信仰告白
U.T
私は1963年12月14日大阪府高槻市に生まれました。次男、次女の両親の元、自宅には仏壇も神棚もなく、およそ宗教と名のつくものとは縁の無い環境で育ってきました。幼い頃、テレビに映し出された「中東戦争」のニュースを見て、母が「宗教ってこわいね」と言った一言が、私の宗教に対する原体験を作ったように思います。バブル時代に青春を謳歌し、自分の人生は自分の力で切り開くもの…等と考えていましたので、神様を信じる事などまったく考えられない事でした。
キリスト教との出会いは長女の幼稚園の入園がきっかけでした。入園式の日、先生が「皆さんは神様からの預かりものです」と子ども達におっしゃった一言がとても心に残り、私の中にあった「宗教に対する印象」が変わっていくほど多くの事をこの幼稚園で教えていただきました。長女の入園の年に私は第2子にあたる子を亡くしました。出産予定日の1週間前にお腹の中で亡くなっていることがわかりました。そのときは「なぜ私がこの様な目にあわなければいけないのか?やっぱり神様なんていない」という思いで一杯でした。幼稚園の先生が私の事をお祈りして下さっている事を聞いても、感謝してはいましたが、私の心は神様に背を向けたままでした。
それから数年後、長女が西高宮小学校3年の時、平尾教会の「こどもクリスマス会」のチラシをもらって帰ってきました。チラシに書かれていたプレゼントにひかれて?長女と次女をつれて行ったように思います。それから娘たちは教会学校へ行くようになり、その頃始まったジュニアチャイムにも参加するようになりました。
平良先生ご夫妻が来られてから三女は共同保育でお世話になり、平尾教会とのつながりも少しずつ深くなってきました。次女と三女が通った「こひつじ幼稚園」では、「バイブルサークル」へ入っておりました。始めの頃は全くと言っていいほど聖書の言葉ひとつひとつが理解できず、たまに共感できるところがあっても「放蕩息子の兄」の気持ちであったり、『「ぶどう園の労働者」のたとえにでてくる最初に雇われた人の気持ち』であって、自分がすべてをゆるされて、すべてをいただいて生きている事に気づく事はありませんでした。
ただ「聖書についてもっと知りたい」という思いは何故かいつもありました。「母親聖書の学び会」や「祈祷会」「教会コンサート」「特別伝道集会」その時々に出会ったことばやお話が私の心に少しずつ自然に入ってきたように思います。
(次週に続きます。)
私の夫は数年前から病にかかり、今も闘病中です。大切な家族を何としても助けたいと思いながらも、彼の苦しみや悲しみを代わってあげることはできません。自分の無力を思い知り、一人で重荷を抱えることができず、平良先生ご夫妻に相談しました。
先生は私の悩みを受け止めて、夫や私たち家族の事をお祈りくださいました。夫が病気になって決してよかったとは思わないのですが、そのことで多くの「気づき」をいただいたとも思えるのです。大切な人への思い、今までの生き方を何度も考え、これからの自分の歩く道を神様に委ねて生きていきたいと決心しました。
神様が十字架の苦難のキリストをよみがえらされた喜びと同じように、私にも苦しみの中に「キリスト者としての道」を与えられる事を本当に感謝いたします。ふと気がついたのですが、以前の私だったら「夫の病気を治して下さい」とお祈りしていたのですが、今は「夫を支えるために、共にいて、私を強くして下さい」とお祈りしています。こんな事を言うと娘達は「ママがこれ以上強くなったら...大変!!」と思うかもしれません。
次女のバプテスマの決心を初めて聞いた時、私の頭をよぎったのは「先を越された!くやしい!!」でした。なにせ負けず嫌いの私ですから娘といえども後塵を拝する訳にはいかないのです。などと言ったら、民枝先生から「何言いようとね!ばかちん!!」とおしかりをうけそうですが。こんなどうしようもない私ですが、主に従って教会生活を送らせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
(2008年8月24日受浸)
*U.T姉が信仰告白をされてから2ヵ月後の2008年10月25日、牛原姉のご主人、千彰氏は47歳で天に召されました。T姉をはじめとするご遺族の皆様の上に、神様の平安と慰めがありますよう、お祈り致します。
U.T
私は1963年12月14日大阪府高槻市に生まれました。次男、次女の両親の元、自宅には仏壇も神棚もなく、およそ宗教と名のつくものとは縁の無い環境で育ってきました。幼い頃、テレビに映し出された「中東戦争」のニュースを見て、母が「宗教ってこわいね」と言った一言が、私の宗教に対する原体験を作ったように思います。バブル時代に青春を謳歌し、自分の人生は自分の力で切り開くもの…等と考えていましたので、神様を信じる事などまったく考えられない事でした。
キリスト教との出会いは長女の幼稚園の入園がきっかけでした。入園式の日、先生が「皆さんは神様からの預かりものです」と子ども達におっしゃった一言がとても心に残り、私の中にあった「宗教に対する印象」が変わっていくほど多くの事をこの幼稚園で教えていただきました。長女の入園の年に私は第2子にあたる子を亡くしました。出産予定日の1週間前にお腹の中で亡くなっていることがわかりました。そのときは「なぜ私がこの様な目にあわなければいけないのか?やっぱり神様なんていない」という思いで一杯でした。幼稚園の先生が私の事をお祈りして下さっている事を聞いても、感謝してはいましたが、私の心は神様に背を向けたままでした。
それから数年後、長女が西高宮小学校3年の時、平尾教会の「こどもクリスマス会」のチラシをもらって帰ってきました。チラシに書かれていたプレゼントにひかれて?長女と次女をつれて行ったように思います。それから娘たちは教会学校へ行くようになり、その頃始まったジュニアチャイムにも参加するようになりました。
平良先生ご夫妻が来られてから三女は共同保育でお世話になり、平尾教会とのつながりも少しずつ深くなってきました。次女と三女が通った「こひつじ幼稚園」では、「バイブルサークル」へ入っておりました。始めの頃は全くと言っていいほど聖書の言葉ひとつひとつが理解できず、たまに共感できるところがあっても「放蕩息子の兄」の気持ちであったり、『「ぶどう園の労働者」のたとえにでてくる最初に雇われた人の気持ち』であって、自分がすべてをゆるされて、すべてをいただいて生きている事に気づく事はありませんでした。
ただ「聖書についてもっと知りたい」という思いは何故かいつもありました。「母親聖書の学び会」や「祈祷会」「教会コンサート」「特別伝道集会」その時々に出会ったことばやお話が私の心に少しずつ自然に入ってきたように思います。
(次週に続きます。)
私の夫は数年前から病にかかり、今も闘病中です。大切な家族を何としても助けたいと思いながらも、彼の苦しみや悲しみを代わってあげることはできません。自分の無力を思い知り、一人で重荷を抱えることができず、平良先生ご夫妻に相談しました。
先生は私の悩みを受け止めて、夫や私たち家族の事をお祈りくださいました。夫が病気になって決してよかったとは思わないのですが、そのことで多くの「気づき」をいただいたとも思えるのです。大切な人への思い、今までの生き方を何度も考え、これからの自分の歩く道を神様に委ねて生きていきたいと決心しました。
神様が十字架の苦難のキリストをよみがえらされた喜びと同じように、私にも苦しみの中に「キリスト者としての道」を与えられる事を本当に感謝いたします。ふと気がついたのですが、以前の私だったら「夫の病気を治して下さい」とお祈りしていたのですが、今は「夫を支えるために、共にいて、私を強くして下さい」とお祈りしています。こんな事を言うと娘達は「ママがこれ以上強くなったら...大変!!」と思うかもしれません。
次女のバプテスマの決心を初めて聞いた時、私の頭をよぎったのは「先を越された!くやしい!!」でした。なにせ負けず嫌いの私ですから娘といえども後塵を拝する訳にはいかないのです。などと言ったら、民枝先生から「何言いようとね!ばかちん!!」とおしかりをうけそうですが。こんなどうしようもない私ですが、主に従って教会生活を送らせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
(2008年8月24日受浸)
*U.T姉が信仰告白をされてから2ヵ月後の2008年10月25日、牛原姉のご主人、千彰氏は47歳で天に召されました。T姉をはじめとするご遺族の皆様の上に、神様の平安と慰めがありますよう、お祈り致します。