男子厨房に入らず
毎日晩御飯を作っている私はもう男子ではないのか
爺厨房に入らず、なら炊事をしなくてよかったかもしれない
等と夕方が近づくと考えてしまう今日この頃
最初は面白かった炊事も飽きてしまったらしい
飽きっぽいのはもともとだから仕方がないが
食べることに飽きると生きていけないので作るしかない
と言っているのも普通に食べることができるからこその我儘
癌になって普通にできたことができなくなって、初めて普通のありがたみが分かる
頭が痛くなると頭を意識するが、治ると頭の存在さえ忘れてしまう
体は不平不満を言う名人
それがなかったら生きていけないのだろう
直腸がんも、体が不平不満を言っていたのに、すぐに耳を貸さなかったから今の状態
中には存在を忘れるくらい健康な体なのに意識しすぎる人もいる
食べる物がなくなるほど食を気にする人
健康の為なら死ぬのも厭わないと傍から笑われるくらい
何にしてもほどほどが一番
今晩は何を作って食べようかと悩む爺のたわごとでした
最後に男子厨房・・・のいわれは
君子遠庖厨
もう一つ
毎日晩御飯を作っている私はもう男子ではないのか
だんし【男子】
1. 男である子ども。おとこのこ。 「―が出生した」
2. 男性。男。 「―の本分」⇔女子
じじ【爺】
男の老人。じい。じじい。⇔ 婆ばば
爺厨房に入らず、なら炊事をしなくてよかったかもしれない
等と夕方が近づくと考えてしまう今日この頃
最初は面白かった炊事も飽きてしまったらしい
飽きっぽいのはもともとだから仕方がないが
食べることに飽きると生きていけないので作るしかない
と言っているのも普通に食べることができるからこその我儘
癌になって普通にできたことができなくなって、初めて普通のありがたみが分かる
頭が痛くなると頭を意識するが、治ると頭の存在さえ忘れてしまう
体は不平不満を言う名人
それがなかったら生きていけないのだろう
直腸がんも、体が不平不満を言っていたのに、すぐに耳を貸さなかったから今の状態
中には存在を忘れるくらい健康な体なのに意識しすぎる人もいる
食べる物がなくなるほど食を気にする人
健康の為なら死ぬのも厭わないと傍から笑われるくらい
何にしてもほどほどが一番
今晩は何を作って食べようかと悩む爺のたわごとでした
最後に男子厨房・・・のいわれは
君子遠庖厨
男子たる者は台所に入り込んで、料理・家事のような女子のする仕事に口を出すべきではない、という意味で使われることが多い。「庖厨(ほうちゅう)」は、台所・炊事場のこと。現在、日本では右のような意味に用いられているが、本来の用法とはかなり異なっている。本来は、君子は生あるものを哀れむ気持ちが強いから、生き物を殺す料理場に近づくことは、とうてい忍び得ないという意味である。「君子は庖厨を遠ざかる」という読み方もある。ここでは一般に出典とされている『孟子(もうし)』による。
もう一つ
引用日本には昔から厨房という台所にはかまどがあって、かまどにはかまどの神さまがおられて家を守っていたそうな、その神さまを祭るのは女の仕事や。その神さまは白川神道では大宜都比売神(おおげつひめのかみ)さまというのや。食物の神さまや。
ところが大気都比売神さまは、高天原から追われ、訪れてきた須佐之男命(スサノオノミコト)に食物を乞われると、鼻と口と尻からさまざまな美味なものを出し,料理して奉ったそうや。須佐之男命は,その様子をのぞき見ていて、汚物を供すると思ってなあ。怒って大気都比売神さまを殺したそうなあ。
それから男性は厨房に入ったらあかんことになったのや。大気都比売神さまの死体の頭から蚕が、目から稲が,耳から粟が、鼻から小豆が、陰部から麦が、尻から大豆が発生したそうなあ。
大気都比売神さまは誰が祭っても良いわけではなく、ちゃんと祭るべき人が決められているのや。女性でないと大気都比売神さまの機嫌を損ね、とんでもない災いを引き起こすのや。
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