‘塩一トンの‥‥’
「一人の人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩を一緒に舐めなければだめなのよ。一トンの塩を舐めるっていうのはね、うれしいことやかなしいことを、いろいろと一緒に経験すると言う意味なのよ。塩なんてたくさん使うものではないから、一トンというのは大変な量でしょう。それを舐めつくすには、長い長い時間がかかる。まあ、いってみれば、気が遠くなるほど長いことつきあっても、人間はなかなか理解しつくせないものだって、そういうことをいうのではないかしら。」(須賀敦子著 河出書房新社 2003)
須賀敦子さんが書かれる文章が好きだ。名前のとおり、すっきりした文体ですがすがしい。落ち込んだ時にずいぶん助けられている。上記の言葉は、須賀氏のお姑さんが言われた言葉だそうだ。とても素敵な言葉だ。こんなふうに生きられたらと願う。
カウンセリングの仕事に携わるようになって25年、月日だけが虚しく積もるとはこういうことをいうのだろうか。カウンセリングに訪れてくださった方の気持ちや心情について、本当にわかったと感じたことは、ほとんどない。むしろ、こんなにもわからないものかと感じるばかりだ。塩1トンを、成人男性が摂取する一日の塩分量8gで換算すると、舐めつくすのに342年かかる。なんと途方もなく、空しい現実だろう。
須賀氏は「相手を理解したいと思い続ける人間にだけ、ほんの少しずつ開かれる」という。理解したいと思い続けること、その現実のただなかにキリストはいてくださる。辛酸を舐めつくされ、塩1トンを舐めつくされ、私たちを真に理解し、何度でも「あなたを愛している」と言ってくださる唯一のお方だ。
F.S 姉