時代以降の日本の美意識を語るのに欠かせないプロセスを提示している展示なのです。

石元泰博氏は1950年代に「桂離宮」の写真集を刊行した写真家です。
展覧会のタイトルに氏の名前が入っているので石元氏を紹介する企画のように勘違いしていましたが、そうではありませんでした。
建築を多少なりともお好きな方なら、ドイツの建築家ブルーノ・タウトが桂離宮を絶賛したことはご存知でしょう。
そのため、海外のモダニズム建築が日本に入って来た時代の建築を語るには桂離宮が欠かせません。
桂離宮は日本を代表する建築であるという認識は今日ではゆるぎないものなのですが、そこに至るまで。当時 台頭してきた海外の様式と日本建築を比較することによって日本の様式や美意識が再確認されるためには、様々な活動や表現があったことを教えてくれます。

1920年代後半、西洋のモダニズム建築が日本に知られるようになりました。有名だったのが、今回紹介されていたル・コルビジェやヴァルター(私はワルターのが馴染む)・グロピウスです。
コルビジェは「住宅は住むための機械である」という言葉を残している通り、機能的であることを重視しており(機能的=無機質ではないのが分かりづらいけれど)、その点からみて伝統的な日本の建築物は最先端の考え方と合致していました。

モダニズム建築と「桂離宮」に見られる日本建築の類似点として
・規格化(畳や柱間など、内寸寸法の採用)
・合理性(開放的な梁構造などに見られる、機能重視の視点)
・簡潔さ(装飾や家具の少なさ)
が挙げられます。
(この時、装飾の妙を良しとする「日光東照宮」のような建築物は含まれません。「醜悪」扱いされてるんですね。)
こういった評価は日本人の矜持を満足させるものだったと想像します。そして、改めて日本的な美意識について考えさせるに至ったことでしょう。

牧野正巳氏の「ル・コルビジェを語り日本に及ぶ」内に、西洋様式に飛びついてありがたがっている建築家を揶揄する文章がありました。豆を食った後で糞に豆が混じっている、という表現を使っており、消化しきれないままの西洋文化はやはり美しくないというわけです。
おまけを言えば、牧野氏はコルビジェのもとで働いた経験があるので、コルビジェが日本文化を正しく理解しているため豆など消化してしまって残らない、と称えていて興味深いです。
また、その後1950年代に岡本太郎が縄文土器に見られるような野性味あふれる造形こそが日本美であるというような論文を書いていて、論争があったことなども紹介されていました。
個人的には、「桂」の系譜とも言われる日本美の方が好きです。。。

建築から始まった日本美の再発見が、日本人の「美意識」に形を与えたのだと思います。
そういった意識改革のあったことを一定方向から眺められる、面白い展覧会になっていました。