にゃんこの森

札幌で三匹猫の下僕生活を継続中。

さぁ、触りなさい。

2020年05月31日 | ねこ
いかにも触ってほしそうに両手(前足か?)を投げ出すアンちゃん。
勿論、下僕が触ろうとするとさり気なく脇によける。

触らせてくれないのに何で差し出すの?
(ただ伸ばしたいだけ)

長年の習慣

2020年05月31日 | ねこ
外は真夏日にもなろうかという外気温28度。
しかし家の中はヒンヤリしている我が家。
ツーバイフォー住宅は夏涼しく冬暖かいらしいが、吹き抜けの故か
いつでもヒンヤリのため、今だにくっ付いて寝るフクとアンちゃん。

それは暑いって・・・。

牡丹に藤

2020年05月31日 | 日記
牡丹や藤、この時期の北海道らしい花がどの家にも満開・・・と言いたいところだか、
多分、庭木にも流行りがあるようで最近はあまり見かけない。
しかし年季の入った庭にはやはり初夏の花として時々見かけることがある。

もう直ぐ夏が来る。

ねこじゃすり

2020年05月24日 | ねこ
CAT GROOMERを貰ったので、さっそくマルに試してみた。
マルは毛ブラシが好きなので大喜びかと思いきや、
何と無く「(・・?」な感じである。
それでも説明書通り(何故か説明書が付いていた)あご下を細いほうで撫ぜてみたら
ガブリと来た。

「しつこい!」
すんません・・・・。

承認要求

2020年05月24日 | ねこ
最近、巷でよく使われる「承認欲求」。
「他者から認められたい」ということなのだろうが、
我が家の三匹の中では一番臆病者のアンちゃんにも承認欲求の片鱗を見るこの頃。

突然、下僕の膝上に来てナデナデを要求することアンちゃん。
こんなに近くまでグイグイ来るのに、抱っこは絶対嫌なのだ。

季節は廻る

2020年05月24日 | 日記
外出自粛令の札幌。
ほとんどの店が自主休業し、パチンコ屋さえも閉まっている毎日。
それでも季節は移り、ライラックまつりの時期が来る。

何もかもが中止のなか、大通公園のライラックが静かに咲くだけの五月が終わる。

深い河

2020年05月17日 | ねこ
窓辺で三匹が一緒に寝られるように出してある長座布団。
マルが何処に座るかでアンちゃんの場所も決まるのだが、
大抵はフクのとなりにくっ付いているため、マルとの直接対決は回避されている。
しかし、フクは真ん中に座っていてもぷぃっとどこかへ行ってしまうため、
アンちゃんとしてはフクが座るまでは全く気が抜けないのだ。


「ねぇねぇ、あっち行こうよ」
まだまだ二匹の河は深い。

若人アンちゃん

2020年05月17日 | ねこ
マルとフクが我が家に来て早くも九年、だいぶ高齢化してきている(と思う)。
猫も老化すると、以前ほどには玩具で遊ばなくなってくるのだが、
アンちゃんだけは三匹の中で一番の若者なので、おもちゃが出てくると目の色が変わる。

玩具に飛びつく時の勢いも流石に若者は勢いが違う。
やっぱり、まだまだ若いね~。

大胆不敵

2020年05月17日 | ねこ
まだまだ寒暖差の激しい五月。
電気ストーブ前も相変わらずの込み合い状況である。
幅的に三匹はあたられないのに、何時も先回りして占拠しているマル。
ヒョイと見ると、アンちゃんがコッソリ空いている場所に滑り込んで寝ているではないか。

暖まってくると何でもいいから寄りかかりたいのが猫の習慣。
マルのお尻を枕代わりにとは、なんと大胆なことを・・・・。
(この後、気が付いたマルは直ぐに撤退)

意地でも退かない。

2020年05月10日 | ねこ
暖かくなっては急激に気温が下がる日々。
緊急事態宣言下の札幌では、主だった商業施設は殆ど休業のため
散歩以外ほぼ毎日で過ごしている。
ずっと家にいるため、やはりストーブをつけてしまう。


ポータブルの電気ストーブでは三匹当たれるほどの幅がない。
自分がよけるよりも相手にのけさせようとするマルとアンちゃん。
なんと強情なことよ。

花の影

2020年05月10日 | 日記
今日ここに記載することは極めて私的な感情論なので、読んで不愉快となる方もいるだろう。
しかし、何処かでこの人のことを書き残さずにはいられない。
先月、職場の大先輩が亡くなられた。
若い頃、自分のいた職場はどちらかというと地味で大人しい、面白みのない場所だったと思うが、
その方は見目麗しく大変聡明であり同僚どころか上司達すらも一目置くとともに、
仕事上の助言や指示を受けていたものだ。
周りにはたくさんの人が集まる、華やかな人だった。
一回り以上も年上だったけれども、いつまでも若々しく楽しい先輩で、多くの人からこんな風になりたいと思われていた。
けれど定年後、仕事を辞めたあと自身の病気や身内の不幸もあり七十歳という生涯を閉じられた。

数年前に転勤先から戻って以来、会うことを避けていたのは自分も入院や降格(ラインから外れること)があり
その時の惨めな気持ちを気づかれたくなかったからだ。
「そのうちに連絡しよう、今度の忘年会に誘おう」と思っていても、私達に残されている時間は少ない。
もし最後のお別れが出来ていたら、この後悔は薄れていたのだろうか。
それは所詮ただの自己満足なのだとわかっているし、取り戻す方法もない。
それでもやはり、こんな終わりかた、思い返しただけで泣けてくる。

誰にも知られず逝ってしまった人に、今はただ心よりご冥福を祈ります。