今日、8月28日は本来なら大阪・神戸で「保津川開削400年」
をアピールする為のキャラバン宣伝活動を実施する日だった。
我々遊船内の保津川下り400年委員会が最後の大仕事と位置付けた
このキャラバン計画は、若くて威勢のいい委員会メンバーで編成した
キャラバン隊を結成し、自ら繁華街に繰り出し、大々的に角倉了以翁と
保津川下りの400年をアピールする宣伝計画だった。
亀岡市観光協会さんの協力のもと、JR京橋、JR天王寺、JR三宮の
3駅前での宣伝活動の許可も取り、後は28日を待ち実行あるのみ!と
準備も万端に整えてあった。
が、しかし、あの落石事故が発生。
あれから13日が経った今も、再開には掛かることが出来ず、
このキャラバン計画も中止となり、幻のイベントとなってしまった。
「キャラバンの現場では、どの様に趣向を凝らしたら注目されるだろ?」
「どの様にアプローチしたら、パンフレットを受け取っていただけるだろ?」
などと連日、メンバーとの作戦会議を重ね、いろいろ面白い企画も出され
みんなとても気合が入っていた。
また、400年記念年度も中盤に差し掛かり
「さあ~これから本格的に計画実行に移ろう!」
との気運も最高潮に盛り上がってきていた矢先の
悪夢の様な出来事。
キャラバンが行なわれるはずであった今日、
落石事故があった現場を対岸から一人眺めていた。
我々の燃え上がった炎を一気に消すが如く、岩は頭上から
覆い被さってきたのだ。自然は私達に違う顔を見せた。
そこにどのような自然の思惑があるのか?
思案してみたが私には、到底わからない。
そして400年続く伝統の技を披露しながら、堂々と飾り下って
いるはずである保津川には今、船の流れる姿はない。
新聞報道では河原に迂回路を整備して、流す計画があるという。
しかし、安全を確保する為の本格的な防護工事には半年は掛かるだろう。
今も嵐山の中腹・大悲閣で保津川を見守り続けている角倉了以翁の霊は
眼下の保津川に船が流れない姿をどのような思いで見ているのだろ?
「保津の夜明け」はまだ当分、明けそうもないようだ。
をアピールする為のキャラバン宣伝活動を実施する日だった。
我々遊船内の保津川下り400年委員会が最後の大仕事と位置付けた
このキャラバン計画は、若くて威勢のいい委員会メンバーで編成した
キャラバン隊を結成し、自ら繁華街に繰り出し、大々的に角倉了以翁と
保津川下りの400年をアピールする宣伝計画だった。
亀岡市観光協会さんの協力のもと、JR京橋、JR天王寺、JR三宮の
3駅前での宣伝活動の許可も取り、後は28日を待ち実行あるのみ!と
準備も万端に整えてあった。
が、しかし、あの落石事故が発生。
あれから13日が経った今も、再開には掛かることが出来ず、
このキャラバン計画も中止となり、幻のイベントとなってしまった。
「キャラバンの現場では、どの様に趣向を凝らしたら注目されるだろ?」
「どの様にアプローチしたら、パンフレットを受け取っていただけるだろ?」
などと連日、メンバーとの作戦会議を重ね、いろいろ面白い企画も出され
みんなとても気合が入っていた。
また、400年記念年度も中盤に差し掛かり
「さあ~これから本格的に計画実行に移ろう!」
との気運も最高潮に盛り上がってきていた矢先の
悪夢の様な出来事。
キャラバンが行なわれるはずであった今日、
落石事故があった現場を対岸から一人眺めていた。
我々の燃え上がった炎を一気に消すが如く、岩は頭上から
覆い被さってきたのだ。自然は私達に違う顔を見せた。
そこにどのような自然の思惑があるのか?
思案してみたが私には、到底わからない。
そして400年続く伝統の技を披露しながら、堂々と飾り下って
いるはずである保津川には今、船の流れる姿はない。
新聞報道では河原に迂回路を整備して、流す計画があるという。
しかし、安全を確保する為の本格的な防護工事には半年は掛かるだろう。
今も嵐山の中腹・大悲閣で保津川を見守り続けている角倉了以翁の霊は
眼下の保津川に船が流れない姿をどのような思いで見ているのだろ?
「保津の夜明け」はまだ当分、明けそうもないようだ。
予定されていたのですね。
それぞれの駅で宣伝活動の許可を取り、計画、準備
打ち合わせ等々。。。いろいろと大変でしたでしょうに。。。
それに「保津川開削400年」に懸ける船頭さんを始めとして関係者の皆さんのお気持ちを思うとHonkoの
心がズキズキと痛むのです。
でも、どうか「燃え上がった炎」を消すことなく、
「その時」を迎えてください。
「その時」。。。「保津川下り再開」のその時を。。。
一人たたずむ、はっちんさんが目に浮かびます。
400年のこのときに、了以翁さんは試練を与えてくださったのでしょう。
これから、次の時代に向かって、何かを…
多分400年の歴史の中にも、きっと今以上の苦難があったはずです。
それを乗り越えてきたからこそ、400年を迎えることが出来たのかもしれません。
明けない夜は、無いはず。
必ず、この闇の向こうには、明るい未来があるはずです。
怪我をされた方も、命には別状がないのなら
不幸中の幸いです。
一日も早い、再開をお祈りします。
はっちんさんを始め遊船の皆さんのお気持ちは察するに余りあります。
400年は本当に試練の年となってしまいましたね。
苦しい今こそ学ぶ事、得る事もたくさん見つかると思います。
頑張ってこられた皆さんの熱い思いがどうか実を結びますように・・・。
何も出来ませんが、ただ、ただ、保津川下りの再開を願って祈るだけです。
保津に住むものとしては、やはり船が流れないのは寂しいです。土日には、家まで呼び出しの放送が聞こえます。保津橋を渡るときに見える、乗り場に並んで係留されている船。それが見れないのが、本当に保津川でないみたいです。亡き祖父が今も船頭していたら、祖父も毎日寂しいと思います。
いつも応援のコメントを下さり、本当に
ありがとうございます。
キャラバンは道行く人に、大声を張り上げ
宣伝する方法なので、最初は結構恥ずかしくて
勇気がいる活動なのですが、今回はメンバー
一同が心底やる気になってくれていたので
本当に残念です。
もうあれから2週間以上経ちましたが、
目に見えてなんの進展もなく、燃え上がった
炎は段々と下火になっていく感じがしています。
本当に凄い試練です。
あの日以来、落石、崩落などは一切、起っては
いないのですが、行政や関係団体のとの対応協議にあまりにも時間が掛かりすぎ、なんかかなり
大事にしてしまった様です。
ここにお役所仕事と民間企業の
埋められない深いギャップを感じます。
結局なんの進展もないまま、2週間以上の
無駄な日時を過ごしたみたいです。
夜の帳の深さを感じる今日この頃です。
いつも保津川下りを気に掛けて下さり、
本当にありがとうございます。
まさに八方塞がりという閉塞感の中では
心から応援して頂いている人たちの温かい
心遣いが胸に沁みます。
この思いに励まされて挫けず前進する
原動力が沸いてくる気がしています。
いつか今回の苦難の経験が、後になって
振り返れば「話のタネ」になるように
希望を捨てず前進していきます。
ルッチさんのお祖父さんが船頭さんだったのですか?それは知らなくて失礼しました。
保津川下りは保津の人々に守られ400年
続いていたので、我々の代もしっかりしなくて
いけないと思っています。
これからも保津川下りを宜しくお願いします。
コメントいただきありがとうございます。
今回のことで保津川下りがこんなに多くの
皆様に愛されていたことに、改めて気が付きました。本当に涙が出るくらいありがたいことだと
感じております。
一日も早い再開を目指していきます。