保津川下りの船頭さん

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イギリスの貿易商のアーサー・H・クロウがみた保津川下り。

2021-03-11 07:33:17 | インバウンド
1881年(明治14年)イギリスの貿易商のアーサー・H・クロウは、
二千二百トンのイギリス汽船・メタビディア号で神戸港を目指しました。

今回、二度目となる来日の目的は京都を再訪問することと、そして保津川の急流を下ること!
その時の体験を自身の著書「Highways and byeways in Japan:The experiences of two pedestrian tourists
.( 日本の公道と間道ー二人の徒歩旅行者の体験(日本内陸紀行」の中で、克明に書き残しています。

也阿弥ホテルを出発し、人力車で老ノ坂峠を越え、亀岡入りして保津川の舟下りに乗船されています。

「狭い岩だらけの峡谷に入り、崖はほとんど垂直に切り立っている。川幅は20ヤード以上はあるまい。

深さはまったくわからない」と保津川の第一印象を述べています。
「急流は全神経を渦巻く水と免れようのない破壊から冷静、沈着な舟方が竹竿をさばいて逃れる様に集中している。
~沸き立つ激流の中に稲妻のような速さで突っ込んでゆく。行く手にはいきなり黒い岩が現れ、あわや木っ端みじんか!と観念するも、
へさきの舟方の竹竿で危ういところで助かるのだ!」と乗船体験をやや興奮気味に描写しています。
また、「非常に薄いが、しかし丈夫でしなやかな板でできた 船底は、水面をまるで紙のように、
足の下で持ち上がり下ったりする」と川船独特の乗り心地も味わっているようです。

彼はイギリス王立地理学会の特別会員という肩書もあり、日本国内津々浦々を訪ね、自身の紀行記に記しています。
もしかしたら、商人とは別に、日本国内の地形や風土風習などを調査する使命を帯びた「MI6]のような存在だったのかも知れませんね。

そんな彼を魅了した保津川の急流!と京都の風情。

‘ぜひ‘あなた‘’にも体験していただきたいです!