保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

観光・保津川下りの発祥の地・京都亀岡・山本浜

2020-08-30 11:59:32 | 保津峡・桂川のりもの物語
透き通る際な空と澄んだ清らかな川の流れ。
ここは京都亀岡の保津峡の入口・山本浜。

1881年(明治14年)にこの山本浜から、英国ビクトリア女王の孫であるアルバート・ビクターと弟ジョージ(のちのジョージ五世国王)が
保津川下りをされています。(英国皇孫接待一件から)
その後も1893年(明治26年)にオーストラリア皇太子フランツ・フェルディナントが
保津川下りを楽しんでいるなど、数々の海外VIPが好んで、この山本浜から保津川下りをされています。

彼らは、帰国すると未知の極東の国・日本について語り、また紀行記にまとめて紹介していますが、
必ずその中で、保津川下りについても言及され、美しい保津峡の景色とともに船頭の操船術を絶賛されており、
その様子を克明に記載されています!

あるVIPなどは「こんな高度な下船術と屈強な肉体と精神力を備えた保津川下りの船頭たちに遭遇し、
この小さな島国の海軍は必ず強力な軍になると確信する」と乗船体験から、
近代化を進める日本に対する印象として話されてさえいます!

西欧の人々の心に、強烈な印象を与えた保津川下り。
そして、ここが山本浜が、観光・保津川下りが始まった場所です!

そんな壮大な歴史の1ページを綴った山本浜は、
私たち水運を継承する者の聖なる浜なのです。

先人の思いを乗せ~保津川筏再現イベント

2019-09-15 13:44:33 | 保津峡・桂川のりもの物語
保津川の筏流し再現イベント。

「保津川(桂川)流域の象徴として」筏を復活する!

2007年、私の発案により始まった保津川の筏流し。

まだ、存命でおられた筏士さんの家を訪ね、
その玄関先で「復活に賭ける意義とその思い」を熱く説き、何度も足を運んだ。

とうとう、根負けされた筏士さんに認めて貰った。

筏を復活することで筏の組み方や流し方を教わることはもちろん、
山国庄の上流から嵯峨嵐山や梅津、桂など下流地域と繋がる「産業記憶」を甦らせたかった。

それは戦前に筏を流していた亡き祖父への思いもあった。

それが今も、引き継がれていること。嬉しく思う。

1300年の歴史ある「川と人の記憶」

技術だけでなく、その厳しい自然に対峙した人たちの精神も含め、日本の遺産として、これからも途切れることなく、次世代へ受け継いでほしい。

筏を見るたびに、颯爽と筏を流す祖父を姿を思う。

保津峡のりもの物語 京都~千年の記憶~

2018-10-30 10:07:43 | 保津峡・桂川のりもの物語
2億5千万年前、旧赤道の深海底で浮遊微生物(プランクトン)の化石が積み重なった層が隆起して生まれた保津峡。

延暦3年(784)長岡京造営時から筏による木材輸送が始まり、平安京遷都造営事業により水運事業が活発になる。

412年前、慶長11年(1606)に角倉了以翁により舟運が開かれ、農産物や薪炭などの丹波産物が京の都へ供給される。

明治32年(1899)に京都鉄道(現嵯峨野観光鉄道)が開通し、京都⇔丹波⇔丹後間の人・もの・情報などの流通や交流が盛んとなる。

そして現在、世界中から人々が年間約150万人も訪れる峡谷となっている。

「船が下り、鉄道が走る!」1000年の‘とき’を刻む京都の峡谷・保津峡。

全時代に渡り、その時々の最先端の知識と技術、さらに膨大な資金を投入して切り拓いた場所だ。
そのには、地域。故郷の発展を願う‘信念と夢’希望を賭けて大自然に挑んだ人類の歴史物語が息づいている。

全精力を傾けても、切り拓かねばならなかった峡谷、それが保津峡だった。

その先人たちの英知と精神の記録をたよりに、壮大な歴史スペクタクルとして描いていきたい。