風 囁

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている教会員の証し集

2016年3月6日&13日 信仰告白

2016年03月26日 21時22分14秒 | 教会員の証し
信仰告白

 私は子供の頃、自分のことが嫌いでした。なぜなら、自分が他者より劣っていると考え、自分に自信を持つことができなかったからです。「自分は誰よりも不幸だ」、「神様なんていない」と本気で思っていました。
 10代に入り、周囲から、私の容姿や性格、能力について馬鹿にされることが増えました。避けられ、陰口を言われ、笑い者にされました。本当に悔しかった。なんで、よりにもよって自分が、こんな屈辱を受けなければならないのか。私は周囲を強く憎みました。元々内気な性格だった私は、自信をどんどん失くしていきました。そして、「他人は皆、私のことを見下しているんだ」、「自分以外はすべて敵だ」と思うようになりました。
 その頃の私は、誰にも心を開いていませんでした。親、友人、先生。誰一人として、本心を素直に語ることができなかったのです。「また嘲笑されるのではないか。」そう思うと、自分の中身を他人に見せることが怖くなりました。すべてを自分の中に閉じ込め、他者との間に厚い壁を作るようになりました。うまくいかない自分を恨み、他者を妬みました。そのストレスに耐え切れず、家族に反抗的になり、学校に行かず、友人とも距離を置くようになりました。本当に孤独でした。
 そんな、私の心を覆っていた壁を取り除いてくれたのが、神様です。私の神様との出会いは、西南学院大学の神学部でした。これまで、私はほとんどキリスト教に関わったことはありませんでした。しかし、気が付けば、私は神学部を志望し、入学していました。今では、神様の導きであったと思っています。
 しかし、授業の内容に全くついていけず、一度は転部することも考えました。モチベーションが上がらず、気持ちが折れかけた時、ふと聖書を開いていました。私はそれまで、ほとんど聖書を読んでいませんでした。分厚くて、重くて、ただただ退屈な内容が記された本としか、認識していなかったのです。
 ところが、その時は感じ方が違いました。自分の考えがどれほど愚かだったか、気づかされたのです。悩んでばかりいた私に、イエス様は「思い悩むな」と言ってくださいました。神様は私に何が必要なのかご存知です。

「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ6:34)

この言葉で、いつまでも自分のコンプレックスや、生き方について、うじうじと悩んでいる自分が馬鹿らしくなりました。それと同時に、心にすっと心地よい風が通りました。

イエス様は、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」(ヨハネ8:7)と、おっしゃいました。

この言葉によって、私も罪人であるにもかかわらず、他人の罪を許せず、裁き、それによって自分も他人も苦しめている事を、知る事が出来ました。そして、人を憎む心や、学生時代に犯したあやまちを悔い、今までの罪を神様に告白しました。
さらに、神様は私に新しい生き方を教えてくださいました。
「敵を愛し、迫害するもののために祈りなさい。」マタイ5:44

「自分以外は敵だ」と思っていた私には、衝撃的な言葉でした。
しかし、「すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになる」(ローマ10:12)のが、唯一の主なる神様です。自分とは全く違うものだと思っていた他者が、実は同じ神の愛の中にいたことに気づきました。
 その時から、私はバプテスマを受けたいと思うようになりました。私の重荷を軽くしてくれた、キリストの体として生きていく決心が固まったのです。それからは、どんな苦しみが訪れても、「イライラすることはない、これは神の御計画なのだ」と、思えるようになりました。今までのような、人を恨み、自分の殻に閉じこもる生き方から、喜びのうちに歩める人生に導かれたのです。

神様は「耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共にそれに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます。」(コリント10:13)

 もう何も怖くありません。これからは、信仰生活を通して、神の愛に感謝し、キリストの体なる教会と共に、キリストに従って歩んでいきたいです。
2015年12月20日
 Y.R


Y.R 兄

2016年2月28日 近況

2016年03月16日 17時14分12秒 | 教会員の証し
近況

 早いもので西南学院大学の男子寮の管理人となり、この4月から8年目を迎えようとしている。三年前の70歳で退職かと思ったが、担当部署である学生課から「元気なうちは継続で」とありがたいお言葉をいただき継続している。確かに自分自身、何も用事のない、何もしない一日中は耐えられないし、何かしていることによって健康も維持されていると思っている。本当にありがたいし、神様の恵みに感謝している。福岡へ来るまで、何の用事もない、何もしない一日を望みに望んでいたことであったが、いざそんなときが与えられると全く苦痛に感じ、やはり何かしていないと、とつくづく思った。
 この寮は教育寮であるとともに学生の自治寮でもある。したがって食事時の配膳、館内の掃除など当番制で行っている。この様な集団生活を通し、人格形成や今各企業が最も求めている協調性やコミュニケーション力を培っていく。又同時にキリスト教の正しい理解を深めていく。この様な事に少しでも助力できることを誇りに思っている。
 昨年12月、某学生より第一号の結婚式に招かれた。夫婦そろって出席したが、まるでわが子のように感激した。又キリスト教の司式で行われたこともうれしかった。第二号もすでに招きがある。この様に学生一人一人の成長する姿を見ることに、ほんとうに生きがいを感じる。
 来年、私たちは結婚50周年を迎える。やりがいのある仕事とはいえ、けじめの九月には退職しようと思っている。今までできなかった教会への奉仕に専念できればと思っている。


M.A 兄

2016年2月14日 風囁2016年

2016年03月08日 22時24分14秒 | 教会員の証し
風囁2016年

 久しぶりの風囁、その度に生活に僅かな変化があり記しているのだが、今回は大き過ぎて戸惑いの中にいる。きっかけは母の死。今まで両親で生活していたのが、父一人になったから、姉妹で話し合い、とにかく一人では心配なので誰かが一緒にいる、となった。
 当然一番近くに住んでいる私が一月の半分以上、後は県外にいる姉妹が都合の良い日に少しずつ来てくれることとなった。3日から門司港より通勤、電車・バスで片道二時間、それだけでもう少し疲れている。慣れるまで仕方ないとは思っているが…
 母の死はそれ以上に私の心の平安をなくしている。どう表現したら良いのか、とにかく今までとは何かが違う。何かが?と感じつつ日曜日は教会へ来ている。それでも礼拝の最後で、平良牧師の力強い祝祷を受けていると「ああ、これで今日からの一週間何とか過ごせる」と神様から力を頂く。感謝です。
 母のことを皆様に覚えて祈って頂き、ありがとうございました。


N.A 姉