ふるさとは誰にもある。そこには先人の足跡、伝承されたものがある。つくばには ガマの油売り口上がある。

つくば市認定地域民俗無形文化財がまの油売り口上及び筑波山地域ジオパーク構想に関連した出来事や歴史を紹介する記事です。

筑波山神社の歴史 

2016-12-23 | 茨城県南 歴史と風俗
                筑波山知足院中善寺があった筑波山神社         筑波山     筑波山は江戸城の北東の奇門にあたることから、将軍家の信仰と保護を受けた。  筑波山神社の由来   筑波山神社は坂東無双の名嶽とうたわれた筑波山を境内とし、万葉集に「二神の貴き . . . 本文を読む

ガマの油の値段、藩財政が厳しかった水戸藩も贋金を造った「天保通宝」なら1枚が100文で2500円 

2016-11-01 | 茨城県南 歴史と風俗
  ガマの油売り口上の「第7段 値下げ販売」で  「さあて、お立ち会い。お立ち会いの中には、    そんなに 効き目のあらたかなそのガマの油、   一つ欲しいけれども、ガマの油ってさぞ高けいだろうなんて   思っている方がおりまするけれども、  此のガマの油、本来は一貝が二百文、  二百文ではござりまするけれども、  今日は、はるばる、出張ってのお披露目。  男度胸で、女は . . . 本文を読む

江戸時代の信仰 千社詣と筑波山神社の千社札

2016-11-01 | 茨城県南 歴史と風俗
江戸時代の信仰 千社詣と千社札講の結成  江戸の人々は、現世利益を願って、それぞれの信仰に応じて社寺や霊場などに出かけた。富士講、えびす講などが江戸の庶民たちの間で広く参拝されていた。  特に職人たちの間では、元禄期(1688~1703)の終わり頃から以降、同職の者同士で、講の結成が盛んに行われた。講とは、もともと僧侶が仏典の講読や説法を行った仏教集会のことであったが、転じて、 . . . 本文を読む

大町桂月 『秋の筑波山』、上野~下妻~関城~沼田の街~筑波山登山~つくば道の旅 

2016-10-26 | 茨城県南 歴史と風俗
             つくば市沼田の街 自動車のない時代の登山は一苦労だった! 大町 桂月(おおまち けいげつ)は1869年3月6日(明治2年1月24日)、高知市北門筋に元土佐藩士の通の息子として生まれた。近代日本の詩人、歌人、随筆家、評論家である。雅号の桂浜月下漁郎はよさこい節にも唄われる月の名所桂浜に因み、桂月はそれを縮めたもの。  1896(明治29)年、東京帝国大学 . . . 本文を読む

「つくば道」の神郡と普門寺の水戸天狗党の碑

2016-09-30 | 茨城県南 歴史と風俗
                               神郡の街並      江戸城の鬼門(東北方)を守る筑波山の中禅寺(現・筑波山神社)を改築するために、3代将軍・徳川家光により整備された北条~神郡~筑波をつなぐ . . . 本文を読む

つくば市 六所皇大神宮聖跡 

2016-09-29 | 茨城県南 歴史と風俗
修徳 六所皇大神宮霊跡縁起  六所神社は関東勇逸の名社にして筑波神社と同一社なり 古来 里も宮と称しつくばの祭事を執行せし神社なり 仝(とう)社は往古伊勢神宮の分社として遠近臣民の崇敬深く伊勢大廟の代拝所となせし由緒赫々たる霊域なり 人皇9代 開化天皇廿八年正月勅あり 夏冬の祭日を定められる 夏至と冬至は山上の里の宮との神霊遷座の式を行い 里の宮の天照大神の更衣を執行し奉る神御衣祭な . . . 本文を読む

4月29日 国指定史跡 つくばの小田城跡「歴史ひろば」開園

2016-05-09 | 茨城県南 歴史と風俗
つくばの小田城跡「歴史ひろば」 4月29日、「小田城跡歴史ひろば」が開園した。近くには歴史紹介や遺物の案内所を設けられた。小田城跡は中世と呼ばれる鎌倉から戦国時代に、現在の茨城県の大部分、即ち常陸国南部に勢力をもった小田氏の居城跡である。 小田城跡は、その歴史的重要性および遺存度の特徴から 昭和10年6月7日に国の史跡指定を受けた。指定面積は21万7000㎡と広大である。つくば市では平成 . . . 本文を読む

史跡公園として復元整備工事中の国指定史跡 小田城跡

2015-11-10 | 茨城県南 歴史と風俗
 現在、つくば市小田の小田城跡の復元整備工事が行われているが、工事が終わった部分が公開されている。なお、工事は平成28年3月18日に完工する予定である。 国指定史跡 小田城跡 昭和10年6月7日指定 小田城は12世紀末に八田知家によって築かれた。知家は常陸国の守護となり、建久4年(1193)には多気基幹を滅ぼし、常陸国南部に勢力を広めた。4代時知に至り小田氏を名乗るようになる。鎌倉幕府が滅びると . . . 本文を読む

つくば市の「小田城」、落城と奪還を繰り返した防御上の弱点は何か 

2015-11-05 | 茨城県南 歴史と風俗
           小田城跡を望む     中央部のやや右桜の林(ピンク色)からその左の林の一帯、背後の山は筑波山 小田城は軍事的拠点には適さない 政治力のシンボル           小田城は建久3年(1192)八田知家によって築城された。筑波山に続く宝筺山(ほうきょうざん)、俗に小田山と呼ばれている南麓の地にあり、約1キロ四方に及び、四重の土塁と四重の堀をめぐらした大規模な城であ . . . 本文を読む

あんパンを始めて作ったのは茨城県の人・木村安兵衛

2015-10-26 | 茨城県南 歴史と風俗
                                 あんパン 銀座木村屋の創業者木村安兵衛は牛久出身の武士です。明治維新よって失業したため江戸に出て当時の職業訓練学校に通い始め、そこでパン作りに出会います。 「この国の食卓にパンを並べて見せる」との信念のもと、息子の栄三郎と日本人の嗜好に合うパン生地の開発に研究を重ね、1869(明治2)年、安兵衛は木村屋の前身でもある日本で初めての . . . 本文を読む

北大路魯山人の 『蝦蟇を食べた話』

2015-10-26 | 茨城県南 歴史と風俗
              珍味を有するガマガエル 北大路魯山人『蝦蟇を食べた話』1935(昭和10)年の作  蝦蟇を食べた話      山椒魚は手に入れるのが困難だが、反対にいくらでも手に入るもので、しかも、滅多に人の食わないもの、それでいて、相当の珍味を有するものと言えば、日本の蝦蟇《ひきがえる》だろう。   ひと頃、食用蛙というも . . . 本文を読む

水戸黄門は“名君”だったが、実在した徳川光圀の水戸藩の百姓は貧窮に喘いでいた

2015-10-14 | 茨城県南 歴史と風俗
水戸黄門こと徳川光圀    徳川光圀は、常陸国水戸藩の第2代藩主で、寛永5年(1628年)6月10日、水戸徳川家当主・徳川頼房の三男として水戸城下柵町(茨城県水戸市宮町)の家臣三木之次(仁兵衛)屋敷で生まれる。「水戸黄門」としても知られる。諡号は「義公」、字は「子龍」、号は「梅里」。水戸藩初代藩主徳川頼房の三男。徳川家康の孫に当たる。  儒学を奨励し,彰考館を設けて朱舜水など俊才を招き, . . . 本文を読む

「開戦やむなし」と強硬に外国排斥を貫き日本を席巻した幕末尊王攘夷の雄、水戸藩

2015-08-14 | 茨城県南 歴史と風俗
幕末、開国の気運   18世紀以来,アジアの新市場開拓をめざす欧米諸国の動きは、当然日本の鎖国制度に動揺をあたえた。1792年(寛政4)ロシアの使節ラクスマンは松前(北海道)に、ついで1804年(文化1)にはレザノフが長崎にきて通商を求めた。 またその4年後にはイギリス軍艦フェートン号が突如長崎港にはいって乱暴し、1818年(文政1)にはイギリス商船は通商を求めて浦賀にきた。こ . . . 本文を読む

幕末の日本に旋風を巻き起こした水戸藩の尊王攘夷論 

2015-08-06 | 茨城県南 歴史と風俗
思想的性格:儒教の中華思想   君臣関係の最も伝統的なあらわれとして皇室を尊崇しようとする尊王論、また(神州)日本を侵略する意図をもつ夷秋(いてき)をうちはらおうとする攘夷論は、本来幕府ないし封建制に対立する性質のものではなく、江戸時代の初期から武士階級の思想の中に存在していた。それは儒教の名分論にもとづくもので、内にあっては君臣の大義、外に対しては華夷(かい)の弁を明らかにし、尊卑の別をきびしく . . . 本文を読む

筑波山信仰と物見遊山 昔も今も変らぬ男女の仲

2015-07-19 | 茨城県南 歴史と風俗
                           遊郭風景                  客は張見世にいる遊女を見て入った。              . . . 本文を読む