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少なくとも、週末の休みは激減しそうだ、でも違った休暇の取り方はさせてもらおう、水平飛行に入ったら・・・┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~
ま、自分のことはまあよいとして、映画の話だ。
F1ドライバーとして3度のワールドチャンピオンを獲得し、世界の頂点に登り詰めたアイルトン・セナ。1960年3月21日、サンパウロで生まれたセナは、4歳にしてカートに夢中になり、プロレーサーを志す。トールマンからカーレース最高峰のF1デビュー。その後ロータス、マクラーレン、ウィリアムズへと至る名門チームでの変遷を大迫力のレース映像やプライベート映像で振り返る。また、その華々しい経歴の陰で、チームメイト、アラン・プロストとの確執やFISA会長バレストルの政治的圧力に苦悩する日々を、自身のインタビュー、マクラーレンチーム監督ロン・デニス、アラン・プロストを始めとするレース関係者、家族、恋人の証言をもとに浮き彫りにしていく。そして、運命の1994年5月2日~イモラサーキット・タンブレロコーナーで、セナは34年という短い人生に終焉を迎える。少年の頃の夢を忘れなかった世紀のカリスマ・ドライバーは、音速の世界でひとり、自らの命を犠牲にしてまで何を追い続けていたのか?今、その全てが明らかになる!

1976年、エキビジションだけど日本に初めてF-1がやってきた、一気に自分の中でF-1ブーム!!
フェラーリ312T、マクラーレンM23、そしてあの6輪のティレルP34、プラモデルを買って一生懸命作ったよ。
1977年、日本の富士スピードウェイでGPが開催された、ジェームス・ハント、ロニー・ピーターソン、パトリック・デパイユ、マリオ・アンドレッティ、ジョン・ワトソン、イアン・シェクター、ニキ・ラウダ、カルロス・ロイテマン、ジル・ヴィルヌーヴ、リカルド・パトレーゼ、アラン・ジョーンズ、ジョディ・シェクター、ジャッキー・イクス、ジャン=ピエール・ジャリエ、エマーソン・フィッティパルディなどなど、日本からはティレル007という超旧車で高橋国光が、コジマレーシングのKE009で高原敬武と星野一義がスポット参戦した。
この年はウォルター・ウルフ・レーシングがかっこよかったなあ。
タバコメーカーが栄華を競った頃でもある、JPK、マルボロ、ジタンが跋扈してた。
少年サンデーで連載された村上もとかの「赤いペガサス」もこの頃だろう(今でも全冊持っている!)
この後はテレビ中継はなく、深夜のダイジェスト版放映のみ、情報は専らオートスポーツという雑誌からのみだったが、それでも貪り読んでいた。
しかし、大好きだったロニーピーターソンが1978年のイタリアグランプリでスタート直後の多重クラッシュで死亡したことで、なぜだか急にF-1に対する興味が一気に失せた。

アイルトン・セナ(Ayrton Senna da Silva, 1960年3月21日生)は、デビューした頃は知らないが、1987年にロータスがホンダエンジンを手に入れたこと、日本人初のF-1フル参戦の中島悟のチームメイトであったこと、そして再び日本でF-1中継が始まったこと(しかも全戦!)ということで、日本で再びF-1が大ブームに入った。
自分も再び、自然と引き込まれていった。
ちょうど日本はバブル経済まっただ中、ペイトンプレース、フットワーク、レイトンハウスなど日本のバブルマネーがF-1サーカスに流れ込みだしたのもこの頃か?
1988年は、セナとチームメイトになったプロストの熾烈なバトルが話題を呼んで、F-1は絶世期に入っていく幕開けの時代だった。
史上最速のF1ドライバー、史上最高のF1ドライバーと呼ばれたセナ、この後も様々なドラマを残し続けているが、天才故に大勢に迎合できない、誤解を生む、そしてやはりプロストとの確執・・・なんとなく「悲劇なヒーロー」的なイメージがつきまとうようになっていたという印象が強かった。
それでもこの頃のF-1はほんとうに様々なドラマがあってほんとうに楽しかった、世界最高峰のマシンを使ったスポーツのはずなんだが、まさにガチンコでドロドロの人と人の闘いだった。
しかし1992年、F-1の世界が劇的に変わってしまった年だった、一気に興醒めしてしまった年だった。
その後、自分にとってはたまたま日曜の深夜にテレビを付けたら中継されていたので片手間に見るという感じ程度。
そうこうしていたら、1994年5月1日、イモラ・サーキットのタンブレロコーナーでクラッシュ。
自分にとってのF-1は、もう完全に終わってしまった。

この映画で、ぜんぶ思い出した。
この映画の感想を書くようなことは、自分には無理なようです。
確か中嶋サトルが引退した年であの頃のF-1は楽しかったぁ。
セナはカッコ良かったしネ(*^m^*)
セナが亡くなった時は大泣きして私のF-1も終わりました。(>ω<、)
F1のファンが多いね
当時友達(高校時代)から
セナの写真(L判)を
1,000円で買わされた記憶が蘇った…
MJの映画とは違うねん。
何も言えない。。。だけど、あの頃のことが鮮明に蘇りました。
それぞれの人の人生と、リンクしちゃうんですよね。
最期は知っていたのに思わず声が出てしまいました。
周りの方々、ごめんなさい。
息子にセナ太郎・・・と言う説もあったのでした・・・。
旦那がやばいのか!sakuraiさんがやばいのか!
山形ではそんな命名が普通なのですか?