ふるさとは誰にもある。そこには先人の足跡、伝承されたものがある。つくばには ガマの油売り口上がある。

つくば市認定地域民俗無形文化財がまの油売り口上及び筑波山地域ジオパーク構想に関連した出来事や歴史を紹介する記事です。

ガマの油売り口上 永井兵助が腕を磨いた江戸は大道芸の街だった

2022-08-27 | 茨城県南 歴史と風俗

          

江戸の町、技芸が有れば失業など無かった  
  吾妻橋の開通で隅田川の両岸の行き来が出来るようなった。
  浅草は物見遊山の人でにぎわった。
  永井兵助も浅草で、口八丁・手八丁で啖呵売よろしくガマ口上の腕を磨いた。
 

江戸では働く気さえあれば失業することはなかった。
新治郡の兵助、江戸へ寺の雑用をしていた兵助、
仕事でヘマをしたため寺の勤めを辞め江戸へ行き、深川の木場で働くことにした。    
       
ある日、同僚と筑波山神社にやって来た。
 門前の店でガマの油が売れていることを目撃した。
 そこで山頂のガマ石の前で「ガマ口上」を考え付いた。
     

江戸の住民は長屋に暮らしていたが、仕事をせずにぶらぶらしていればれば、大家が放っておかなかった。
 町内の人とのつながりで何らかの仕事に就くことが出来た。
 現代と違うのは職業が非常に細分化し零細化していたことである。
 個人個人が己の特技を生かし生業としていた。
 江戸では手八丁、口八丁、裸一貫、特異な技芸が有れば職に困らなかった。

 それこそ千差万別で名前の付けようもない仕事もあった。
 特技を持たぬ者や己の体の美醜・障害さえも見世物にして銭を稼いだ。

 江戸時代に失業が無かったのは、今なら職業と言えないような技能が大事にされ、
それ相当の対価が支払われていたことも原因である。
 例えば「耳そうじ」、耳かきなど自分でやればいいものを、他人にしてもらうともっといい。
 殿様気分になれるからだ。

江戸の町の商い大道芸の街、やしが活躍 
ガマの油売り口上を理解ためには、口上が誕生した江戸時代、江戸の町の商いで活躍した
やし(香具師)について知る必要がある。

  1590年(天正18年)、徳川家康は江戸に根拠を移すと、直ちに諸国の工商を江戸に招いた。
参勤交代の実施後、江戸の人口は急激に増えその消費を当て込んだ商業が栄え、大阪に比べ小売人が多く集まった。
これら江戸に進出した商人は近江、伊勢及び三河出身のものが多かった。

          江戸・駿河町 越後屋(三井呉服店)
    
         
角川書店『新版 江戸名所図会 上巻』
  駿河町に威容を誇る店舗を構えていた越後屋、中央に富士山が望める。 

やし・香具師 
矢師、野師、弥四とも書き、的屋(てきや)ともいっている。
もとは売薬、香具、艾(もぐさ)などの効能を能弁に実際の効能以上にいいたてて、
それらを売ることを業とするかたわら、客よせの目的で、
独楽(こま)回し、居合抜きなどの雑芸を余興として見せていた。

 これから、縁日など人の多く集まる街頭で贋物(にせもの)、
粗悪晶を真物(ほんもの)、優良品のようにみせかけ、
ときには つられて買う人が出るように仕向けるために、”さくら”と呼ぶ仲間を客のように仕立て、
偽って “さくら” に買わせ、大衆の買気をそそった。
 このような仲間や大道芸人を “やし” というようになった。

 このような人から真物、良品を買いあてることは、
矢を的にあてるようなものだということから的屋ともいわれた。

 露店、夜店で商品を売る街商、その街商が店を出す場所で地割りをしたり、

街商の世話をする人、大道で雑芸をする人のことをいい、
その取扱い商品は、単に売薬、香具、艾の類にかぎらず、
繊維製品、荒物日用品、玩具(がんぐ)、飲食物など雑多なものに及び、大道芸人の芸も色々あった。
 昔、街角で見かけた、くつみがき、宝くじ売などは外商であるが香具師仲間に入らない。

売り方

 売り方の手法としては「十九文見世」がはやった。
 江戸時代中頃、四文銭が普及し、物の値段がなんでも4の倍数になってきた。
「十九文見世」とは、二十文のところを十九文、
つまり「一文引いて売るよ」という割安感を演出するものである。

 中には十九文では高いものも混じっていて、上手に品定めをしないと騙されることもあった。
 「十九文見世」の次には「十八文見世」が出現した。


 ガマの油売り口上は「2百文」を「百文」に値引き販売の場面があるが、
値引き販売は、江戸府内の小売販売、特に香具師の世界では、
的屋(テキヤ)という言葉が示すように当たり前のように行われていようだ。

 まず高い値段を設け、調子の良い口上を述べながら値引きしたように思わせて
客に売りつけていたのではないかと想像される。

 
見世物・大道芸で賑わった
江戸時代・・・・・今もそうであるが・・・・・城や神社仏閣に入るときは、
“下車”、“下馬” といって、そこから先は車や馬などから降りて入らなければならなかった。

 お供がその場所で主人の帰りを待っているとき、主人や仲間のことを話題にした。
これを「下馬評」というが、待っているお供を相手に商売をはじめるものが出てきた。
飲み物、食べ物の販売、暇つぶしのための見世物など、色々な見世物・大道芸が生まれた。


 江戸の街を賑わした見世物、大道芸はいろいろあった。

居合抜き・・・・・居合を大道芸にかえたもので、薬売りや歯磨き売りの客寄せの芸       
  
             浅草蔵前 居合抜きの長井兵助の居合ぬき 
          

        菊池貴一郎著 「江戸府内 絵本風俗往来」(有)青蛙房 

    永井村の兵助も「居合抜き」をマスターしガマ口上に取り入れた。

         
曲独楽(きょくごま)・・・・・独楽を刀の刃の上を渡らせたり、肩から手首の上を移動させる芸


歯力・・・・・強烈な歯の力で重いものを咥え持って見物人からカネを集める芸 

           歯力演芸
        

                  豊島屋酒店 樽の曲ざし 
       
           菊池貴一郎著「江戸府内 絵本風俗往来」(有)青蛙房  

曲屁(きょくへ)・・・・・人ができないことをやれば金になる。
             屁(へ)で三番叟(さんばんそう)や鳥の鳴き声を演奏すれば金がもらえた。


枕返し・・・・・箱枕、木枕などを自在に操る曲芸 


鳥追い・・・・・若い女性が編笠をかぶり、
               帯をだらりと結んで艶かしい姿で鳥追いの歌を歌ってカネをもらう商売


籠抜け・・・・・狭くて長い竹籠を通り抜ける大道芸 


百眼(ひゃくまなこ)・・・・・いろいろな目鬘(めかづら)を取り替えて変装する見世物


泣き売(なきばい)・・・・・哀れみを誘って物を売る。
              客の中に”さくら”が紛れ込んで客を集めた。

讀売(よみうり)・・・・・教訓、道歌などを読み聞かせて売る  
      
     菊池貴一郎著 「江戸府内 絵本風俗往来」(有)青蛙房 

一人芝居・・・・・右半身と左半身を違った色でできた衣類を身に付けて2人分の役を演じる芸 
           
芝居、新狂言
      

鎌倉節の飴売り
     台上の人形が鉦(カネ)を打ち鳴らしながら飴を売った。  
      
      菊池貴一郎著 「江戸府内 絵本風俗往来」(有)青蛙房  

一人相撲・・・・・力士、呼び出し、行司の三役を自分一人でこなす芸 

乞食芝居
         乞食芝居 男の助
      

       菊池貴一郎著 「江戸府内 絵本風俗往来」(有)青蛙房 

お千代船・・・・・船の模型を腰にぶら下げ銭をもらう芸 

謎解き・・・・・明和の時代、江戸の湯島天神の開帳の時、
        坊さんが境内で参詣人に謎をかけさせ、木魚を叩きながら即座に謎をといて喝采を博した。
        これを真似て「何々とかけてなんと何々と解く、そのこころは何々である」といった
        謎解きを商売とする者が現れた。


大平記読み・・・・・道端で「太平記」や軍記などを読み聞かせ、その内容を講釈してカネをもらう大道芸。
             講談の元祖。


節気候(せきぞろ)・・・・・歳末に楽器を鳴らしてカネをもらう芸人、
           一人の場合もあり複数の者で演奏する場合もあった。

栗餅の曲つき    
  数人栗餅の屋台を担ぎ、臼杵は持たず、一人は曲取り曲投げをなし、
  花見・遊山・開帳場など江戸街々を回って栗餅を売った。
        

          菊池貴一郎著 「江戸府内 絵本風俗往来」(有)青蛙房

 街商が出る場所には毎日一定の場所に開かれる平日(ひらび)、
毎月一定の日に一定の場所に開かれる縁日(えんにち)、
神杜仏閣の大祭日などに毎年一定の期日に開かれる高市(たかば)があるが、
1949年(昭和24)に平日は禁止された。

          湯島天満宮
        月ごとの25日は植木市、表門通り左右 料理茶屋あり    
        

                 角川書店 『新版 江戸名所図会 下巻』 


街商の種類
三寸 (商品をならべて黙って客のくるのを待つもの)、


古店 (こみせ・・・・・商品をならべ、多少客を呼んで売るもの)、


ころび
    (俗に たたき といわれ、大声で商品の値段を呼び、
     その特色や効能を誇大にいいふらし、さあ買えささあ買えといって品物を売るもの、
     でん助式の射辛的なもの)、


大締 (おおじめ・・・・・へび薬、歯みがき、傷薬などの販売、独楽回し、催眠術、霊感術など)、

  本当の香具師は、ころび、大締だといわれている。

植木店
  
               江戸の見世物 
         

               槌田満文編 「江戸東京 職業図典」 (東京堂出版)  

       ●影芝居 (前列右端)
       ●与吾連太夫(前列右から2番目)
       ●お釜おこし(前列右から3番目)
         ●唐人飴 (前列左から2番目)
         ●紙屑ひろい(前列左端)
          ●大黒舞 (後列右端)
         ●飴曲吹 (後列右から2番目)
         ●高野行人(後列右から3番目)
         ●二人乞食(後列右から4番目)
         ●芥川之助(後列左から3番目)
         ●六部  (後列左から2番目)
         ●取替平 (後列左端)

今の時代、本当の香具師は誰 
 街商を希望する人は、出店する場所の所轄警察署に出店許可串請をして許可証をもらえば、
その場所に一応出店できるはずであるが、各人がめいめいかってに出店すると、
場所の奪い合いが起きたり、整理もむずかしい。

 慣習として出店を出す場所を縄張りにもっている親分に、
出店する人は許可証と取り扱う商品とを見せて店を出す場所、店の広さを定めてもらい、
電灯代とごみ銭(そうじ代)を支払うことになっている。
 この親分が本当の香具師なのであろう。 


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