風 囁

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている教会員の証し集

2019年1月19日&26日&2月2日 入会の証し

2020年03月21日 17時07分07秒 | 教会員の証し
入会の証し

(2019年10月27日)
 この平尾教会には5月の終わりから来始めて、今日で5か月ほどになりました。妹が福岡バプテスト教会の会員であり、ランチカフェのような活動がしたいという思いがあって、平尾教会にその活動があることを知って見学に来たのがきっかけです。この近所に住んでいますし、きちんと教会に通わなければならないなという気持ちがちょうど芽生え始めた 時期でした。
 私は牧師家庭に生まれ、兄弟6人の中の上から2番目です。女3人、男3人という、珍しい構成の中のひとりであります。父が東京の神学校に行った頃は妹まで生まれていまして、神学校の家族寮で暮らしました。貧しい生活でしたが、教会の方々が助けてくださったことをあとで知りました。本当にそのことは感謝しなければならないと感じています。そのような生活を東京で7年送り、次に、父の最初の赴任先である大分メノナイトキリスト教会で4年間過ごしました。
 それから父の故郷の宮崎に帰り、以来ずっと開拓伝道でした。お祭りがあれば、綱を張るか張らないか、もめるような田舎で、その小さな攻防をみながら、自分では「キリスト教って??」と思って、受洗はしていませんでした。姉は中学生の時にバプテスマを受けました。毎週絶対に教会に出席することを強制される感じになりました。姉が受洗してからは「次はお前だ」との父の圧力が強かったのですが、私は、自分が受けたいときにバプテスマを受けたい、という思いで、ずっと抵抗していました。
 二十歳の時に友達の影響もあって、そのようなときが与えられ、自分の誕生日に受洗しました。今この場に父がいないので言えるのですが、父は割と上からガツンとものをいうような、父が思い描いていたことと違うことを言おうものなら、というような感じの人でした。姉は、どちらかと言えば、父の望んでいたような道を選んでいったものですから、一方の私は、いつも父とぶつかっていましたが、どこかで聖書というものに書かれていることは正しい、しかし父を受け入れることができないでいました。
 私は今お菓子をつくる仕事をしています。高校の時にお菓子を作りたいと父に話したら大反対され、なぜ反対するのか、との気持ちをずっと持っていました。父は、自分がずっと続けてきた、教会と併設の無認可保育園を私に継いでほしいとの思いから、絶対に短大に行き、勉強してから、家で2年働きなさい、これは決定事項だから、と私に拇印まで押させました。お金もなかったものですから、私は泣く泣くそれに従うしかありませんでした。父は多分その仕事が楽しくて、きっと続けてくれるだろうと思ったのでしょう。
 私も子どもは好きでしたから、保母の仕事はきっちりやりました。教会には行きましたが、教会内の様々な問題に巻き込まれながら、悩みながらの毎日でした。保母さんとして2年間働いて、やはりお菓子の道にすすみたいと、ためていたお金で一人で東京に行き、貧乏生活をしながら、がんばって4年間お菓子のお店で働きました。
 普通のお店だったので日曜に休日がとれず、杉並メノナイト教会には、本当にたまにしか行くことはできませんでした。それでも教会とのつながりを完全に切っていたわけではありませんでした。4年間働きながら修業した後、勤め先がなかったので、また宮崎に帰ってきて、宮崎のお菓子屋さんで14年間働く間、父母との関係も少しずつ解消、回復しながらやってきました。
 数年前に福岡に来て、今は知的障がいのある方たちと一緒にお菓子を作る作業所に勤めています。考えると、父に無理やり行かされた保母の勉強が今役に立っている、と感じています。神様のなさることは人知を超えて素晴らしい、また不思議な事だと思います。福岡に来ても、教会にはなかなか行けず、父が無牧の博多メノナイト教会に来た時に呼び出されて行く、また妹の教会にたまに顔を出す、程度で自分の教会はなく、よくないなと思いつつ、仕事が忙しく、行けない状態が続いていました。
 最近人間関係に悩んで、これからどうしていったらいいかと思っていた時に、妹に声をかけられ、平尾教会に来ました。皆さんがやさしく話しかけてくださって、(一度大泣きしたこともありました。)なぐさめられました。大切な事は一つしかないなってしみじみ思いますし、説教も以前はいつも寝ていたのですが、今は、言葉の一つ一つが大切だな、と心から思います。十字架を見ても涙が出てくるような心持ちになって、神様が導いてくださった、と感謝して毎日を送っています。
 私は主イエス・キリストを私の神様として一番に考えています。皆さんと一緒に教会生活を共にしていけたらと願 っています。


S.C 姉

2020年1月19日&26日&2月2日 入会の証し(2019年10月27日)

2020年03月09日 22時35分41秒 | 教会員の証し
入会の証し(2019年10月27日)

 この平尾教会には5月の終わりから来始めて、今日で5か月ほどになりました。妹が福岡バプテスト教会の会員であり、ランチカフェのような活動がしたいという思いがあって、平尾教会にその活動があることを知って見学に来たのがきっかけです。この近所に住んでいますし、きちんと教会に通わなければならないなという気持ちがちょうど芽生え始めた 時期でした。
 私は牧師家庭に生まれ、兄弟6人の中の上から2番目です。女3人、男3人という、珍しい構成の中のひとりであります。父が東京の神学校に行った頃は妹まで生まれていまして、神学校の家族寮で暮らしました。貧しい生活でしたが、教会の方々が助けてくださったことをあとで知りました。本当にそのことは感謝しなければならないと感じています。そのような生活を東京で7年送り、次に、父の最初の赴任先である大分メノナイトキリスト教会で4年間過ごしました。
 それから父の故郷の宮崎に帰り、以来ずっと開拓伝道でした。お祭りがあれば、綱を張るか張らないか、もめるような田舎で、その小さな攻防をみながら、自分では「キリスト教って??」と思って、受洗はしていませんでした。姉は中学生の時にバプテスマを受けました。毎週絶対に教会に出席することを強制される感じになりました。姉が受洗してからは「次はお前だ」との父の圧力が強かったのですが、私は、自分が受けたいときにバプテスマを受けたい、という思いで、ずっと抵抗していました。
 二十歳の時に友達の影響もあって、そのようなときが与えられ、自分の誕生日に受洗しました。今この場に父がいないので言えるのですが、父は割と上からガツンとものをいうような、父が思い描いていたことと違うことを言おうものなら、というような感じの人でした。姉は、どちらかと言えば、父の望んでいたような道を選んでいったものですから、一方の私は、いつも父とぶつかっていましたが、どこかで聖書というものに書かれていることは正しい、しかし父を受け入れることができないでいました。
 私は今お菓子をつくる仕事をしています。高校の時にお菓子を作りたいと父に話したら大反対され、なぜ反対するのか、との気持ちをずっと持っていました。父は、自分がずっと続けてきた、教会と併設の無認可保育園を私に継いでほしいとの思いから、絶対に短大に行き、勉強してから、家で2年働きなさい、これは決定事項だから、と私に拇印まで押させました。お金もなかったものですから、私は泣く泣くそれに従うしかありませんでした。父は多分その仕事が楽しくて、きっと続けてくれるだろうと思ったのでしょう。
 私も子どもは好きでしたから、保母の仕事はきっちりやりました。教会には行きましたが、教会内の様々な問題に巻き込まれながら、悩みながらの毎日でした。保母さんとして2年間働いて、やはりお菓子の道にすすみたいと、ためていたお金で一人で東京に行き、貧乏生活をしながら、がんばって4年間お菓子のお店で働きました。
 普通のお店だったので日曜に休日がとれず、杉並メノナイト教会には、本当にたまにしか行くことはできませんでした。それでも教会とのつながりを完全に切っていたわけではありませんでした。4年間働きながら修業した後、勤め先がなかったので、また宮崎に帰ってきて、宮崎のお菓子屋さんで14年間働く間、父母との関係も少しずつ解消、回復しながらやってきました。
 数年前に福岡に来て、今は知的障がいのある方たちと一緒にお菓子を作る作業所に勤めています。考えると、父に無理やり行かされた保母の勉強が今役に立っている、と感じています。神様のなさることは人知を超えて素晴らしい、また不思議な事だと思います。福岡に来ても、教会にはなかなか行けず、父が無牧の博多メノナイト教会に来た時に呼び出されて行く、また妹の教会にたまに顔を出す、程度で自分の教会はなく、よくないなと思いつつ、仕事が忙しく、行けない状態が続いていました。
 最近人間関係に悩んで、これからどうしていったらいいかと思っていた時に、妹に声をかけられ、平尾教会に来ました。皆さんがやさしく話しかけてくださって、(一度大泣きしたこともありました。)なぐさめられました。大切な事は一つしかないなってしみじみ思いますし、説教も以前はいつも寝ていたのですが、今は、言葉の一つ一つが大切だな、と心から思います。十字架を見ても涙が出てくるような心持ちになって、神様が導いてくださった、と感謝して毎日を送っています。
 私は主イエス・キリストを私の神様として一番に考えています。皆さんと一緒に教会生活を共にしていけたらと願 っています。


H. T 兄

2020年1月12日 2020年の始まりにあたり

2020年03月09日 22時29分35秒 | 教会員の証し
2020年の始まりにあたり

 教会に集うお一人お一人におかれましても、様々なお気持ちの中で新しい年をお迎えのことと思います。私の年の始めの気持ちは、今年も神さまが私の襟首をしっかり握り続けてくださることを希い感謝し、その希望を力に時にはよろけながらも歩んで行き たいという思いです。
 私事にわたりますが、家族においては、昨年、長らく介護と看護の中にあった父の旅立ちを、皆様のお祈りに支えられた安らかな旅立ちを、見送ることができました。なお、寝たきりの母の介護と看護は続いており、ケアにはまだまだ不安はあるものの、母が、生かされている今を安らかに過ごせるようにという希望を持ち続け、それを力としたい思いです。
 また仕事では、昨夏、6年間携わった私立医大の経営のお手伝いの仕事を退いた後、あるミッションスクールの経営のお手伝いの仕事が与えられました。厳しくなっていく学校経営に対し、ある意味では対立する学校運営があり、規範性を重視するこれまでの教育に、実証性に基づく経営を如何に導入して いくのか。課題、そして不安も大きいですが、学校に集う一人一人の将来のためにという思いと希望を持って励んでいきたいと思っています。
 今はなお、教会でのはたらきができてなく、礼拝、交わり、奉仕、捧げもの、どれ一つとっても、神さまにお応えできていない私ですが、引き続き「祈りのミニストリー」の輪の中でお一人お一人のことを覚えさせていただきます。ありがとうございます。


H.R 兄

2020年1月5日 クリスマスの光~祈祷会の奨励より~

2020年03月09日 22時24分31秒 | 教会員の証し
クリスマスの光~祈祷会の奨励より~

 私が担当する教会学校のクラスは、『聖書教育』を学びのテキストとしている。毎年12月は、クリスマスがテーマだ。2019年は、12月1日はルカ1章26節~38節(マリ No.733 アへの受胎告知)、8日はマタイ1章18節~25節(ヨセフへのみ告げ)、15日はルカ2章 8節~20節(羊飼いたちへのみ告げ)。
 数週前から『聖書教育』の解説を読むなど、準備を始めるが、12月の準備を始めた11月には、聖歌隊はクリスマスへ向けての練習が本格化していた。今回の曲は「クリスマスの光」であったが、歌詞が、聖書教育の聖書個所とぴったり重なっていた。1節「ひとつめの光はおとめマリアに...」、2節「ふたつめの光は大工ヨセフに...」、3節「みっつめの光は羊飼いたちに...」。
 1日(日)は子ども説教の担当であったうえに、勤務先の学校でも礼拝で奨励を担当する際には、『聖書教育』の聖書箇所から話を組み立てているので、聖書の言葉と天使が歌う「恐れることはない」という歌詞が重なり合って、自分の中で大きく膨らんでいくのを感じた。22日(日) のクリスマス礼拝では、讃美の前に、3人の姉妹の転入会の証と信仰告白をお聞きしていたので、「泣きつづける涙をぬぐうために光がふりそそぐ」と歌うとき、胸にこみあげてくるものがあった。
 作詞の関野和寛牧師(東京福音ルーテル教会)は、ハードロックを歌う牧師として知られているが、 この歌詞にどのような思いを込めたのだろうか。ひとつの讃美を通して、豊かなクリスマスを迎えることができた。感謝である。


T.S 兄

2019年11月10日&17日 第13回ABWU(アジアバプテスト女性連合)大会に参加して

2020年03月09日 22時15分41秒 | 教会員の証し
第13回ABWU(アジアバプテスト女性連合)大会に参加して

 上記の報告を書いて一年になります。思い返せば昨年の事ですが、随分前のことのように思えるのは何故でしょうか?私は、暫くの間、夫の仕事の都合で東京・福岡間を行き来していたので、このレポートは書いてはいましたが、報告する機会がなかったので、改めて一年が経過した今、風囁に載せて頂くようお願いしました。
 さて本題の昨年のABWU大会は、華やかな民族衣装を身に纏う大勢のアジアの女性達が、会場となったマレーシアのペナンに一堂に集い、国旗を持って晴れやかな表情で軽快な音楽と共に入場して来ました。鮮やかな照明に照らされ、ステージに上がった各国の代表達は輝いて見えました。
 5年に一度、こうしてアジアの国々のイエス・キリストを信じるクリスチャン達が一堂に勢揃いする事 は平和の証でもあります。国の情勢は違えども、一参加者としてこのように集える喜びを観覧席で拝見しました。この盛大な総会の出席者は今回710人。33のメンバー団体のうち29団体が参加。18カ国から16カ国の参加がありました。また、新たに受け入れられた加盟団体、ブータンのバプテスト教会も参加。これにより19カ国34団体の加盟機関となりました。
 大会は、三日間みっちり朝早くから夜遅くまで行われました。今回はこの会が発足して60年という事もあり、二日目の夜には祝会も行われ、各国のパフォーマンスもありました。日本のプレゼンテーションは、長い歴史の中でアジア諸国の平和を考えさせられる、深い意味のあるものでした。
 私達は3回にわたりワークショップに参加しました。私が参加したのは、1回目ブラジル刺繍、2回目はCaring for the Elderlyでした。今、まさに高齢化している No.732 日本の現状と教会の高齢化に直面し、少しでも得るものがあればと参加しました。3 回目は、日本から宣教師としてシンガポールに滞在され、宣教活動をしておられる伊藤世里江先生の Missions Mobilizationにも参加しました。
 この他にも、様々なプログラムが準備されていました。お話を聞いて、ディスカッションするのですが、それぞれの国にそれぞれの大きな課題があり、真剣に考え、熱く語られる女性達にパッションを感じました。
 この大会の後、私たちは20名程でシンガポールスタディツアーに参加しましたが、これについては、機会があれば報告させていただこうと思います。
 忘れもしない一年前、帰国時に台風や地震があり、関東や北海道の姉妹方の事を心配し祈りに覚えたことを思い出します。あれから一年の間にも、日本には沢山の天災があり、各地で酷い爪痕をのこしてしまいました。国の情勢も、決して良いとは言えません。
 台風や地震の被害にあわれた方を思います。どうぞ、神様の憐れみとお恵みが降り注がれ、一日も早い復興を祈ります。そして、私達の一番のお祈り、世界平和を祈ります。
 一年前の事ではではありますがこの場でお礼を申し上げます。私を、ABWU大会に参加させていただき、ありがとうございました。心より感謝いたします。


T. M 姉

2020年11月3日 無題

2020年03月09日 22時08分44秒 | 教会員の証し
無題

 4月に娘が進学の為に家を出て、半年がたちました。20年振りの夫との二人の生活!娘の居ない我が家はまさに火が消えた様に静かです(笑)。最初の頃は、娘 の小さかった頃の写真を眺めては涙していましたが、近くには居なくても互いが思い合ってる感じは何とも良いもので、この生活もいいもんだなと思います。
 そんな子育ても一段落し、私も仕事や日々の生活を見つめ直さなくてはと思った矢先、義母の病が発覚しました。あまりにも突然のことに義父や夫はもちろん私も驚きと悲しみと、色々な気持ちがぶつかり、正直今も本当なのかなと思います。
 ですが、9月23日にバプテスマ式をして頂き、その時の義母の穏やかでほっとした表情を見て、私自身も落ち着いた気持ちを少し取り戻せたような気がします。何も出来ずもどかしい毎日ではありますが、穏やかな日々が続きます様にと神様に願うばかりの私です。
 最後に、皆様のお祈り、本当にありがとうございます。 (10月14日記)


M.Y 姉

2019年10月27日 ルツ記

2020年02月17日 23時32分02秒 | 教会員の証し
ルツ記

 9月はルツ記を連続して説教されましたので、祈祷会でもルツ記をお話しいたしました。
 ルツ記と聞くと「良い嫁の話」と言うイメージです。聖書教育には教会学校の準備のための聖書箇所が示されていますが、箴言31:10から31では、外で働き家を守る、育てる。それはそれは有能な妻の描写があります。ぐうの音も出ません。
 全てを失ったナオミの信仰を受け入れたルツもまた、何も持たない状態で異国の地ベツレヘムに行きます。ルツ記では、ルツの感情的なことはほとんど書かれていません。ある時“たまたま”ボアズの畑に落ち穂拾いに行くルツ。静かに従って自分のできることを しているルツのことを、ベツレヘムの主だった人たちは認めるようになっていきます。
 たまたまボアズの畑に来たルツではあったけど、全ては神様の御手の中にあることだったかもしれません。ナオミもボアズも、ルツの幸せの為の計画を練りに練ります。それは想像を超える道につながります。聖書教育の準備の為の聖書箇所エレミヤ4:1~2「主は生きておられる」が浮かび上がります。
 私が、困ったと立ち止まっていた時に、たまたまいた身近な方々にとても助けられました。その方達は同じような経験をしていたり、情報をお持ちだったり。 慰れられ、支えられ、共にいてくださったことで、助けられました。それはまた別のどなたかの助けにもな っています。
 私たちが考え計画し動こうとしている時、困難はあるし、何がしかの摩擦のようなものもあるかもしれません。けれども、生きておられる主が計画を練りに練ってくださるのではないでしょうか。そして、私たちの想像を超えて、すべてを益となさるのではないか と思いました。


M. N 姉

2019年9月29日&10月6日 神のご計画

2019年12月29日 16時04分18秒 | 教会員の証し
神のご計画

 就活(就職活動)に取り組み始めたのは今年3月頃だった。始める直前まで教会のバンド活動をしており、いきなり翌月からしばらく活動ができなくなった趣旨を伝えてしまったので、バンドのメンバーには迷惑をかけたかもしれない。就活は何から始めれば良いのか全然分からなかった。
 それまで、高校や大学進学の時は周りに共に勉強する仲間や先生がすぐそばに居た。何か分からないことがあればすぐ尋ねることができ、励まし合い、非常に頼れる存在だった。しかし、就活はそうではなかった。自分から動き、答えを探しにいくものだった。私は将来に関わる大事なこととなると自信を無くすタイプであり、就活中は孤独と焦りをひたすら感じていた。就活というものは、人生の中で非常に困難なものだと感じた。
 就活中、自分が将来何をやりたいのか見出すことができずにいた。自己分析をして相性の合いそうな会社を受け、全て落ちてしまった。涙もろい性格から何度も泣いた。何度も投げ出したくなった。
 ひょんなことで3月から受験し続けた会社から7月に内定をいただき、そこに行くことに決めた。3年以上前に教会でいただいた御言葉カードが自分の部屋に貼ってあり、就活中支えとなった。それはエレミヤ書29:11である。神様は災いの計画をもた らすのではなく、将来と希望を与えてくださる。
 神様が、就活中困難な時でも一緒にいて二人三脚でいてくださったのは間違いない。私の心は希望に導かれ、悲しくなっても投げ出したくなっても原動力となっていたのは間違いない。私たちがもうダメ(涙)と思っている時にこそ、神様と一緒にいれば、道は開かれると実感した。
 最後に教会の皆様のお祈りや助けに感謝しています。ありがとうございます。


A.M 姉

2019年9月22日 私の家族

2019年09月29日 11時51分57秒 | 教会員の証し
私の家族

 日々、私たち神学生の学びをおぼえ祈ってくださり、ありがとうございます。今回は私の家族についてお話します。 私の家族は8人家族で、父は元牧師でした。とにかく前へ進む力強い父、天然で心優しい母。バラエティーに富んだ兄弟たち。家族は、父が任期満了で福岡教会から離れて去年までの4年間、一丸となって宅配弁当屋を営んでいまし た。
 しかし、その生活はとても苦しいものでした。経済的にも、体力的にも厳しい働きでした。家族の休息の時はほとんどなかったのではないかと思います。疲れと破綻の不安に包まれていた4年間は、それ以前までには経験のない ものでした。そのため毎晩家族で集まり祈る生活を送っていました。日常のことを共有し、今後の歩みを話し合っていました。それでも状況はなかなか良い方向へは向かず、肉体・精神ともに疲れがたまっていく一方でした。家族内が険悪になることも多々ありました。
 そんな暗闇の中にある家族を導いたのは、他ならぬ神様でした。神様は様々な仕方で私たち家族に和解のきっかけや、希望を与えてくださいました。そして私たちは父の深刻な病気の可能性から弁当屋を閉じる決意へ導かれます。そして今、家族はそれぞれの道を歩み始めています。前みたいに一丸となって一つのことに取り組んでるわけではありませんが、祈りを共にして歩んでいます。生活は今なお苦しいままです。
 でも今は1人1人の心が暗闇に包まれているようには見えません。そして父も結局、病気ではありませんでした。神様による大胆な導きが今まさに私たちの上に働いているように感じました。苦しみの中で神様により頼み続ける家族の姿勢に教えられることがたくさんありました。そして祈りをひたすら受け止めてくださる神様に感謝いっぱいです。


H. A 兄

2019年9月8日&15日 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛せよ

2019年09月29日 11時46分50秒 | 教会員の証し
心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛せよ

 38年前、小学校卒業の記念にと、父母が赤い皮表紙の聖書をくれた。表紙をめくると、『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛せよ』(マタイ22:26 口語訳)と記してあった。父は、はっきりと私に「これは最も大切な教えだ」と言った。
 50歳になった自分が神様に繋がれ、イエスさまがいてくださる人生を歩んでこられたのは、父母の信仰のおかげだとつくづく思う。このみ言葉は、律法の中で最も重要な掟であると同時に、のちにイエスさまが語られる言葉として、その意味をよく理解せよということだったのかと今になって思う。『聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心をつくし、精神をつくしちからをつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩くときも、寝るときも、これについて語らなければならない。またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、あなたの目の間に置いて覚えとし、またあなたの家の入口の柱と門とに 書き記さなければならない。』(申命記 6:4~9)
 繰り返し子どもに語り聞かせることの大切さ、その中でも「神様を愛すること」が最も大切だと いうのはよくわかるが、果たしてそれができているかというと、きっと自分は愛するということがよくわかっていない。イエスさまは、第二の掟もこれと同じように重要だとおっしゃった。『自分 を愛するように隣人を愛しなさい』と。ただ、父母が私を育ててくれた中で、人を愛するという ことは、相手の成長を心から願うこと、その人が成長することができるよう関わることなのかと感じている。
 長男の子育てについては、いろいろな修羅場があった。大好きだったサッカーをしなくなり、不登校になり、親としては泣くばかりで、「この状況をしのげますように」と神様にお願いするしかなかった。
 私たちが祈ることができるのは、それを聴いてくださるお方がいらっしゃるということだ。(「聴くこと」というと、自分の仕事である心理業務においては、聴くことがいかに難しく辛く、結局は人の話を聞けない自分を知らされる日々である。)聴くことの何かは、神様とわたしの関係の中にある。神様と私は、完全な二者関係であり、それを感じることは、どれほど大きなことか。神様は人を対話できるもの、コミュニケーションができる存在として創ってくださった。祈る行為は、ときに非常な苦しみが伴う。しかし、どんなに時間がかかっても私が語りきるまで、神様はいつもじっと待って、聴いてくださる。
 長男は、あと一日学校を休んでいたら高校を卒業できなかった。が、無事に卒業し、奇跡的に大学に合格した。だからよかった、報われた、やっぱり神様はすごい、と感謝に満ちる。しかし、神様との関係の出来事の幸いはそこではない。祈る行為を許され、申し出るところに神様は確かにいてくださり、聴いてくださる出来事そのものが、私たちにとっての幸いなのだと思う。
 神様と繋がることは最も幸いなことだ。たとえどのような状況であっても、神様がいてくださる限り「私は幸せです」と主体的に応答できる 幸せを私は持っている。父母は、この世で最も幸いなことは何か教えてくれた。信仰を財産として継承していくこと、何が真に重要で、何が最も大切な事か、勘違いしないように教えられた。そして今も子や孫が信仰を失わず、神様に従って生きるように祈ってくれていることを感謝している。


F.S 姉

2019年9月1日 日常生活

2019年09月10日 22時16分13秒 | 教会員の証し
日常生活

 風囁を書くことになりましたが、 その間色々なことがあり、なかなか書けずにいました。以前にも書きましたが、私は 介護の仕事をしています。一度リセットして退職したのですが、夫の入院等もあり、また仕事に復帰して二年になります。施設は色々あるのですが、私の職場はグルー プホームです。グループホームは、一人で日常生活を送ることが困難な方が入所することができます。
 私たちは、その方がお家で過ごされるのと同様になるように、例えば、食事や入浴、排せつ等を手助け、援助します。認知症の方が多いので、声掛けして、納得していただきながら付き添います。車椅子の方、杖で、または杖なしで歩ける方、様々です。すべてに何らかの理由があるは ずなので、気を付けて観察したり、様子を見守ることが大切です。これからは、看取りの問題、医療との連携が不可欠ですから協力し合いながらやっています。
 今年は、4月より次男が熊本に転勤し、夫婦二人の生活が始まって、最初は息子がいなくなっ てしまった寂しさからの空の巣症候群で無気力状態、仕事のストレスのせいか不眠症気味になり ました。私の中で「もう仕事続けるのは無理?」と頭をよぎりました。
 教会にも介護の仕事をされている方、経験されている方がいらっしゃいますので、アドバイスをいただき、自分の為にももう少し続けてみようという気持ちになり、立ち直りつつあります。イエス様が共にいてくださる、とのみ言葉に励まされながら生活をしています。年金だけでは大変ですので、頑張ってみよう、と思う今日この頃です。
 教会の皆様に祈っていただけると 幸いです。感謝 !


E.E 姉

2019年8月25日 無題

2019年09月01日 11時39分11秒 | 教会員の証し
無題

 最近SGで、「イエスに出会うということ」(ティモシー・ケラー著)という本を読み始めた。理解するのになかなか難しいところがあるが、そんな中でも様々な気づきと発見、というか自分の信仰感を含めた生き方を問われることが多くある。
 先日読んだところでは、「ファリサイ派のニコデモ」と「サマリアの女(昼間に井戸に水をくみにくる)」という対比的な二人に続けて出会われたイエスさまの姿勢から、福音は、「社会的に弱くさせられている人」「過去に傷を抱えた人」「何か劇的な転換が必要な人たち」だけに語られるものではなくて、いわゆる「人生の成功者」(容姿、仕事、結婚、経済、名声などにおける)にも語られている、ということを改めて教えられた。
 そんなことは当たり前のことのようであるが、私自身のなかに、“目に見える幸せや成功”にとらわれている部分がまだまだ多くあることに気づかされた。「これがあれば、あれがあれば私の人生は満足する、幸せになれる、」といった感覚が。それは自分の価値観や目に見える事柄だけを良しとする、それがあれば神様なんていりません、と無意識に言っているようなものだと思わされた。
 逆にそれらのものがすべて与えられていたとしても、神様を主(私の人生の導き手)とせずに歩む人生は、どんなにむなしいものであるかを本の中に紹介されている「人生の成功者」から教えられる。病んでいても、困窮していても、迷いのなかにいても、富んでいても、すべての必要を満たしていても、ただただ「主よ…!」と求めることを第一にした生活を送りたい。


M. M 姉

2019年8月11日&18日 古希

2019年09月01日 11時33分14秒 | 教会員の証し
古希

 教会員の皆さんとは直接お会いする事は殆ど出来ませんが、日曜日の礼拝時に私は礼拝堂の後ろのスタンドに設置してるスマホの中にいますので、声をかけて貰えば幸いです。お会い出来ない理由は、1991年42歳の夏に交通事故に遭い、星野富弘氏と同じ頚髄損傷の全身マヒの車椅子生活になったからです。平和町の坂道の町は生活しにくいので西区の端っこに引越しして、遠くなったのと、車椅子ゆえの排泄が自分で出来ないからです。
 歩けなくて体が動かない生活というのは、決して楽ではありません。それでも、私はついてました。飯塚のせき損センターに入院できた事です。ここは医療とリハビリに関しては日本でたった一つの脊髄損傷の専門の医療機関だったのです。入院後、二度と普通の生活は出来ないと分かった時から、考えるのは自殺の方法でした。手足が動かない人間は自殺を誰かに手伝ってもらうしかないのです。ましてや入院中です。すぐ治療してくれます。
 私と同じ状況の方々は一度は自殺を考えたそうです。私よりも大変な方は多く、そういう人達が頑張っている姿を見ると恥ずかしい限りでした。自殺を考えたのは最初の半年間でした。
 退院後は、生活と介護と子どもの教育はどうしたら良いのかなどの不安でいっぱいでしたが、幸いな事に、1992年4月に福岡市が介護事業を始めた事で、ホームヘルパーさんの世話になり妻は仕事を辞める事なく、経済的に困窮の心配は少し薄れました。三人の子ども達はあしなが募金で、大学も卒業できて、それなりに働き、結婚して、孫も生まれています。
 誰しも障害者になりたいと思う人はいません。重度障害者には日々が試練です。肉体的にも精神的にも楽ではありません。でも息子が「困った時、お父さんには必ず助けてくれる人が現れるよね」と、言った事がありました。神様は耐えられない試練は与えられません。神様は自分が知らないうちに誰かを通して助けてくれるのです。


U. M 兄

2019年8月4日 ハチドリ

2019年09月01日 11時27分32秒 | 教会員の証し
ハチドリ

 さあ、今日こそトイレ掃除。カレンダーに掃除する日に丸を付けては、パスしてばかり。少し前から起こり始めた目眩症状で体調振るわず、ようやく小康状態のこの日、教会のトイレ掃除。しまった、一人だったよなあー。せめてゴム手袋を拝借して、やるぞぉ!気分だけは一人前、もたもたと開始。そこへ祈り会が終わったSさん登場!いつもやって下さっているので手早い!3つのトイレは、難なくすがすがしくきれいになった。
 数日後、こんな記事が新聞に載った。「アンデスの先住民に伝わる好きな民話『ハチドリの一滴』 山火事が起きて他の動物が逃げる中、ハチドリは小さなくちばしで水を落として消火しようとする。バカにされるんだけどハチドリは、『僕は、僕ができることを一生懸命やっているんだ』と言う。それが他の動物の心を動かすんです。私も、身の丈に合った活動を続けていきたいと思っています。」『人生の贈り物』…関野吉晴(探検家、医師)
 ちなみに、ハチドリって、どんな鳥?テレビでいつか見て、こんなに小さくて可憐なのに逞しいのに驚き、記憶にあった。世界最小の鳥で平均体長10センチ、時速100キロで移動し、「空中浮揚」(ホバリング)する。日本では、北海道で見られることもあるらしい。[注:私も、アンデスの民話に胸キュンです。]なんて、いじらしくパワフルなハチドリ!でも、ハチドリと同じ事を精いっぱいやって喜んでる仲間達が、すぐ傍に!


Y.E 姉

2019年7月28日 無題

2019年09月01日 11時15分06秒 | 教会員の証し
無題

 毎日労働に勤しみ、くたくたに疲れた私の楽しみの一つは行きつけの立ち飲み屋さんに行くことである。オーナーと店長の2人で経営されており、毎日とは言わないが週1くらいのペースで通い詰めている。この店の良さはなにより安くて美味しいのだ。特に唐揚げが良い。とても大きく揚げたてでジューシーなのだ。
 そして、この店は店員も常連さんもいい人ばかりである。行けばいつでも明るく迎え入れてくれる。そして色々な話をしてくれたりする。なかなか役に立つ話もある。いい美容室はどこだとか、安いお弁当屋さんの話とか。
 こんな生活をしていると時々神様はどう思っているのだろうかと気になることがある。イエス様が水をぶどう酒に変えられたり、主の晩餐式においてはぶどう酒を飲んだり、海外の修道院ではビール造りが有名なところがあったりと案外キリスト教とお酒は縁の深いものなのかと思ったりもする。
 しかし、聖書には酔っ払うことについては厳しく非難する記述もあるようである。こんな箇所を読むと自分にも思い当たるフシがあり耳が痛くなる。お酒は度を過ぎれば体への影響があり、また酔っぱらいは他人に迷惑をかけることにもなる。しかし、適量であれば、楽しい時間や新しい出会いのきっかけにもなる。お酒もまた、神様からの恵みとして受け取り、感謝しながら正しく楽しく付き合って行きたいものである。


K.Y 兄