横浜のほほん・続

植物や生き物を見ながら歩いて感じたことなどを中心に日々を綴る。

御土居

2019-10-29 06:30:24 | 日記



北野天満宮の西側に普段は入れない区域がある。







北から南に紙屋川(天神川)が流れている。
その河畔のあたりが御土居と呼ばれる史跡だ。
京都に住んでいる頃も訪ずれたことはなかった。







これから紅葉がきれいな季節になるので、もみじ苑として特別公開が始まった。







昔の京の都は東に鴨川、西に天神川が流れ洪水の被害が絶えなかった。
また外敵から都を守る目的と併せて、豊臣秀吉の命により周囲23kmにわたって土塁を築いた。
左手に見える部分が、その一部だ。
これを御土居と呼び、現在も市内9ヶ所に遺跡が残っている。







しかし土塁は外からの水を防ぐかわりに内側の水も外に排水できないということだ。

北野天満宮の東側の川は御所の御用水にされるほどで天満宮は清浄の地とされていた。
そのために境内に悪水が溜まらないように土塁の下に葯20mにわたって切石組暗渠を設けた。
この御土居だけ悪水抜きを設けて北野天満宮という神域を守ったのだ。







御土居の区域を散策していると、ひときわ大きな紅葉(もみじ)があった。三つ叉の紅葉と呼ばれている。
樹齢400年を超えるとされ、どうやら御土居の建造前から紙屋川の川辺に自生していたらしい。







根の所から幹が分かれているので三つ叉と呼ばれたか。今は四つ叉にも五つ叉にも見える。
老木のため養生中のようだった。







御土居からは北野天満宮の境内が下に見える。







休憩所で、ほうじ茶とお菓子を頂く。

天正十五年、秀吉は「北野大茶湯」を催したそうだ。






千利休が催した百会の茶会の様子を記した「利久百会記」に「ふのやき」という菓子が七十回も登場するという。
京都の老舗・老松が、その「ふのやき」をアレンジして作ったのが、このお菓子だ。美味しかった。






コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする